第1185話 車割り問題

統一歴九十九年五月十日、夜 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ/アルビオンニウム



「なるほど、ではお二人はペイトウィンホエールキング様に盲従しておられるわけではないのだな?」


 カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子はそう言うとチラリと向かいに座るルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアの顔を見た。カエソーの目に映るルクレティアの表情はおそらくカエソー自身の今の表情と似たようなものだろう。報告をしてきた神官フラメンにカエソーは「下がって良い」と手ぶりで示すと、神官はサッと深くお辞儀をして二人の前から辞去した。

 神官は元々アルビオンニウムでの祭祀を補助するためにルクレティアに付き従って来ていた者の一人で、今はジョージ・メークミー・サンドウィッチとアーノルド・ナイス・ジェークの二人の身の回りの世話を手伝っている。元々、メークミーの世話はスカエウァ・スパルタカシウス・プルケルの部下たちがやっていたのだが、新たにナイスが捕虜に加わったことや、今後さらに捕虜の人数が増えるであろうことを踏まえてルクレティアの部下からも人手を割いもらったものだ……というのは建前で、実際はここ数日でカエソーのスカエウァに対する信頼が揺らいできたことから、ルクレティアに信用の出来る人物を捕虜の監視役として貸し出してもらったというのが本当のところであった。

 実際の所、『勇者団』ブレーブスのメンバーは全員が全員、ムセイオンの聖貴族であることから下手に一般の軍団兵レギオナリウスたちを近づけることが出来ない。高貴な者の世話は高貴な者がしなければならないのが世の常識……そして神官は降臨者というこの世界ヴァーチャリアで最も高貴な存在に奉仕する役目を負ってもいるので、現状で機密を保持したまま彼ら聖貴族の世話が出来るのは神官しかいなかったのだ。

 それでスカエウァの部下たちにその役目を担わせていたのだが、肝心のスカエウァ自身がムセイオンの聖貴族という存在を目の当たりにして舞い上がってしまっており、聖貴族におもねるために色々と面倒なことをしてくれている。どうも捕虜である聖貴族たちに便宜を図りすぎるのだ。


 もしや彼の忠誠は既に伯爵家には無く、聖貴族に捧げられているのではないか?


 さすがにそこまではとカエソー自身も思ってはいるが、しかし全面的に信用できなくなっているのも確かだった。その戸惑いは彼の部下である神官たちの一部も共有してはいたが、しかし神官たちはスカエウァの部下である以上スカエウァと伯爵家のどちらを取るかと問われればスカエウァを取らざるを得ないだろう。

 まさか身内に裏切り者を抱え、しかもその裏切り者に万事を託すような真似は出来ない。そこでルクレティアから部下の神官を何人か借り受けていたのだが、どうやらその用心は功を奏したようだ。スカエウァの部下たち……すなわちプルケル家の神官たちからの報告には無い情報がルクレティアの部下たちから上がるようになってきたからだ。

 最初の内こそナイスもメークミーも虜囚りょしゅうという状況に緊張しているのか、それともレーマに対する敵愾心てきがいしんから警戒していたのか、二人とも互いに口を閉ざすことが多かったのだが、今では二人とも互いによくしゃべるようになってきていた。二人は二人だけで会話する時は英語で話をしているのだが、スカエウァの部下たちにしろルクレティアの部下たちにしろ、彼らの世話を命じられた神官たちには英語が分からないフリをするようあらかじめ命じておいたのが功を奏したのか、周囲にカエソーやルクレティア、スカエウァなどの貴族の姿が見えないときは二人はもう遠慮しなくなってきている。

 その二人の会話から分かったことについて神官たちに報告させているが、どうもスカエウァの部下から上がって来る報告は不可解な偏りが見られるようになってきていた。おそらく、スカエウァがカエソーへの報告の一部にフィルターをかけているのだろう。


 どういうつもりなんだか……


 スカエウァの実家プルケル家はルクレティアのスパルタカシウス氏族に属するがサウマンディア属州の神殿を営む神官の一家であり、伯爵家としても世間一般の認識でも伯爵家の臣下と見做みなされている。おそらくプルケル家でもそういう認識だろう。スカエウァの以前の態度もそうしたものだったはずだ。にもかかわらずここ数日のスカエウァの態度……本来ならば何らかの対応をすべきなのだろうが、しかしカエソーとしては決定的な裏切り行為にまで及ばない限りはプルケル家に対応を求めたり本人を罰したりといったことはしないつもりでいた。どのみちスカエウァは近い将来、ルクレティアの父ルクレティウスの養子になることが決まっていたからである。そうなればスカエウァは少なくとも伯爵家の臣下ではなくなる。サウマンディアに今後も留まるというのなら筋を通してもらわねばならないが、出ていくというのなら多少のことはどうでもいい。その後のことはスカエウァ自身の責任である。


 カエソーは溜息をついた。それはカエソーがスカエウァを見限ったが故の溜息だったが、ルクレティアはそうとは思わなかった。


ペイトウィンホエールキング様は、彼らと離しておかれますか?」


 捕虜同士を引き離してはならない……戦時捕虜に対する人道上の配慮について、この世界にも降臨者を通じて《レアル》から伝わっていた。メークミー、ナイス、そしてペイトウィンを戦時捕虜として扱うのであれば、彼らは引き離して孤立させるようなことは出来ない。警備上の都合からも、機密保持の観点からも、彼らはひとまとめにした方が良いはずだ。

 しかし、神官が報告した二人の会話からすると、メークミーとナイスはペイトウィンが来ることに不安を感じており、むしろ歓迎していない様子ですらある。会話の内容……二人の懸念が事実であるならば、ペイトウィンとメークミー、ナイスの二人とを一緒にしない方がよさそうな気もしてくる。

 ルクレティアは彼らの処遇について責任を持つべき立場にはなかったが、しかし《地の精霊アース・エレメンタル》という戦力が『勇者団』への対応で欠かせない存在となっている今、自分自身を関係者の一員と自覚するようになっていた。


「んっ!? ああ! そうですな……」


 カエソーはルクレティアの声で現実に引き戻された。

 二人はグルグリウスを送り出した後、中座してしまった食堂トリクリニウムへ戻り、中断してしまった夕食を遅れて取り終えたところだった。空になったデザートの皿が下げられ、今彼らの目の前には食後の香茶を淹れた茶碗ポクルムが湯気を立てている。


「それは御本人たちの話を聞いてから決めればよいでしょう。」


 カエソーが茶碗に手を伸ばしながら答えると、ルクレティアは深呼吸するようにわずかに背を伸びあがらせた。実際、溜息でも押し殺しているのかもしれない。


「閣下、貴人をお運びするための馬車が足らないのではありませんか?」


 ちょうど茶碗に口を付けようとしていたカエソーはルクレティアのその一言にピタリと動きを止めた。


「貴人用の馬車は二台しかありません。

 一台はスパルタカシウス家の、もう一台は閣下が御乗りのシュバルツゼーブルグ卿からお借りした一台です。そちらに殿方が乗りいただいておりますが……」


 ルクレティアが状況を整理しようと説明し始めたところでカエソーは手をかざし、ルクレティアを遮った。そして悩まし気に眉を寄せ、香茶を一口啜って茶碗を降ろす。


 そうか……馬車を都合つけねばならなかったか……


 レーマ帝国では路面にできるわだちの幅が不ぞろいにならないよう、馬車の車輪の間隔が決められている。路面にできた轍の幅と馬車の車輪の幅が合わないのに無理に走っていると馬車が壊れやすくなってしまうからだ。馬車の車輪の幅が決まってしまうと必然的に馬車のキャビンの幅も決められてしまうことになり、その中に据え付けられる客席の幅も制限を受けることになる。一般的なベンチシートなら大人三人座れるか程度だ。が、貴族用の馬車となると座席一人分あたりの幅を広くし、ゆったりとした余裕を持たせるため一列あたり二人分しか幅を取れない。それが前後に向かい合わせになるので一台当たりの乗客の数は四人となるのが一般的だ。そのほかに御者や馬丁、従卒なども同乗するが、それらはキャビンの外側に乗るので勘定には入れない。


 現在、カエソーたちの一行には一台あたり四人乗れる貴族用の馬車が二台ある。合計八人の貴族を運ぶことが出来るわけだが、頭数が八人以下なら問題ないかというとそうでもない。誰と誰が便乗するのかは、特に貴族ノビリタスにとっては微妙な問題だ。乗り合わせた者同士の関係性を、世間に疑われることもあるからだ。

 ルクレティアのような未婚の女性が家族でも親戚でもない異性と同乗するなどということはあってはならない。父や兄などの男性の保護者が同乗していれば問題ないが、未婚の女性が保護者以外の男性と馬車で同乗したとなればそれだけでゴシップのネタとなってしまう。そもそも、女性が夫や父の同席無しで家族以外の男性と食事を共にしただけで「ふしだら」と言われてしまうような男尊女卑だんそんじょひ社会なのだ。よって、二台の内一台はルクレティアが乗ることになり、残りの一台に男性が乗ることになる。

 しかしペイトウィンが加わると一行の中の男性貴族は五人になってしまう。一台には乗り切らない。一応スカエウァはルクレティアの従兄であるため、ルクレティアの馬車に便乗出来ないこともない。実際、アルビオンニウムからここグナエウス砦に来るまでの間、スカエウァはルクレティアの馬車の方に便乗していた。残り一台の方にカエソー、ペイトウィン、ナイス、メークミーの四人を乗せられればそれで問題は無くなる。が、ここへ来てナイスとメークミーがペイトウィンが来ることに不安を感じているという。もしも彼ら捕虜たちが反抗を企てることを未然に防ごうと思うのならば、ナイスとメークミーの懸念に配慮してペイトウィンをナイスとメークミーから引き離した方がいいだろう。だがペイトウィンとナイス、メークミーの二人を引き離すとしたら、今度は男性用だけで馬車が二台必要ということになり、馬車が足らなくなってしまう。

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