第1339話 リュキスカへの報告

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



「お、奥方様ドミナが参られやした」


 部屋の入り口でロムヌスがぞんざいな口調で告げると、リュウイチの傍に控えていたネロは顔をしかめてリュウイチの様子を伺った。リュウイチはこれからリュキスカにどう話すかに集中していたので特に二人の様子など気にすることもなく、寝椅子クビレに腰を下ろしたまま上体を起こして入り口の方へ顔を向ける。そのタイミングは丁度ロムルスが扉を開け、リュキスカが入って来るところだった。

 防寒のために扉も窓も締め切った部屋はもう夜は明けたというのに薄暗い。採光のための小窓が天井近くにあるが、室内の暖気を逃がさないように小さい上に薄絹が張られているため日中でも十分な光を取り込むには至らない。ゆえに、贅沢にも室内には何本ものロウソクが焚かれており、そのロウソクの炎が一斉に揺らいだ。


 現れたリュキスカの恰好はブラウス、足首丈のロングスカート、その上に襟無しのセーター、更にその上に何故かバスローブを着、その上にカーディガンを羽織って厚手のストールを首に巻き、その一部を頭に被っている。足は厚手の靴下に、モコモコしたタオル地のスリッパ……いずれもリュウイチが自身のストレージに仕舞われたアイテムからリュキスカに与えた物ばかりなのだが、この組み合わせはリュウイチの目には中々凄い恰好に見える。


 冷えるのかな?

 防寒効果ぐらいついた物をあげた方が良いかも……


 リュウイチがリュキスカの恰好に呆気にとられながら挨拶も忘れてそんなことを考えていると、リュキスカは背後でロムルスが扉を閉めるのと同時に頭に被ったストールを脱いだ。

 扉の外はそのまま中庭ペリスティリウムを囲む回廊ペリスタイルであり、暖房も利かない外気そのままだ。対して扉一枚隔てて部屋に入ると、室内……特に暖房のための火は焚かれていないが、床暖房ハイポコーストゥムが利いているのでかなり温かい。半地下のかまどで火を焚き、その煙が床下を循環して家屋全体を温めているのだ。この世界ヴァーチャリアでは大きい火や強い火を焚くと精霊エレメンタルが宿り、《火の精霊ファイア・エレメンタル》と化して暴れ始めるのと、陣営本部プリンキパーリスは広いので一つの竈で大きな火を焚くのではなく、複数の小さな竈を分散配置して建物全体が均一に暖まるようになっていた。部屋の中は快適だが外は外気そのままなので冬場は寒暖の差が激しく、部屋から異なる部屋への移動がかなり億劫おっくうだったりする。


「おはよ、兄さん。

 話があるって聞いたんだけど?」


 リュキスカは頭に被っていたストールをとって顔を出すとぶっきら棒に言った。何故か気が立ってそうな印象を受ける、どこか険の在る声だ。


『あ、ああお早う!

 呼び出してゴメン、ちょっと座ってもらえるかな?』


 リュウイチはリュキスカのどこか機嫌の悪そうな声に面食らいながらも、愛想笑いを引きつらせながら椅子を勧めた。リュキスカは入り口のところで突っ立ったまま一度大きく深呼吸すると、小さく「わかった」とだけ言ってズカズカと大股で歩き、リュウイチの向かいまで来ると恐る恐る腰を落とし、腰をようやく落ち着けるとフーッと荒く息を吐く。


 せ、生理で機嫌が悪いのかな?


『あ、あの……』


「いやー、寒いね!

 部屋ん中があったかいのは良いんだけどさ。

 ローマ風の御屋敷ドムスも冬は考えもんだね」


 ビビりながら話しかけようとしたリュウイチに気づかず、首に巻いたままになっていたストールを取りながらリュキスカがそんなことを言うと、リュウイチは出鼻をくじかれ、思わず口籠くちごもってしまう。


『あ、ああそうだね。

 冬はこれからなんだろう?

 ここら辺はどれくらい冷えるもんなの?』


 ストールを畳むリュキスカを見ながら気を取り直したリュウイチは話を合わせたが、その声は上ずっていた。


「んー、今月末が冬至で、その次の月ぐらいが一番寒いかなぁ。

 アタイもアルトリウシアの冬は二回目だし、去年は妊娠出産でほとんど部屋ん中で過ごしてたからあんまり分かんないんだけどね。

 雪は聞いてたほど降んないみたいだね。

 山の方は凄いらしいけど、ふもとはそんなでもないってさ。

 朝、氷は張るけど、午後には溶ける感じ?

 アルビオンニウムよりはずっと暖かいよ……って、兄さんはアルビオンニウムの冬がどんなか分かんないか」


 リュキスカがハハッと短く笑い、リュウイチもつられて笑うが、表情だけ笑ったところで声を出す前にリュキスカが表情を消した。


「で、話って何なの?」


 リュウイチは思わずゴクリと喉を鳴らす。美人の無表情は怖い。


『あ、うん……えっと……話の前に訊くけど、具合はどう?』


「ああ、昨日まで辛くて起きてらんなかったけどね。

 おかげさまで今朝はもう大丈夫さ」


『そう、そりゃよかった』


「で、話って何なの?」


 リュウイチは俯き、額に手を当ててフーっと息を吐き出した。


 やっぱ機嫌が悪いのか?


「どうぞ……」


 気を利かせたネロが熱い香茶の入った茶碗ポクルムをリュウイチとリュキスカの前にそれぞれ出した。湯気と共に立ち昇る豊かな香りがリュウイチの鼻をくすぐり、リュウイチは黙って手を伸ばした。ネロとリュキスカが何故か睨み合っていたが、リュウイチは自分のことでイッパイイッパイだったので気づいていない。


『話って言うのは大きく二つある』


 手に取った茶碗を両手で包み込むように持ち、それを覗き込むように香りを楽しみながらリュウイチは口を開いた。リュキスカがネロを睨むのを止め、リュウイチに視線を戻す。


『一つは赤ちゃんの事だ』


「フェリキシムス?

 アタイの子がどうかしたのかい?」


 リュウイチが顔を上げると、リュキスカと目が合った。意外と怖い顔してなかった。


『その、オトから赤ちゃんが泣くと変なことが起こるって話を聞いてね』


「変なこと?」


 リュキスカの顔がいぶかしむように小さく歪むが、リュウイチはそのまま続けた。


『ちょっと調べたんだが、どうやら魔力を持っちゃったみたいなんだ』


「……」


 リュキスカが話の理解が追い付かずに固まってしまったのは、話を進めるうえでリュウイチにとっては却って助かったかもしれない。リュウイチはそのまま続ける。


『魔力を持った赤ちゃんは泣いたりする時に、泣き声と一緒に魔力を発散させてしまうそうなんだ。

 その発散した魔力に周りの精霊エレメンタルたちが反応して、例えば風が吹いたり、火が強くなったり、水が暴れたりとかするらしいんだ。

 オトがそれらしい現象に気づいて私に報告し、それで……君には黙ってたけど、《風の精霊ウインド・エレメンタル》に調べさせたんだ』


「ちょ、ちょっと待っておくれよ!」


 話に理解がようやく追いついたのかリュキスカが取り乱しながらテーブルに手を突き身を乗り出してきた。


「そ、それっていつの話だい!?」


『一昨日』


「お、一昨日……」


 唖然とするリュキスカにリュウイチは続ける。


『《風の精霊ウインド・エレメンタル》によると、確かに赤ちゃんは魔力を持っていて、周りの精霊エレメンタルがそれに反応していたらしい。

 部屋の中に変な風が吹いたりとかしてたんだろ?』


「いや、あの……言われてみれば……そうかも?」


 先ほどまでの機嫌の悪さもどこへやら、すっかり険がとれたリュキスカにリュウイチは平常心を取り戻した。


『このままだと赤ちゃんが泣くたびに精霊エレメンタルたちが反応し、事故が起きるかもしれない。

 突風が吹いて物を壊したり、火事が起きたり……』


 リュキスカは急に不安になったのか、ソワソワし始めた。


「ええ、そ、それじゃ一体……」


『それを防ぐために、実は一昨日から《風の精霊ウインド・エレメンタル》に赤ちゃんの面倒を見させている。

 赤ちゃんが泣いて魔力を発散させても、《風の精霊ウインド・エレメンタル》が他の精霊エレメンタルたちを近づけないよう見張ってるんだ。

 多分、《風の精霊ウインド・エレメンタル》が居る限り、赤ちゃんの魔力のせいで変な事故が起こることはないはずだ』


 ソワソワと身体を揺すっていたリュキスカがピタリと止まる。リュウイチに向けられた眼差しは何か救いを求めるようだったが、それも落ち着きを取り戻した。


「そ、それじゃ、あの子は大丈夫なのかい?」

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