第338話 魔道具を与えた理由

統一歴九十九年五月一日、午前 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 《レアル》からもたらされる至宝・聖遺物…いずれもこの世界ヴァーチャリアでは真似のできない高度な技術で作られ、信じられないほどの品質を誇っている。その多くは長い歳月を通じて朽ち果てていったが、降臨者の中でもゲイマーガメルと呼ばれる者たちが持ち込んだ魔導具マジック・アイテムの中には風化することも腐食することもなく残されている物もある。その製造に使われる技術は、他の聖遺物と違って完全に謎だ。

 その魔導具を《暗黒騎士リュウイチ》がルクレティアに与えた…それは重大な意味を持つだった。


 この世界ヴァーチャリア全体の秩序の根幹をなす大協約。降臨者…特にゲイマーによって破滅寸前にまで追い込まれた世界を守ることを最大の目的としている。降臨者…特にゲイマーの世界からの事実上の追放。そして降臨者が齎す《レアル》の恩寵おんちょうの独占禁止。その二つが基本方針となっており、それを実現するために細々とした条文によって補足する構成になっている。


 この地アルビオンニアに降臨したリュウイチはゲイマーだ。本来、大協約に従うならば降臨者には即座に《レアル》へ御帰還願わねばならない。世界ヴァーチャリアから追放すると言っても、ゲイマーを強制的に追い出すことなど出来ないから、お願いして御帰りいただくしかないのだ。だが、リュウイチは《レアル》への帰還が出来なくなっているという。

 降臨者が《レアル》に戻れないとなれば、せめて降臨者がこのヴァーチャリア世界に悪影響を及ぼさないよう、なるべく隔離して全世界で管理下に置き、降臨者から得られる《レアル》の恩寵はヴァーチャリア世界の共有財産とせねばならない。


 ルクレティアは間違いなくこの世界ヴァーチャリアの人間だ。彼女が《レアル》の恩寵、その象徴たる聖遺物を個人的にたまわるなどあってはならない。明確な大協約違反になってしまう。リュウイチを現在に置いているエルネスティーネやルキウスといった領主も責任を問われるかもしれない。

 だが、ルクレティアはリュウイチに捧げられた聖女サクラでもある。まだ正式には巫女サセルダにすらなっていないが、将来的に聖女として迎えるとリュウイチ本人の内諾を得た存在ではあった。

 巫女サセルダエは降臨者に捧げられた存在であり、降臨者のとして見做される。その巫女の中から選ばれ、降臨者の、聖女と呼ばれるようになる。巫女が降臨者のならば、聖女も同じだろう。むしろ正式であれ内縁であれであるのだから、それ以上の存在と言って良い。

 で、あるならば…自らの所有物を、自分の所有物で飾って何の問題があるだろうか?


 要するに今回のこの世界ヴァーチャリアで最も重要な法律に抵触する恐れがあるが、同時にグレーな事例だった。特にリュウイチが「聖女に迎えるという証」と言ってしまっている点が大きい。リュウイチが遊びで聖遺物を下賜しようとしたのであれば、それなりに諫めようもあるだろうし「貰ったことにしておいて保管する」などのごまかしようもあるだろう。


 まずはリュウイチ様の真意を確かめねばならん…


 ルキウスはリュウイチの奴隷の一人リウィウスの案内で、リュウイチの謁見を受けるべく応接室タブリヌムへ移動した。


『こんにちは、ルキウスさん…えーっと、ルクレティアはまだ…』


 今日はルクレティアのアルビオンニウム派遣についての話をさせてもらいたいと事前に説明を受けていたため、リュウイチはルクレティアが同室していないことを気にしているようだった。


「御機嫌ようリュウイチ様。謁見のえいよく恐悦きょうえつに存じます。

 ルクレティア様は今はいいのです。先にお話をせねばならないことができたようですので…」


『そうですか?

 ああ、どうぞお掛けください。』


 リュウイチの入室を迎えるために起立していたルキウスは、リュウイチに勧められ「ありがとうございます。」と礼を言いながら、リュウイチが腰を降ろすタイミングに会わせて椅子に座った。


『では、別の御用というのを先にお伺いしましょうか?』


「はい、先ほどお聞きしたのですが、ルクレティア様に魔導具を下賜かしなされたそうですな?」


『あ…ええ、その…やはり不味かったですか?

 一応、ルキウスさんの承諾を得られたら受け取るという事にされたようなのですが。』


 リュウイチは少し目を泳がせ、膝の上で組んだ手の中で親指同士をモジモジと遊ばせながら苦笑いを浮かべる。ルキウスはそれを見てため息をかみ殺した。


「法的な問題で言えば、“グレー”なところでしょうな。

 ルクレティア様を聖女として迎える、その証として下賜されたと伺っております。」


『それは…間違いではありません。』


 リュウイチはそう言うと香茶が湯気を立てる茶碗ポクルムを手に取り、一口すすった。それを見てルキウスも茶碗を手に取り、杖を椅子の肘掛けに立てかけて両手で茶碗を包むように持ち、手の中でゆるゆると転がす。


「ルクレティア様を聖女として受け入れる。その御意志を決められたということでしたら、我々としても歓迎するところです。」


 スーッ…控えめな音を立てながら、ルキウスが香茶を啜る。


「『婚礼の品』…そういう事でよろしいのですな?」


『こん…れい…』


 リュウイチはたじろいだ。こうして改めて言葉にされるとその重さに動揺を禁じ得ない。本人にそれだけの覚悟が出来ていたわけではないという事の何よりの証左ではあるのだが、ルキウスにとってそれはむしろ付け入る隙以外の何物でもない。

 ここでリュウイチの隙に付け込んでルクレティアを聖女として捻じ込んでしまうのは容易だし、リュウイチに対して多少なりとも優位になれるポイントを稼ぎたい上級貴族として、それはなすべき事だった。だが、ルキウスはリュウイチから金を借りている身であり、これから更なる借金を引き出さねばならない身でもある。優位に立てるポイントを稼ぐことは大事だが、タイミングも計らねばならない。今強引に攻めて多少のポイントを稼いだとしても、それで悪い印象を持たれては今後が不利になる。

 ルキウスは狼狽うろたえるリュウイチの表情を見ながら、今その隙に付け込んで攻め立てるべきではないと判断した。


「ルクレティアはあと半年で十六に御成りになられます。レーマ帝国では貴族ノビリタスの娘は十六で結婚しま…ああっ、リュウイチ様が十八までお待ちになられるというお話はもちろん忘れてはおりません。

 ですが、婚礼の品を御贈りするのであれば、ルクレティア様が十六歳になられるのをお待ちになられてからでも遅くはないでしょう。

 恐れながらリュウイチ様も、さほどお急ぎではなられなかったやに推察しておりましたが、何故このようにお急ぎになられるのか、お聞かせいただきますかな?」


 リュウイチは再び香茶を一口啜り、茶碗を膝の上で両手で包み持つと、手の中でその茶碗を転がし、揺れる香茶を見ながら話し始めた。


『覚悟が決まったかというと、実は全然そんなことはありません。』


 まあそうだろうな…とルキウスは内心で思った。


『ですが、彼女の気持ちは分かっているつもりだし、彼女にはいろいろお世話になっているので報いたいという気持ちは、あります。

 彼女が十八になるまで二年と…半年ですか?』


「ええ、十一月生まれのはずですから」


『それだけ待たせることになるわけですが、もしその前に《レアル元の世界》に還る方法が見つかれば、ルクレティアは聖女になれないままって事になります。』


 還る前にルクレティアを抱けばいいじゃないか…というツッコミを入れるほどルキウスは野暮ではない。


『その前に、今私がここヴァーチャリアにいる間に、せめて彼女の成りたかった聖女にならせてあげられたなら…と、そう思いまして…』


「それで魔導具を?」


『そうですね。アレらがあれば、魔法も使えるようになるはずですし…私がヴァーチャリアこっちに居る間だけでも聖女っていうヤツになれるんじゃないかと…』


 そこまで言うとリュウイチはチラっと上目遣いでルキウスの方へ視線を送る。


「しかし、それにしたところで事前に御相談いただければよろしかったでしょうに…何故、昨夜いきなりお渡しになられたのですか?」


 ルキウスは納得したような呆れたようなよくわからない表情で香茶を啜った。

 魔導具を渡そうとした動機はなんとなくわかったが、何故昨日いきなり渡したのかというタイミングについては今までの話では説明されていない。

 リュウイチはパッと顔を上げ、少し表情を明るくして説明を始める。


『あ、それは彼女がアルビオンニウムへ行くというので…それでそれに間に合わせようと準備してたら昨日になっちゃいまして…』


 思わずルキウスはわけが分からないというような表情を作った。ひょっとしてルクレティアがアルビオンニウムへ行ったまま帰ってこないとでも勘違いしてるんだろうか?


「あの…アルビオンニウムに行くと言っても、ほんの一週間ほどですが?」


『ええ、存じてます。でも、彼女は行きたくなさそうでしたし、多分、私から離れて聖女として勤められないのが辛いんだろうと…それで、だから、その、その前に聖女になれたっていう実感を抱ける物があれば、安心して仕事ができるんじゃないかと思いまして…』


「ああ…なるほど…」

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