第429話 乾坤一擲

統一歴九十九年五月五日、深夜 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



 ホブゴブリンはヒトに比べて平均身長はやや低いくらい。育ちの良い貴族ノビリタスならばヒトと同じくらいの背丈にはなるが、平民プレブスは平均的なヒトの成人より頭半個分くらい背が低い。しかし、全体に体格がガッシリしており、体脂肪率が低く筋肉量は同じくらいの背丈のヒトの二倍くらいは普通にある。その分、体格の割にドッシリと重く、パワーがあり、背が同じくらいのヒトと格闘して負けることなどほぼあり得ない。ヒトの方が背が勝っていたとして、体重が同じくらいのヒトと戦ったとしても、筋力量の差からホブゴブリンの方がかなり高い確率で勝利するだろう。ホブゴブリンとヒトの軍勢同士が白兵戦を演じれば、ホブゴブリンの方が勝ってしまう。もし、どちらが勝つか賭けをしたとして、ヒトの方に掛けるのはよほど酔狂な博打狂いだけだろう。


 鉄砲が普及する前の時代、そんなホブゴブリンにヒトが対抗するには、なるべく白兵戦を避けて射程兵器で戦力を削るのが最善の手段とされていた。距離を詰めさせず、距離を保ったまま投げ槍や弓などでダメージを与えていくのである。

 ヒトがホブゴブリンに優る要素があるとすれば、第一にスタミナ。第二に肩関節の可動域の広さだった。ゴブリン、ホブゴブリン、そしてドワーフは肩関節の可動域がヒトより狭く、腕を高く上げることが出来ない。オーバースローで物を投げることが出来ず、また雲梯うんていも出来ないのだ。この為、投擲兵器での勝負なら、ヒトは筋力で圧倒するはずのホブゴブリンといい勝負を演じることが出来た。そして、短距離走ではホブゴブリンの方が速いが、長距離走ではヒトの方が圧倒的に速い。ゆえに、脚を使って距離を保ちながら遠距離から攻撃するのは、対ホブゴブリン戦では非常に有効だった。


 しかし、そうした戦法は鉄砲の出現によってあまり意味のないものとなってしまった。体格の差から種族ごとに使える鉄砲の大きさや威力の限界に差はあるが、レーマ帝国では基本的にすべての種族で共通して使えるサイズを統一しているので、種族の差による戦力の差というものは、戦場ではほぼ無くなってしまっている。軍隊同士の野戦はおおむね火力戦が主であり、白兵戦の頻度は極めて低いものになってしまったからだ。

 これはある意味、帝国において種族間の社会的地位の格差が解消される一つの要因として後世の歴史家たちによって評価されることになるのだが、それはまた別の話である。


 何故なら今、そうした種族の違いによる戦力差というものが極めて顕著に作用する白兵戦が、それも屋内で展開されていたからだった。


 ガンッ!!


「クッ!?」

「ヘッ♪」


 ファドは暗闇からリウィウスに奇襲をしかけたが見事に防がれてしまった。リウィウスにファドの姿は見えていなかったが、カルスの助言で右側に意識を集中していたおかげで、わずかな物音と一瞬の光の反射からファドの攻撃に対処することができたのだった。

 ファドは光が反射するのを嫌い、自分の舶刀カットラスはあえて抜かないままでいた。リウィウスを脇から蹴り飛ばして退けたところで、ヴァナディーズに向けて太矢ダートを叩き込むつもりでいた。

 ところがその奇襲を読まれてしまい、リウィウスが持っていたラウンド・シールドで防がれてしまう。ファドは全力で蹴りに行ったにも拘わらず弾き返されてしまったのだ。これがもしリウィウスがホブゴブリンでなくヒトだったら、シールドで防いでも衝撃を受け止めきれず、よろけて尻餅くらいついていたかもしれない。

 ファドは一旦後退するしかなかった。バランスを崩したファドに、リウィウスはグラディウスを繰り出していたからである。


「ヒトにしちゃ中々強ぇな、ファドさんとやら…

 ひょっとしてアンタもゲイマーガメル様の血ぃ引いてんのかい?

 だが、屋内でヒトがホブゴブリンとまともに戦うのぁ苦しいぜ。

 こっちだってもうくれぇのに目も慣れてきてんだ。

 悪いこたぁ言わねぇ、大人しくケツまくっちまいな。

 奥方様ドミナから言付ことづかったお使いを果たすがいいぜ。」


 リウィウスは実際にはまだ目が慣れてなかったしファドがどこに居るかも見えていなかったが、おそらくそこにいるであろう場所に向かって話した。しかし、ファドからの返事は無い。それどころかファドは完全に気配を消しているらしく、足音も呼吸の音も聞こえなかった。

 むしろ、ヨウィアヌスの呻き声のほうがよほど大きく、耳障りなくらいだ。


「う~~、クソッ、クソォ…」


「ヨウィアヌス!コッチ来て御婦人方ドミナエを護れ!

 あと、いいからポーション使っちまえ!!」


 リウィウスが指示するが、ヨウィアヌスは鼓膜をやられていてリウィウスの言っていることなど聞こえない。それどころか、平衡感覚にまで影響が出ているらしく、部屋の隅で壁や壁際の家具を手掛かりに、立ち上がろうとしてはコケるのを繰り返していた。


『とっつぁん…オレ…ポーション使ったぜ?』


 リウィウスの足元からカルスが小声で指示を求めてきたが、リウィウスは躊躇すらせずに小声で答えた。


『お前ぇはそのままだ。』


 ポーションを使ったという事はもう回復しているはずだ。立ち上がればそれだけで戦力として期待できるだろう。だが、リウィウスはあえてカルスを伏兵として使うことにした。


 バカンッ


「ぐあっ!?」


 暗闇の向こうからヨウィアヌスに椅子が投げつけられ、ヨウィアヌスは悲鳴をあげてその場に尻餅をついた。


「ヨウィアヌス!?

 ヨウィアヌス!!」


「くっ、クソォ、ヤロォ…」


 ヨウィアヌスは壁沿いで尻餅をついていたが、円盾パルマを構えなおし、すれたガレアを直すと、一度落としてしまった剣を拾い上げて壁に背を預けながらゆっくりと立ち上がる。


 ガンッ!


「っとぉ!?」


 ヨウィアヌスに再び椅子が投げつけられたが、今回ヨウィアヌスは円盾で防いだ。そのまま椅子が飛んできた方を睨むがやはり何も見えず、壁に背を点けたまま円盾と剣を構えて肩で息をしている。


「ヨウィアヌス!早くこっち来い!!」


 助けに行きたいがリウィウスの背後にはルクレティアたちがおり、守らねばならないため助けに行けない。そうしている内にヨウィアヌスには茶碗ポクルム水差しヒュドリアなどが次々と投げつけられる。ファドはヨウィアヌスが暗闇に向かって突っ込んで来るのを期待しているのかもしれない。ヨウィアヌスがいる場所は窓から入って来る光が届いているため、ファドはそっちには行けないが、暗闇に飛び込んで来てくれれば倒せると踏んでいるのだ。。

 ヨウィアヌスとしても出来ることなら突っ込んで行ってシールド・バッシュを食らわせたのちに剣を突きつけてやりたいところだったが、鼓膜がやられて音が聞こえない上に平衡感覚が失われたまま未だ回復しないのでそれができないでいた。ただ、このままではジリ貧なのも確かで、何とかしたいと焦れる気持ちを募らせていた。

 いや、真の狙いはリウィウスを今の場所から動かすことだ。ヨウィアヌスを追い詰めることでリウィウスが助けに行けば、ファドはその隙にヴァナディーズを襲うことが出来る。しかし、リウィウスはそれくらい予想できていたから、ヨウィアヌスを気遣いながらも動かないでいた。


 だがそうこうしているうちにヨウィアヌスの足元には投げつけられた椅子や茶箪笥の引き出し、茶碗や水差しの破片などが積み重なり、気づけばヨウィアヌスは膝ぐらいまで瓦礫で埋められてしまっていた。ヨウィアヌス自身はまだ円盾と剣を構えて立っていたが、あれでは簡単には動けないだろう。

 ヨウィアヌスに物を投げつけるペースが数秒に一回から十数秒に一回に減り、やがて数十秒に一回ぐらいになる…。


『とっつぁん、また来るぜ…

 右に回り込んで来る…』


 リウィウスが下を見おろすと、カルスと目が合った。リウィウスは右手に持った剣を握りなおすように手首をクィックィッと動かし、小さく頷く。カルスはそれで理解したらしく、円盾の影に隠した剣を握って頷いた。


 ドンッ!


「ぐあっ!」


 リウィウスの右腕に衝撃が走り、リウィウスの身体が左へ吹っ飛ぶと、入れ替わるようにファドが暗闇から姿を現していた。その手には例の太矢ダートと抜き身の舶刀が握られていた。


「「「「きゃあああーーーっ!!」」」」


 女たちの悲鳴が上がるのと、カルスが円盾を跳ねのけ、剣を下からファドめがけて突き出すのは同時だった。

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