第685話 聖遺物の返却プロセス

統一歴九十九年五月八日、午後 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



「それでは早速ですが、アーノルド・ナイス・ジェーク殿で間違いありませんな?」


 カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子は席に着くと、目の前で使用人が香茶の入った茶碗ポクルムを卓上に置いていく様子を眺めながら、今更のようにナイスの名前を確認した。


「ああ、その通りだ。

 メークミーのヤツに聞いたんだろう?」


 ナイスはカエソーの話には興味がないとでも言うように、むしろ自分の前に置かれた茶碗の方に興味を示しながら呆気なく認めた。


 先に捕虜になり、仲間の情報を漏らしたメークミーを裏切り者と見做みなすだろうか?‥‥‥そうした懸念からカエソーはジッとナイスの顔を観察しながら、声色だけはそれまでの愛想よさを保ちつつ答える。


「ええ、貴殿のあのミスリルの弓をお見せしたら、お教えくださいました。」


 ナイスはあくまでもカエソーに興味はないことを示すかのように、香茶をれてくれた使用人を視線で追いながらカエソーの答えを聞いていた。そして、メークミーがナイスの名前を教えたことを聞くと、視線はそのままに口をへの字に曲げてフンッと微かに鼻で笑う。


 メークミーがナイスの弓を見せられ、ナイスの名前を教えた‥‥‥そのことは今朝、ナイスの身の回りの世話を焼いてくれた神官から既に聞いていた。今更カエソーから教えられるまでもない。だが、話を耳にしたことがあるかどうかと、納得できるかどうかはまた別の話である。

 身分の低い神官‥‥‥ナイスのような聖貴族コンセクラトゥスからするとただの使用人である。そして、使用人などと言う存在は、使う側の人間からすると必ずしも信用のおける存在ではない。使用人になるのは基本的に身分の低い人間であり、価値観がそもそも異なっている存在なのである。そもそも信用できる出来ない以前の問題で、交流そのものが成立しない相手なのだ。そんな相手が話している事など、簡単に鵜吞みにできるわけもない。下賎げせんの者の言う事に耳を貸さない、そもそも相手にしないのは、貴族にとって自分があやふやな情報に振り回されないようにするための自衛手段であり常識なのである。ではそんな信用のない人間を傍に置いて身の回りの世話を任せられるのか?などと思われるかもしれないが、貴族が信用するのは自分たちと直接接するごく一部の上級使用人アッパー・サーヴァントだけだ。それ以外の下級使用人ロワー・サーヴァントはそもそも近寄らせさえしない。


 とまれ、神官から話を聞いてはいたが、ナイスはまだメークミーが自分の名前を教えたとは信じてはいなかった。が、ここでカエソーが認めた以上、もはや疑うわけにもいかなくなる。


 ということは、スワッグはメークミーの救出に失敗したのか‥‥‥

 だが、俺以外の誰かが捕まったとかいう話はまだ聞いてない。

 スワッグはメークミー救出には失敗したが、脱出には成功したってことか?

 ああ、あとエイーのヤツは無事脱出出来たんだろうか?


 一つの情報が確定してもナイスが抱く未解決の疑問はまだまだ多い。それは、これから目の前にいるカエソーとアロイス・キュッテルから聞き出すほかない。

 ナイスの視線の先に居た使用人はナイスが無言のまま思索を続けている間に茶道具を片付けてとっくに退室しており、既にそこには誰も居なかった。


「ジェーク殿?

 その‥‥‥サンドウィッチ殿は別に貴殿らを‥‥‥」


「ああっ!大丈夫だ。別にアイツが裏切ったとか思っちゃいないよ。」


 無言のまま誰もいなくなった場所をジッと睨み続けるナイスの目が鋭さを増していく様子から、てっきりナイスがメークミーに対して良からぬことを考えているのではないかと危惧したカエソーが話しかけると、ナイスは自分が周囲へ配るべき意識を途切れさせてしまっていたことに気付き、慌てて作り笑顔を浮かべてカエソーの話を遮った。


「それよりもさっき言った俺の弓だ。

 あれは今どこにある?

 あれは魔道具マジック・アイテムなんだ。返してくれないと困る。」


 ナイスの態度の急変に戸惑いながら、カエソーは隣のアロイスと一度顔を見合わせてから答えた。


「今、我々が大切にお預かりしております。」


「そうだろうとも。

 ミスリルで出来た弓なんて、どうせ俺以外には誰にも使えないんだ。

 で、いつ返してくれるんだ?」


 悪びれる様子もなく、口角を吊り上げ、さも当然の要求をするようにナイスはふんぞり返った。円卓メンサに隠れてカエソーやアロイスからは直接見えていないが、円卓の下では脚も組んでいる。おおよそ、貴人の前でとって良い態度ではない。カエソーとアロイスの二人はナイスの態度に驚き、わずかに身を引いて閉口した。


「おい!」


 眉をひそめ、口を閉ざして固まってしまった二人に対し、苛立ちを露わにナイスは円卓をバンッと左手で叩いた。


「アンタらが預かってるんだろう!?

 アレはただの弓じゃない。魔導弓マジック・ボウアイジェク・ドージだ!!

 我が父祖ナイス・ジェーク様からその名と共に俺が引き継いだ唯一無二の宝物だぞ!?

 アンタらが持ってていい物じゃないんだ。

 大協約でそう決められてるんだからな。」


 円卓に叩きつけた左手の人差し指でトントンと卓上を叩きながらナイスは前のめりになり、カエソーやアロイスに挑みかかろうとするかのように睨みつけながら、ゆっくりだが力のこもった声でハッキリと言い聞かせる。

 だが、カエソーらはどこ吹く風と言った様子で背筋を伸ばしたまま静かにナイスを見下ろす。


「‥‥‥それとも、レーマ帝国は大協約に背くつもりなのか!?」


 大協約‥‥‥この世界ヴァーチャリアの秩序の根幹を成す国際法である。何人たりともこれに背くことは許されない。これを持ち出せば相手は黙って退かざるを得ない。大協約によって設立され、運営されているムセイオンで育ったナイスを始め聖貴族たちにとってそれは伝家の宝刀とでも言うべき一言であった。ナイスは自信たっぷりに切ったカードの力を確信し、ニヤリと口角を吊り上げる。

 だが、カエソーにとってそんな論法は何でもない。つい先日、メークミーも同じような主張をし、そして難なく撃退したばかりであった。


 やれやれ、ムセイオンの聖貴族の頭の中は誰も彼も似たり寄ったりらしい‥‥‥おっと、この二人だけがそうなだけかもしれんな。早合点は禁物だ‥‥‥


「何がおかしい!?」


 どうやら気づかぬ間にカエソーの顔には笑みが浮かんでいたようだ。最強のカードを切った筈なのに相手が動じないどころか、ほくそ笑んだりするものだからナイスは思わず苛立ち、再び左手で円卓を叩いた。


「ああ、これは失礼。どうか落ち着かれよ。」


 カエソーは両手を広げて愛想笑いを浮かべ、ナイスをなだめる。


「コレが落ち着いていられるか!!

 父祖から受け継いだ大事な聖遺物アイテムだぞ!?」


「もちろん承知しておりますとも、責任をもってお返しします。」


 ナイスはその返事を聞いてようやく腰を落ち着けた。


 何か知らないが勿体もったいつけやがって‥‥‥


 鼻息も荒く目の前のレーマ貴族を睨みつける。


「それで、いつ返してくれるんだ?」


 無言のまま数度の呼吸を繰り返し、気分を落ち着けるとナイスは再び口を開いた。ただ、やはりそう簡単に興奮は収まらないのか円卓に置いた左手の小指から人差し指を使い、タタタタッタタタタッと連続して卓上を叩きながら。


「まず、ジェーク殿の身柄はムセイオンへお送りいたします。その前に、サウマンディウムへお立ち寄りいただきます‥‥‥」


「そんな話は聞いていない!」


 カエソーが説明し始めるとナイスは指で円卓を叩くのを止め、そして今度は拳で円卓をドンッと叩いてカエソーの話を遮った。


「俺はアイジェク・ドージをいつ返してくれるのか訊いてるんだ!」


「まあまあ、それもこれから説明します。」


 神経質そうにアロイスとカエソーの二人の顔に交互に視線を走らせるナイスにカエソーは愛想笑いを大きくして宥めた。その愛想笑いはけっして媚びへつらうようなものではなく、どこか得体のしれない余裕が滲んでいる。それを感じるからこそ、ナイスは理由の分からない不安を抱き、なお一層苛立ちを募らせる。

 理由の分からない不安、そして苛立ち‥‥‥自分が落ち着きを失くしていくことを自覚していたナイスは、そうであるからこそ余計に不安になっていく。


 なんだ、一体どうしちまったんだ?

 落ち着け、まるで追い詰められてるみたいじゃないか‥‥‥

 冷静さを失えばどんな獣だって狩られちまう。

 俺は狩る側だ、狩られる側じゃない。落ち着くんだ。冷静さを取り戻せ‥‥‥


 フーフーと荒い息を繰り返しながら自分を落ち着けようとするナイスにカエソーは説明を続ける。それはナイスが内心でもっとも恐れていた展開だった。


「ジェーク殿はムセイオンへ送られます。そのアイジェク・ドージもです。

 ただし別便で送られることになるでしょう。」


「何!?」


 ナイスは耳を疑い、唖然とした様子で丸くした目をカエソーへ向ける。その反応は、ジョージ・メークミー・サンドウィッチがカエソーに見せたものとほとんど同じだった。カエソーはナイスにトドメの一言を告げる。


「アイジェク・ドージはムセイオンでお受け取り下さい。」

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