第1340話 《風の精霊》召喚

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



『《風の精霊ウインド・エレメンタル》!』


 リュウイチが天井を見上げるようにして呼ぶと、閉ざされた部屋の中に風が渦巻き、室内のロウソクが一斉に揺れる。が、それも一瞬で納まり、気が付くとリュキスカとリュウイチの間にあるテーブルに置かれたロウソクの真上辺りに、何やら小さな渦巻きが生じていた。そこだけ空気が濃くなっているかのように、反対側の景色が揺らいで見える。


『《風の精霊ウインド・エレメンタル》、リュキスカに挨拶を』


 リュウイチが言うと、小さな旋風つむじかぜは一瞬ぶわっと膨らみ、ゆらゆらと揺れ、またすぐに元のようにおとなしくなった。


『リュキスカ様、リュウイチ様が眷属、《風の精霊ウインド・エレメンタル》にございます』


 室内には誰の声もしないのにリュキスカの頭の中に声が響き、リュキスカは反射的に身体を震わせた。


「え、あ、うん?

 ……コレが?!」


 目の前の旋風が《風の精霊》だと気づいたリュキスカは身体を横にずらし、《風の精霊》を避けるように反対側のリュウイチを覗き込みながらいぶかしむように尋ねた。もしも《風の精霊》が人間だったなら、リュキスカの行動はかなり失礼かもしれない。

 リュキスカはコイツが自分とフェリキシムスに付けられた精霊なのかという意味で尋ねたのだが、リュウイチはコイツが《風の精霊》なのかという意味で受け取った。


『あ、ああ、これが《風の精霊ウインド・エレメンタル》で、一昨日から赤ちゃんと、あと君の様子も見てもらってる……』


 リュウイチが戸惑いながらそう答えると、リュキスカは渋い表情で身を引き、それから首だけを動かして《風の精霊》に向き直り、フーン……と何とも言えない声を漏らしながらまじまじと観察し始める。怪しむような眼だ。


『……えっと、前に見てるよね?』


 リュキスカはリュウイチの質問に気づくと身体を起こし、上体を背もたれに投げ出すようにしてリュウイチに答えた。


「え!?

 ああ、先週でしょ?

 うん、憶えてるよ……

 アルビオンニウムで何があったか知ろうとして呼び出した奴だろ?

 ただ、なんてぇの?

 コレがアタイらについてたのかって思うとさ?

 全然気が付かなかったし?」


 その硬い声に怒られているような気になったリュウイチは無意識に頭を掻いた。


『ああ、その、具合が悪い時にまた騒ぎになっちゃ迷惑かと思って……

 誰にも気付かれないようにって言いつけてたんだ……

 その、具合が良くなってからキチンと説明するつもりだったんだ』


「ふーん……」


 リュキスカは顔を仰向けてリュウイチをジッと見たまま腕組みし、膝を組む。


『で、《風の精霊ウインド・エレメンタル》。

 多分、話は聞いてたと思うけど、赤ちゃんは今後も大丈夫なんだな?』


 コホンと小さく咳払いしたリュウイチが、まるで威厳を取りつくろうかのように努めて低い声で尋ねると、旋風は愉快そうにゆらりと揺れた。


『もちろんでございますとも!

 わたくしが居る限り、野良のら精霊エレメンタルごときに悪戯いたずらなどさせません』


「へぇ~……そりゃ、ありがたいけど……へぇ~……」


 リュキスカは組んでいた膝を降ろし、上体をゆっくりと起こした。そして身体がまっすぐになったように見えた瞬間、急に表情を硬くして身体を強張らせ、すぐに何かを諦めたようにフンッと小さく溜息をつき、身体を弛緩させながら顔をどこでもない方へ背ける。


 ……何かあったのか?


 リュウイチは、再びそこはかとない不安に襲われた。そんなリュウイチに気づいたわけでもないだろうが、リュキスカは顔をリュウイチへ向けた。


「そういや、アタイのことも見てくれてたんだっけ?」


『え、ああ、うん……具合が悪そうだったから赤ちゃんのついでに様子を見て、良くしてあげてとは頼んであったけど?』


 リュキスカの左半分が奇妙にゆがむ。


「それってさ、昨日ぐらいから部屋の中だってのに何だか、気持ちいい風が吹いてくれてたんだけど、それが……そう?」


『そ、そうかな?』


 リュウイチが答えに困って視線を《風の精霊》に送ると、旋風はまた機嫌よさそうにフワリと揺れた。


『もちろんですとも!

 心地よい癒しの風はわたくしの得意とするところです』

 

 頭の中に響く《風の精霊》の声はどこまでも軽やかで楽し気だ。それに釣られるようにリュキスカの顔も微笑む……何故かその笑顔がどこか残念そうに陰って見えるのは気のせいだろうか。


「あぁ、そりゃ助かったよ……おかげさんで昨日からだいぶ楽なんだ」


『そうでしょうとも!』


 《風の精霊》は誇らしげである。が、リュキスカは表情を再び曇らせ、何か気になることを思い出した風に首をひねった。


「……こないだからオトさんがブツブツ独り言言うようになったんだけど、ひょっとしてそれも《風の精霊ウインド・エレメンタル》様が関係してんのかい?」


 それについてはリュウイチは分からない。リュウイチが不安そうに《風の精霊》を見ると、《風の精霊》は自慢気に答えた。


『そうですね。

 主様よりオト殿とは連絡しあうように申し付けられておりますので、チョクチョクお話はさせていただいております』


『あれ、オトには念話の仕方を教えたはずなんだけど……』


 リュウイチが思い出したように尋ねると、《風の精霊》は楽し気に答える。


『たまに忘れて声に出して話しておられるようですね』

 

「あー……わかったよ」


 《風の精霊》の向こうでリュキスカが呆れたような怒ったような、低い声で唸るように言った。思わずリュウイチの表情が硬くなる。


『えっと……リュキスカ……さん?』


 恐る恐る尋ねるリュウイチに、リュキスカは背もたれに身を投げ出した。


「あー、うん、いやいいんだけどさ。

 できればこういうのって、前もって言ってほしいなって思ってね」

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