第376話 罠

統一歴九十九年五月五日未明、ブルグトアドルフ/アルビオンニウム



 都市と都市を結ぶ街道は二つの都市をまっすぐ直線でつなぐのが最も効率が良い。当たり前のことだ。

 だが、現実にそれをやろうとすると色々と無理が出てくる。地形というものを無視することなど出来ないからだ。どのような場所であれ、地形は決して平坦ではない。盛り上がっている土地もあれば逆に落ちくぼんでいる土地もある、山もあれば谷もあるし、川だって流れている。それを無視してまっすぐ直線で結ぼうとすれば、陸を削り、窪地を盛り上げ、トンネルを掘り、無駄に長い橋を架けねばならなくなる。そんな無駄なことをしてはいられないので、当然あらゆる道路は地形に合わせて敷かれるようになる。


 では地形にどう合わせようか?

 地図上ではまっすぐに見えるように、道路をアップダウンさせながら敷くか?それとも山や谷を避けてグネグネと曲がりくねらせるか?

 もちろん、現実には両方の間を取ってバランスよくアップダウンやカーブが連なった道が敷かれるわけだが、基本的な傾向としては後者寄りの、アップダウンを抑えて左右に曲がりくねった道路が敷かれている。少なくともここレーマ帝国ではそうだ。


 その理由は街道を通らせたい通行者が馬車である点にある。動力が馬(あるいはその他の駄獣)という生き物である以上、発揮できる牽引力には限界があったしスタミナにも限界がある。その限られた牽引力でなるべく多くの荷物を効率よく運ぼうと思ったら、無駄なアップダウンを繰り返すよりは多少距離が伸びてもアップダウンの無い曲がりくねった道の方が効率が良くなるのである。

 ゆえに、レーマ帝国の街道はいずれも勾配をなるべく緩やかになるように、そして勾配を付けねばならない場合でも十六%以下になるように定められていた。


 レーマ帝国で統一された規格に準じて作られたここライムント街道も、そうであるがゆえにまっすぐではない。

 今第三中継基地スタティオ・テルティアがある丘のところだけは、かつて存在したアルビオンニウム南の防衛を担うブルグスの防衛上の都合で、あえて約十%の急こう配のまっすぐな坂道になってはいるが、それ以外の部分では基本的になるべくアップダウンを避けて左右に曲がりくねるように敷かれている。

 だから丘の上の中継基地スタティオの見張り台から北を見下ろすと、ブルグトアドルフの街並みは見ることが出来るが、ライムント街道はブルグトアドルフの集落に入った途端に右へカーブしていくため、町中の街道の様子全部を見ることは出来ない。カーブから先は建物の影で街道が隠されてしまうからだ。当然カーブの先にある、人質が集められているという町中央の広場の様子も見えなかったし、その広場のあたりで燃え上がっている炎の詳細も見えない。その周辺が明るくなって火が燃えているらしいという事が間接的に視認できる程度だ。


 中継基地スタティオのある丘からまっすぐ伸びてくる街道へ続く町の入口、そしてブルグトアドルフのカーブの先の広場前で燃え上がっているやけに豪勢な焚火、その両方を見ることが出来る建物の中で、男は息を殺して隠れ潜んでいた。


「くそ…どうなってやがるんだ?」


 わずかに開いた窓の鎧戸の隙間から、松明たいまつを掲げた騎馬兵が町の入口で立ち止まっているのが見える。


「立ち止まっちまったぜ。

 まさかダックスの奴、土壇場どたんばまで来てしくじったんじゃねぇか?」


「まあ待て、がやれって言ったんだ。

 もう少し様子を見よう。」


 中継基地スタティオの兵隊どもを騙して連れて来る役を任された男ダックスは決して要領の良い男ではなかった。むしろ、あの男の朴訥ぼくとつさというか、どんクサい様子が却って相手を油断させるのにちょうど良いと判断されて、今回の大役を担わされている。身体に犬の糞汁クソじるを頭から被る役を押し付けられる相手が他にいないというのも理由にはあるだろう。


「でもよぉ、流石に兵隊相手じゃ…ホントに上手くいくとは思えねぇ。

 今回のはヤベェぜ。」


 たしかにどうみても上手くいくとは思えない作戦だったが、今までがやれと言って失敗した作戦はない。無い以上は反対するわけにはいかない。どのみち逆らえば殺されるのだ。


「だがは言った通りに中継基地スタティオ潰して武器を奪ってきたんだぜ?」


「潰してきたのは第五中継基地スタティオ・クィンタだろ?

 ここらで一番ショボいトコじゃねぇか。

 第三中継基地スタティオ・テルティアは規模が違うんだ。ヤベェって」


「だったらどうしろって言うんだ?

 逃げたところで助かりゃしねえんだぜ?」


 クレーエは窓の外を見たまま、少し声を荒げてボヤく仲間を黙らせた。


「安心しろ、後は一発食らわせて逃げりゃいいだけだ。

 まして俺たち“リベレ”は笛吹いたら追手のかかりにくい西へ逃げるんだし、住民たちにも顔を見られてねぇ。

 失敗して一番ヤベェ思いをすんのは“ホイシュレッケ”の連中だ。」


「アンタが言うならそうなんだろうけどよ。

 ダックスの奴ぁしっかり顔見られてんだぜ?

 それも兵隊に…」


「アイツは“グリレ”だろ?」


「でも俺らの事だって知ってるぜ。

 捕まりゃあ吐いちまうかも…」


「…それはがどうにかするだろ。

 どのみち、もう始まっちまってるんだ。

 いまさらどうにも出来ねぇよ。

 覚悟を決めるんだなレルヒェ。」


 レルヒェは泣いているようにも笑っているようにもとれる、脈動するようなため息を吐いてから言った。


「アンタぁ、何でそうやって落ち着いてられんのか分かんねぇよ。

 クレーエの旦那ぁ、アンタ盗賊になる前は何してたんだい?」


「そういうのは訊きっこなしだぜ?」


 しがない盗賊がこうして軍隊相手に正面から戦いを挑むなんて今まで考えたことも無かった。いや、元々を言えば盗賊稼業に手を染めることすら考えたことなかった。ほとんどみんな堅気カタギな仕事をしていた。

 それが一昨年、フライターク山が噴火してすべてが変わってしまった。家を失い、仕事を失い、家族すら失った。逃げ込んだシュバルツゼーブルグでも食っていけず、居場所も見つけられず、いつしか盗賊なんてするようになってしまった連中ばっかりだった。

 今彼らが名乗っている名前も当然、本名ではない。なるべく意味の無い言葉を選んで自ら付けた偽名である。


 つい先月まではショボい盗みや、強盗を繰り返していた連中だった。クレーエが率いる“リベレ”は当局から目を付けられないようにするため、自分たちはあえてショボい獲物ばかりを狙い、それではやっていけなくなると他の盗賊を襲うというやり方をしていた。

 商人や農民を襲う盗賊も、所詮は素人アマチュアばかりであるせいか自分たちが襲われる側になると意外と脆いのだ。襲われて上前はねられたからと言って復讐しようなんて気概のある盗賊は多くなかったし、仮に殺したとしても盗賊同士の仲間割れと判断されて軍隊が動き出すようなことは無かった。おかげで貴族ノビリタス警察消防隊ウィギレスは彼らのことをほとんど把握していない筈だった。


 そんな彼らの運命が変わったのは三週間ほど前の事だった。

 何処からともなくおかしな連中が現れ、シュバルツゼーブルグ近辺の盗賊たちを次々と討ちとりはじめた。ほとんどの盗賊団は大人しく傘下に入るか、殺されるかした。

 狙うべき盗賊えものの数が減り始めたことにクレーエが気づいた時にはもう遅かった。盗賊えもののいる地域へ移動しようとした矢先、“リベレ”はその連中の罠に嵌ったのだ。

 自分たちが襲った盗賊えものが囮で既に周囲を囲まれていると気づいた時、無駄にあがいてムザムザと殺される愚をクレーエは犯さなかった。試すまでもなく実力差は明らかだったからだ。


 以来、おおよそ盗賊らしからぬことばかりやらされている。飯を食わせてくれるから良いが、ほとんどみんな盗賊らしい仕事はしておらず、訓練だの偵察だの伝令だのと軍隊みたいなことばかりやらされている。

 その挙句がだった。


 理由は分からないがはどうやら、何故かアルビオンニウムにいるサウマンディアの軍団兵レギオナリウスどもを追い払いたいらしい。そのための武器調達として中継基地スタティオの襲撃なんておっぱじめてしまった。


 は傘下に納めた盗賊たちを使って今朝、第五中継基地スタティオ・クィンタを襲撃し武器を奪った。クレーエはそっちに参加してなかったが、奪った投擲爆弾グラナータがこっちに回されてきたから作戦は成功したのだろう。

 そしてその夜のうちに隣の第四中継基地スタティオ・クアルタも襲撃している。結果はまだ知らされていないが、こっちの作戦をヤレと指令がきたということは成功したのだろう。だがそれは一つの失敗も意味していた。予定では返す刀で第三中継基地スタティオ・テルティア警察消防隊ウィギレスをおびき出して皆殺しにし、武器を奪うことになっていたのだ。それも成功していればこっちの作戦は必要なくなる。なのにこっちの作戦を実行しろと言ってきたという事は、第三中継基地スタティオ・テルティア襲撃の方は失敗したのだ。


 “ホイシュレッケ”その他の連中がブルグトアドルフに侵入し住民たちを捕まえて人質にする。そして同時にダックスがブルグトアドルフの皮なめし職人に化けてブルクトアドルフの襲撃をわざと通報、警察消防隊ウィギレスをおびき寄せる。そして、“ホイシュレッケ”たちが待ち構えている広場まで誘導する。

 クレーエたちの仕事は偵察と連絡と合図だった。警察消防隊ウィギレスが広場に入ったのを見計らって笛を吹く。すると周囲の建物に隠れている“ホイシュレッケ”が一斉に攻撃する。万が一失敗した場合に作戦中止と撤収の合図をするのもクレーエの仕事だった。クレーエの仕事にこの作戦の成否のすべてがかかっていると言っても過言ではない。


「くそ、どうした?」


 クレーエが焦れながら見つめる先で、松明を掲げた騎馬兵たちはブルグトアドルフの入口に立ち止まってダックスとずっと話をしている。


 まさかアイツ、俺らを売ったんじゃ…そんな考えが頭に浮かんだ頃、ようやく事態は動き出した。何故かダックスに松明が一本手渡されたと思いきや、十九本の松明を掲げた二十一騎の騎馬兵たちが一斉にブルグトアドルフに突入しはじめたのだ。

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