第1296話 自覚なき脅迫

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 室内には何本もの燭台が並べられ、昼間のようなというほどではないにしろ、手元の本を読むのに問題ない程度に明るさを提供している。そのオレンジ色の光は床のみならず壁や天井も照らしていたが、遠い壁や天井よりはより火に近い人の顔の方を明るく照らすため薄暗い背景に浮き上がって見える。更に背景が影があればそのコントラストは余計に強調され、存在感はより一層高められることになるだろう。

 そうした視覚的効果もあってかティフの目にグルグリウスの姿は一層印象的に見えた。燭台の光が遮られることによって出来る影が天井にまで伸びているのは、この室内にいる人々の中でグルグリウスだけだったのだから、その視覚効果はより強烈なものとなっていたのだった。

 何の感情も浮かんでいないグルグリウスの赤い眼はティフをジッと見下ろしている。ゴクリ……無意識にティフが喉が鳴らした。


「グルグリウス殿……

 貴殿ならば『勇者団』ブレーブスの残りの皆様を探し出し、捕まえてくるのに一週間もあれば十分ではないかと私は思っているのですが、どうでしょうか?」


「居場所が分かっていれば造作もありません。

 その居場所も、精霊エレメンタルの皆様の御支援をたまわれば容易に知れることでしょう」


 ティフに対するダメ押しの警告……カエソーの意図を察したグルグリウスが何の表情も浮かべぬまま冷徹に答えると、斜め後ろに立つグルグリウスを振り返って見上げていたティフは正面に座るカエソーへバッと向き直った。


「グルグリウス殿は《地の精霊アース・エレメンタル》様の眷属ですが、《地の精霊アース・エレメンタル》様の御意向に背かぬ範囲であれば、報酬次第で我々の依頼を請け負ってくださるのですよ。

 ペイトウィンホエールキング様を捕えてくださったのも、私の依頼によるものです」


 ティフが悔しそうに唇をゆがめる。カエソーは自分がこうまで『勇者団』に対して強気に出れる理由を示したわけだ。投降する……そう口約束だけしておいてレーマ軍の追及の手を緩めさせ、実際には投降せずに降臨術のための時間を稼ぐというティフの目論見はどうやら叶いそうにない。


「いかがでしょう、前向きに御検討いただきたいのですが?」


 カエソーを見つめるティフは、追い詰められた者に特有の何とも言えない歪んだ表情をしていたが、カエソーがそのとどめの一言を発すると何故かフッと笑った。


「閣下。

 閣下はやはり『勇者団俺たち』を甘く見ているようだ」


 意外な抵抗を見せるティフにカエソーはオヤッ!?と驚いたような表情を浮かべる。


「『勇者団俺たち』に提示できる材料が自身の投降以外にないと思っているな?

 だがそれは違うぞ、『勇者団俺たち』にも提示できる交渉材料はあるのだ」


「ほう、聞きましょう。

 それは何ですか?」


 ティフの言葉をハッタリか何かだと決めてかかったカエソーは余裕たっぷりに続きを催促した。


「時間だ」


「時間?」


 カエソーは顔をしかめて訊き返した。時間が無いのは『勇者団』の方だったはずだ。それなのにレーマ側との交渉材料に時間を提示するなどおかしな話である。カエソーが耳を疑ってしまったのも当然だろう。しかしティフは奇妙な薄笑いを浮かべて自信ありげに話を続ける。


「知っているぞ、お前たちは早くアルトリウシアへ行きたいのだろう?」


「まぁ、そうですな」


「だがここから先の街道は封鎖されている。

 ダイアウルフが出没するからだ」


「『勇者団俺たち』なら、そのダイアウルフを始末できる」


「……」


「『勇者団俺たち』の中には調教師テイマーがいるんだ。

 モンスターを手懐てなずけ、使役する魔法みたいな能力スキルの持ち主だ。

 彼の手にかかればダイアウルフごとき、どうにもでできる。

 街道から引き離すことも出来るし、逆により積極的かつ巧妙に街道を通る者を襲撃させることも出来るだろう」


「!!」


 カエソーの顔が一瞬で強張った。ティフとしては純粋にダイアウルフを除いてカエソーたちがアルトリウシアへ早くたどり着けるようにすることを条件に、『勇者団』の投降までの猶予期間を引き延ばすつもりだった。だがカエソー側からすれば街道の安全を人質にされたようなものだった。

 カエソーの手元にはサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの精兵がそれぞれ二個百人隊ケントゥリアずつ計四個百人隊もの手勢が居る。ほとんどすべてが軽装歩兵ウェリテスだが、いずれもそれぞれの軍団レギオー第一大隊コホルス・プリマに所属していた精鋭部隊だ。カエソーたちがその気になればダイアウルフが出没する街道であってもアルトリウシアへ向けて強行突破するくらい造作もない。カエソーたちがそれでもグナエウス砦ブルグス・グナエイに留まっているのは、ダイアウルフを掃討するまで待機してほしいというアルトリウシア側からの要請があったからこそだ。本来ならティフの提示した条件は交渉材料にはなりえない。

 だがティフは言った。「積極的かつ巧妙に街道を通る者を襲撃させることも出来るだろう」と……これはつまり、『勇者団』がダイアウルフを操ってグナエウス街道で通商破壊トレーダー・レイドを行うことを示唆していた。


 アルトリウシアは先月のハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱事件からの復旧復興の真っ最中であり、グナエウス峠が積雪によって通行不能となる前に可能な限りの救援物資を運び込むためにアルビオンニア侯爵家とアルトリウシア子爵家が全力を挙げて輸送作戦を展開している真っ最中である。アルトリウシアの被災者たちが厳しい冬を乗り越え、生きて春を迎えることができるかどうかはこの作戦の如何にかかっているのだ。そして、この作戦のみならず、アルトリウシアの復旧復興には、暗黒騎士リュウイチ》も多大な関心を寄せているのである。

 リュウイチは温厚な性格だが決して無関心なわけでも消極的なわけでもない。リュウイチに攻撃を仕掛けて来た兵士を処刑から救うために莫大な金貨を提示してきたし、叛乱事件の被害に遭ったアルトリウシア住民を救うために膨大な量の財貨と共に治癒魔法薬ヒール・ポーションも提供している。そのおかげでアルトリウシアの復旧復興事業は誰も想像していなかったペースで進んでいる。厳重な警備を抜け出して買った娼婦の息子を救うために、世界的にも希少な万能薬エリクサーをも使ったという。

 武装奴隷ガレアートゥスとして働きたいと希望したネロら奴隷たちに恐ろしい性能と品質を持つ聖遺物アイテムを惜しげも無く与えているし、ルクレティアには《地の精霊アース・エレメンタル》を召喚して身を守らせているが、その《地の精霊》はおそらく戦闘集団としては世界最強の一角であろう『勇者団』を数度に渡り撃退し、アルビオンニアのケレース神殿テンプルム・ケレースではゲーマーでさえほとんど使えない奇跡の大魔法『鉱物操作』ミネラル・マニピュレーションを用いて粉々に砕け散った大水晶球マグナ・クリスタルム・ピラを復活させるほどの実力を持っている。


 いずれもこの世界ヴァーチャリアのどんな王侯貴族や聖貴族であっても難しい偉業だというのにリュウイチにとっては大した負担にはなっていないらしい。リュウイチにとってはいずれもなのだ。

 そしてそうした行為は周囲が諫めるのが間に合わなかったか、周囲の諫めを聞いたうえで遠慮して自重した結果のものであり、周囲が諫めなければそれよりももっとすごいことをしていたであろうことは想像に難くない。少なくとも周囲で困っている人に手を差し伸べ、協力することには何のためらいも感じてはいないようだ。カエソーはリュウイチとは数度の食事を共にした程度の付き合いしかないが、それでもカエソーの見たところリュウイチはその力を使うことを惜しむ人物ではない。そのリュウイチがアルトリウシアのマニウス要塞カストルム・マニでの軟禁状態に大人しく甘んじているのは、純然たる好意によるものなのである。

 アルトリウシアではたくさんの困っている住民が居る。それでも領主貴族パトリキたちは復旧復興に全力を挙げているし、これ以上無理に何かをするとインフレなどの深刻な影響が出かねないから遠慮してほしい……そういう貴族側からの要請があり、貴族たちの面子を立てる意味もあってリュウイチはあえて何もしないでいてくれているのだ。


 それなのにこの状況で侯爵家、子爵家両家の復旧復興事業を何者かが妨害し、両家がそれに対応しきれない事態になったらどうなるか……このままでは領主貴族に任せておけない……リュウイチがそう判断すれば、リュウイチが積極的に動き出してしまうかもしれない。


 暗黒騎士リュウイチ》が誰の制止も聞かなくなったら・……


 カエソーはアルビオンニア属州の貴族ではないが、同じレーマ帝国の属州領主ドミヌス・プロウィンキアエではある。アルビオンニアで何かがあればサウマンディアだって影響を受けないわけはない。カエソーとしてはそのような事態が生起するのを見過ごすわけにはいかないのだ。

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