ライムント街道事変

第368話 街道沿いの盗賊情報

統一歴九十九年五月四日、午前 - 黒湖城塞館・ゲストハウス/シュバルツゼーブルグ



 昨夜、『黒湖城塞館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルグ倉庫群ホレアで起こった事件は、結果だけを言えば被害らしい被害は生じていなかった。ヴァナディーズは治癒魔法によって傷跡も残さずに回復したし、例の曲者くせものが使った焼夷爆弾しょういばくだんによって一時は火災が起きかけていたが、撒き散らされた黄燐おうりんの炎が建物に燃え移る前に《地の精霊アース・エレメンタル》が土魔法で土をかぶせて鎮火している。その後、消火に使った土もロック・ゴーレムも元の場所に戻してしまい、ヴァナディーズに突き刺さった太矢ダートや焼夷爆弾の残骸もリウィウスたちが回収し隠匿いんとくすることで戦闘が行われた痕跡を丸ごと消してしまっていた。

 しかし、小なりとはいえ爆発音や煙が出たことなどからまったく気づかれずに済んだわけではなかった。不審な侵入者があったことは事実であったこともあって、シュバルツゼーブルグ家への報告をしないわけにはいかない。


 ヴァナディーズは夜風に当たろうと散歩に出かけた。そこで不審な黒い犬を見かけたのでついて行ったら、倉庫ホレウムの中で不審者がいた。ヴァナディーズは不審者に襲われかけたがルクレティアとリウィウスたちが駆け付けたので不審者は逃げ出し、事なきを得た…公式には、昨夜の出来事はそのように記録されることになる。


 最初はただ単に浮浪者が使われていない倉庫ホレウムを勝手にねぐらにしていたのだろうと思われていたが、現場となった倉庫ホレウムで見つかった不審者が使ったであろうと思われる太矢ダートが見つかってから話が一気に変わってしまった。リウィウスたちはヴァナディーズの身体に刺さった太矢ダートは回収したが、ロック・ゴーレムに向かって投げつけられて床に落ちたままになっていた太矢ダートに関しては、その存在に気付きさえせず現場に取り残してしまっていたのだ。


「そこらの単なる賊が使うような物ではありません。」


 その太矢ダートを見せながらシュバルツゼーブルグ家の衛兵隊長はそう言った。見つかった太矢ダートはレーマ軍が使っている物と異なり、刃が鋸刃のこば状になっていて引き抜こうとすると体組織がえぐられるように工夫が施されていたうえ、刃には猛毒が塗られていたことから明らかに暗殺者の武器であると判断されたのだ。

 毒はもちろんヴァナディーズに突き刺さった太矢ダートにも塗られており、昨夜はルクレティアの治癒魔法で傷を治した後もヴァナディーズは苦しみ続けた。ルクレティアは自分の魔力の弱さのせいだと早合点はやがてんして苦悩したが、《地の精霊アース・エレメンタル》の『毒の気配がする』という助言を受けたルクレティアが解毒魔法を試みたことによって、ようやくヴァナディーズの症状は解消されたのだった。


「つまり、何者かが誰かを暗殺するために侵入していたということか?」


 シュバルツゼーブルグの郷士ドゥーチェヴォルデマール・フォン・シュバルツゼーブルグは二日酔いで青くなった顔を更に青くして問いかける。

 敷地内で騒ぎが起こってしまったこと、そして賓客ひんきゃくが危険にさらされたことを詫びるためもあって、ヴォルデマールは衛兵隊長と家令を引き連れてゲストハウスを訪れていた。昨夜、『黒湖城塞館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルグに宿泊した主賓であるルクレティア・スパルタカシア、そしてアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥス、ならびに彼らの護衛隊長を務める百人隊長ケントゥリオセルウィウス・カウデクスを前に、今朝までの時点で判明している調査結果について衛兵隊長に説明させていたのだが、その内容は客人の安全に責任を持つべきホストとしてあまり誇れるようなものではなかった。


「おそらく…ただ、どなたを狙ったものかまではわかりません。

 昨夜は要人が多数おられましたので。」


 説明を終えた衛兵隊長は叱られるのを覚悟しているかのような面持おももちで、いかにも実直な軍人らしく直立不動の姿勢を取った。ここで衛兵隊長を叱り飛ばしすことで自身の責任追及から逃れようとする貴族ノビリタスは珍しくはないが、ヴォルデマールは統治者としての器量ゆえか、単に元気がないからかは分からないが神妙な顔つきで黙ったまま様子を伺っている。事件にショックを受けているせいか、それとも二日酔いのせいかはわからないが青ざめた顔に脂汗を浮かべて憔悴しょうすいしたような様子だ。


「賊の足取りはつかめておるのですか?」


 黙ったままのヴォルデマールに代わり、やはり二日酔いで顔色の悪いセプティミウスが尋ねる。


「ハッ、倉庫ホレウムの裏口から逃げたということですので足取りを追ったのですが、あいにくと倉庫群ホレアの周辺にそれと思しき足跡は全く…しかし、裏の林の中にヒトと大きな犬の足跡を見つけておりますので追わせております。

 それとは別に倉庫ホレウムの内部と表側に、何やら大きなハンマーか何かで床を叩いたような痕跡が多数見つかったのですが、これがいったい何なのかさっぱり…」


 倉庫ホレウムの裏から林にかけての範囲で足跡が消えてしまったのは、火災を消すために《地の精霊アース・エレメンタル》が周囲一帯の土を魔法で動かしたせいだった。床をハンマーか何かで叩いたような痕跡というのは、ロック・ゴーレムの足跡である。ルクレティアはそのことに見当がついていたが、どちらの事も言うわけにはいかないので素知らぬ顔で聞き流した。


「いずれにせよ、ここはシュバルツゼーブルグ家の管轄であることだし、我々は旅の途中。しかも遅くとも明後日中にはアルビオンニウムに到着せねばならぬ身だ。

 犯人の捜索などはお任せするほかありませんな。」


 面倒を早く切り上げたいセプティミウスは距離を置く態度を示した。一応、彼とセルウィウスはルクレティアから事件の真相を聞かされており、下手に深入りするとルクレティアが聖女サクルムになったことなどがバレてしまうかもしれないという危機感を共有している。今は自分たちの立場を利用してシュバルツゼーブルグから離れてしまう方が得策だ。

 セルウィウスやルクレティアから叱責や非難の声が出ないと見るや、ヴォルデマールは失地回復すべく顔を上げて提案してきた。


「それなのですが、このようなこともあったことですし、ヴォルデマールの私兵の一部を護衛にお付けしようと思うのですがいかがでしょうか?」


「「いやっ」」


 これにはセプティミウスとセルウィウスの両名がそろって腰を浮かせながら拒絶の声をあげた。そして二人は互いに気付き、互いに目配せするとセプティミウスは言葉を選んで丁重に断る。


「お気持ちはありがたいが、幸い我々は三個百人隊長ケントゥリオもの護衛が既についている。

 ここでシュバルツゼーブルグの貴重な兵力を割いて頂くわけにはまいりません。」


 アルビオンニウムには既にサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの部隊とサウマンディアの神官が来ていて、降臨跡の調査を行っている。この後、ルクレティアらはそこに合流し、月ごとの祭祀を行うとともに調査に協力することになっているのだ。そんなところへシュバルツゼーブルグの兵士を連れていくわけにはいかない。

 だが、ヴォルデマールは引き下がらなかった。


「さもありましょうが…実はここのところライムント街道には新手の賊が現れておるようでしてな。」


「新手の賊…ですか?」


「ええ、手ごわい連中です。

 どうも傭兵くずれらしく装備に優れ戦慣れもしておるようで、統率のとれた動きをします。おかげで中々捕捉できませんでな。恥ずかしながら、我々の方が翻弄ほんろうされることもあるぐらいなのです。

 目立ち始めたのはひと月前あたりからでしょうか…シュバルツゼーブルグ周辺やアルビオンニウム方面におったこれまでの盗賊どもを討ったり、傘下に納めたりして急速に勢力を伸ばしておるようで、近々アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアに救援を要請しようかと思って居ったところなのです。」


「勢力はどれほどなのです?」


「実態がまったくつかめておらんので何とも…ただ、これまでシュバルツゼーブルグ周辺にいた盗賊の動きは大きく変わっております。

 影響を受けた盗賊のうち、壊滅した盗賊を除いたすべてがソイツらの傘下に入っているとしたら、三百人近い勢力にはなっておるでしょう。」


 セプティミウス、セルウィウス、そしてルクレティアは耳を疑い声をあげた。


「「「三百!?」」」

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