第367話 ルクレティアの初陣

統一歴九十九年五月三日、夜 - 黒湖城塞館・倉庫群/シュバルツゼーブルグ



「先生?…こちらですかぁ?」


「ルクレティア!?こっちに来ては駄…目…」


 背後から、倉庫ホレウムの外から聞こえてきた声はたしかにルクレティアの声だった。扉が開けられ、外から入ってくる月の光が増して倉庫ホレウムの中が明るくなった。だからルクレティアが入って来たものだと思っていた。だがヴァナディーズが振り返って目にしたモノは、彼女の可愛らしい教え子の少女などではなかった。


「な、何だソイツは!?」


「え!?…え!?…あっ!?」


 扉が開かれたことで明るくなった庫内はすぐに暗くなる。開かれた入口を巨大な影が塞いだからだ。岩石同士をぶつける様なゴッ、ゴッというやけに硬く重々しい足音を響かせながら、は窮屈そうに入口を潜って入ってくると、のっそりと立ち上がる。

 見上げるその人影はヴァナディーズより明らかに二ぺス(約六十二センチ)以上は背が高い。コボルトの中でも大柄な戦士ぐらいはありそうだ。だが、コボルトのように全身を体毛で覆われているという風ではなく、全身が岩の様にゴツゴツしている。


「コボルトの傭兵か!?

 やはり裏切ったなヴァナディーズ!!」


「え!?ちがっ…う゛っ!?」


 男の声に我に返ったヴァナディーズが振り返った瞬間、飛んできた太矢ダートがドスッと鈍い衝撃を伴う音と共に腹に突き刺さる。痛みはそれほど感じなかった。ただ、衝撃があり、見下ろせば腹から青銅の矢羽根が生えていたのだ。


 うそ…なに…これ?


 力が抜けて膝が地面に落ちる直前、第二の太矢ダートがヴァナディーズの左肩と胸の間くらいのところに突き刺さり、ヴァナディーズはドサリと倒れた。


「先生、先生!?」


 遠くからルクレティアの声は聞こえる。だが、相変わらず姿は見えない。


 ゴッ…ゴッ…ゴッ、ゴッ、ゴッゴッゴッゴッ


 倉庫ホレウムに入ってきた岩のような巨漢が地響きを伴う足音を立ててヴァナディーズの傍を駆け抜け倉庫ホレウムの奥へ向かって行った。


 倉庫ホレウムの奥の暗闇に潜んでいた男は見たことも無い巨漢が重々しい足音を響かせながらまっすぐ駆けてくるのを見て恐怖した。


「クソっ!」


 男は毒づきながら立て続けに太矢ダートを投げる。


 ガキンッ…カラカラ…


 ゴッゴッという足音が続く中、何か金属が硬いモノにぶつかり、そして落ちて転がる音がした。間違いなく命中した。だが弾かれた。逆光でシルエットしか見えないが、全く効いていない様子で急速に迫ってくる。


「くそぉ何だコイツ!?

 逃げるぞジェット!!」


 男は倉庫ホレウムの奥側の扉を開け、黒犬と共に外へ飛び出すと一目散に樹林へ向かって駆け込む。とにかく姿を隠すこと…それは彼のような男にとって基本中の基本だった。立木の影に隠れ、自分が今出てきた倉庫ホレウムの裏口を振り返る。ちょうどその時、ドゴォッという何かがぶつかる音が倉庫ホレウムから聞こえた。さっきの巨漢が壁にぶつかったのだ。


「クソ、何だあの化け物…」


 裏口から出ようとノソノソと藻掻もがいている巨漢の影を見ながら男は毒づき、腰に付けたポーチから一つの青銅か真鍮で出来ているらしい円筒状の瓶を取り出した。その瓶の一端に付いているピンを勢いよく引き抜くと、引き抜いた穴から白い煙が噴き出し始める。


「できればこういうのは使いたくなかったがな…食らいな」


 男は手に持った煙を噴き出す瓶を倉庫ホレウムの裏口に向かって放り投げた。それは裏口をようやく潜り抜けてきた巨漢の足元まで転がり、パンッと乾いた音を立てて盛大な白煙をまき散らす。その直後、白煙で覆われた辺り一面が炎に包まれた。

 レーマ帝国軍で使われている投擲爆弾グラナータを小型化し、内部に黄燐おうりんを仕込んだ焼夷爆弾しょういばくだんである。爆発の威力は小さいが、爆発すると大量の白煙を発生させ、周囲に黄燐をまき散らし、火災を引き起こす。


「よし、行くぞジェット」


 巨漢の死を確信した男はそのまま林の奥へと姿を消した。一方、倉庫ホレウムの中ではルクレティアがすっかり修羅場っていた。


「ヴァナディーズ先生!!」


 《地の精霊アース・エレメンタル》から『あの女子おなごがやられた』と言われたルクレティアが慌てて倉庫ホレウムに入ると、そこにはヴァナディーズが床に倒れていた。


「ルク…レ…」


「大変!何でこんなことに!?…あ、ああ…でも…どうしたら」


 思いもかけない事態にルクレティアはすっかりパニックに陥る。さっきまで一緒にいたはずの尊敬する女学士が、今は太矢ダートに身体を貫かれ、血にまみれて倒れているのだ。誰の目から見ても瀕死の重傷である。

 何をどうしていいかわからなくなったルクレティアがオロオロしていると見かねた《地の精霊アース・エレメンタル》が助言する。


『治癒魔法で治せ』


「で、でも、魔法を使って人に見られたら」


『この辺りには誰もおらぬ。さっきの男はもう逃げた。』


「そ、そうね、まずはコレを抜かないと」


 ルクレティアは混乱したままではあったが、表面上の落ち着きを取り戻すとヴァナディーズの横に両膝をつき、胸に刺さった太矢ダートを引き抜き始める。


「んっ…んんん~~~~っと!」


 手が震えて力が入らないせいか、それとも太矢ダートを引きぬく際に体組織を傷つけないよう無意識に加減をしていたせいか、はたまた肉が締まって太矢ダートを固く咥え込んでしまっていたのか…一本抜くのに意外なくらい手間がかかってしまった。おまけに引き抜いた拍子にルクレティアは情けないことに尻餅をついてしまう。

 ヴァナディーズ自身は既に気を失っていて反応がもうないが、太矢ダートを引き抜いた穴からは血が溢れ出始めた。


「あっ、ああ…血、血が…ど、どうしよ」


『落ち着け、もう一本ある…いや、誰か来た。』


「えっ!?」


「ヴァナディーズ様ぁ~!

 いらっしゃいますかあ~!?」


 さして間を置かず、男たちの声がする。


「あの声、リウィウス達だわ。

 コッチよ!早く来て!!」


 ルクレティアはリウィウスたちの声に気付くと、膝立ちになって倉庫ホレウムの入口に向かって叫んだ。


「こっちですか!?

 やっ、ルクレティア様!?」


「アナタはヨウィアヌス!?

 お願い!助けて、先生が大変なの!!」


 姿を見せたホブゴブリンはリュウイチが付けてくれた三人の奴隷のうちの一人だった。ヨウィアヌスは酒に酔っていたが、ルクレティアの前に横たわるヴァナディーズを見て一気に正気に戻る。後ずさりするように入口から半歩後ろへ下がると、他の場所を探している同輩を大声で呼んだ。


「カールス!コッチだ!!

 とっつぁん呼んで来い!!急げぇ!!」


 通りの向こうにいたカルスが「わかったぁ」と返事を返すと、ヨウィアヌスはどこかおぼつかない足取りではあったが駆け寄り、ヴァナディーズを挟んでルクレティアの反対側に滑り込むように膝をついた。吐く息が酒臭い。


『こやつは知ってる人間か?』


「は、はい…」


『なら、早く魔法を使うがよい。』


「で、でも人目…」


 人前で魔法を使うわけにはいかない。だから控えていたが言われてみればここに居るのはリュウイチの存在を知っていてルクレティアが聖女サクルムになっていることを知っている人間だけだった。他に知らない人間がいないのなら魔法を使っても何の問題も無い。


「そうだ、ヨウィアヌス、他に私たち以外の人は?」


「誰も連れて来ちゃいやせん。

 アッシらだけでさぁ」


 ポーチからリュウイチから預かっているポーションを取り出そうとしていたヨウィアヌスは手を止めて答えた。


「じゃあ、先生のお腹に刺さってる刃物を抜いて。

 そしたら私が治癒魔法をかけるわ。」


合点がってんで!」


 さすがに実戦経験のある元軍団兵レギオナリウスだけあって、ヨウィアヌスは躊躇ちゅうちょなく太矢ダートの矢羽根を掴むと、要領よくまっすぐ一気に引き抜いた。血と肉片のこびりついた太矢ダートがカツンと音を立てて床に転がり、引き抜いた穴から血が噴き出始める。

 すかさず、震える手で『聖なる光の杖』ワンド・オブ・ホーリー・ライトを構えたルクレティアが治癒魔法の呪文を唱えると、ヴァナディーズの身体がほのかに緑色の光を発し、傷口は急速に塞がりはじめた。

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