第506話 聖貴族の本性

統一歴九十九年五月六日、夕 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



「でも、帰れるのは確かなんだからいいじゃないの。

 私はてっきり、『勇者団』の人たちを捕まえるのに、あなたと《地の精霊アース・エレメンタル》の力を貸すことになるのかと思ったわ。」


 女だけしかいない食堂トリクリニウムの中、食事を再開したヴァナディーズはあっけらかんとした調子で言った。先ほどまで不安そうにしていたせいか、妙に拍子抜けしたような感じだ。実際、ヴァナディーズはリュウイチを除けばこの世界ヴァーチャリアでおそらく最も戦闘力の高い人物から命を狙われており、しかもそれにカワイイ教え子を巻き込んでしまっていたのである。

 だが、自身は明日には安全なサウマンディウムへ逃れることができることが確定し、あとはルクレティアのことだけだったのだ。巻き込んでしまったルクレティアがそのまま『勇者団ブレーブス』との戦いに身を投じなければならなくなったとしたら、やはり申し訳ないという気持ちは拭いようがない。リュウイチの庇護を受けるルクレティアが命を落とすことは無いだろうが、それでも恐ろしい目に合うであろうことは違いないからだ。

 しかし、ルクレティアも『勇者団』の相手をすることなく帰れるのであればまだ気は楽になる。すでに巻き込んでしまったとは言え、これ以上の危険は無いのだ。


「いえ…今のところそんな話は…さっきの会議でも特には…」


 さすがにそれは無いだろう…ルクレティアは苦笑いを浮かべてヴァナディーズの予想を否定する。もしそんなことになったら、ますますアルトリウシアへ帰れなくなってしまう。


「そうは言っても、あの人たちに力で対抗できるのってあなたと《地の精霊アース・エレメンタル》様だけなのよ?

 だいたい、昨日捕まったって言う人はどうするの?」


「え!?サンドウィッチ様ですか?

 彼は今、大人しくしてますし、先生の事ももう狙わないって言ってくれましたよ?」


 ルクレティアの呑気な言い草にヴァナディーズは呆れたように声を上げた。


「そんなのわかんないじゃない!

 今はまだ回復しきって無いし、近くに《地の精霊》様がいらっしゃるから大人しくしてるだけかもしれないわ。これから体力や魔力が回復して、その時にあなたや《地の精霊》様が居られなかったら暴れ出すかもしれないわよ?」


「それは…あの、ジョージ・メークミー・サンドウィッチ様ってそういう方なんですか?」


 ルクレティアが見たところメークミーはそんな人物ではなさそうだった。大人しく、誠実で礼儀正しく、貴公子然とした人物であった。ルクレティアに対するもうヴァナディーズは狙わないとか、他の仲間たちを説得するという彼の約束は信用に足るものだとルクレティアは考えている。だが、ヴァナディーズの指摘は決して的外れなものではない。

 ルクレティアは急に不安になってヴァナディーズにメークミーの素性について尋ねたわけだが、ルクレティアの期待に反してヴァナディーズは首を横に振った。


「いえ、知らないわ。名前くらいは聞いたことあるけど…」


「そう…なんですか?」


「ええ、私が『勇者団』で直接話をしたことあるのってファドだけだもの。

 あとはファドと仲が良かったフーマン様とブルーボール様をちょっと、顔を見たことがあったくらいよ?

 サンドウィッチ様が『勇者団』だったなんて、初めて知ったわ。」


「そうですか…今日のお昼に話した時は、誠実そうな方だと思ったんですけど…」


 ルクレティアは少し遠くを見るような目を何を見るでもなく正面の、円卓メンサの上に並べられた料理に向けた。

 今日、ルクレティアが会ったメークミーは顔つきこそ若かったが、立ち居振る舞いは実にスマートで高貴な雰囲気を保ち貴族然としていた。まるで英雄譚に登場する騎士がそのまま現実の世界に現れたかのようであり、ルクレティアもまるで自分が物語のヒロインにでもなったかのような気分にさせられたものだ。

 とてもではないが、あのような人物がよこしまなことを企てているようには思えない。少なくとも自分に対しては嘘をつかず、誠実に接してくれている…ルクレティアはそう思っていた。

 そうしたルクレティアの心を見透かしたのか、ヴァナディーズは目を細めてルクレティアの方へ前のめりになって忠告する。


「甘いわよ、ルクレティア。

 男って言うのはね、特に貴族の男は女を騙す生き物なのよ?

 ましてムセイオンの聖貴族コンセクラトゥスなんて、女の子のことはオモチャぐらいにしか考えてないんだから!」


「え!?そうなんですか?」


 ヴァナディーズの口調と話す内容が突然下世話な感じになったことに驚き、ルクレティアはパッと丸くした目をヴァナディーズの顔へ向けながら小さく仰け反った。ヴァナディーズは上体を起こすと、いつもの家庭教師の態度に戻って初心うぶな教え子に講義を始める。


「そうよ!考えてもごらんなさい?

 みんな彼らの血を欲しがっているのよ?

 彼らの血を引く子を産ませたいと女の子をあてがおうとする貴族ノビリタスはいくらでもいるの。当然、彼らとお近づきになりたいと望んでいる女の子だっていっぱいいるわ。

 それにつけ込んで女の子をもてあそんで捨てたり、金品をタカったりする聖貴族くらい当然いるわよ。」


 ルクレティアは驚いて目を丸くし、口元を手で押さえた。ゲイマーガメルの子供たちに関してそのような醜聞は初めて聞いたのだ。


 思えば、普通の貴族であっても身分や財力を格差を利用し、身分の低い者や貧困にあえぐ者たちを弄ぶ者は決して少なくない。奴隷や使用人の女に手を出し、自分の子を産ませるくらいは多くの貴族がやっていることだ。もっとも、そうした醜聞の多くはその貴族の財力と権力によって揉み消されるのが普通であり、公然の秘密とされるのが当たり前である。貴族に関してそういう噂を耳にしたとしても、大概の人は「ああ、あの方にもそういうことはあるんだな」と思う程度だ。

 ただ、稀に度が過ぎてしまう貴族がいる。数や頻度が多すぎたり、後始末が杜撰ずさんだったりすると、どれほど財力や権力があろうと醜聞を抑えきれなくなっていく。そうなった場合は流石に放置すれば民衆の反発が高まって抑えきれなくなってしまうため、その貴族の家長や一族が何らかの処理をし、それで間に合わない場合はより上位の…レーマ帝国ならば元老院セナートス皇帝インペラトルが動き出すことになる。まあ、そこまで派手な騒ぎになるのは滅多にないが…。


 しかし、ルクレティアは聖貴族コンセクラトゥムとはもっと清廉な存在だと思っていた。実際は降臨者の血を引いていようがいまいが人間であることには変わりは無いのだから、聖貴族だからそういうことはしないなどというわけがない。

 ただ、スパルタカシウス家は数代前の先祖がレーマ帝国中央での政争にやぶれて辺境へ流されてきた家であったためか、聖貴族の悪い面での現実をあまり目の当たりにする機会が無かったし、代々神官の家系であったこともあって身の回りの親類縁者は貴族の割には清廉な人物ばかりであった。そして先祖である聖女リディアへの憧れも手伝って、聖貴族という存在に対してどこか浮世離れした理想像を思い描いていたのだ。

 そんなルクレティアにとってムセイオンにいるゲイマーの子供たちはある意味理想に最も近い存在である。聖貴族として最も強力な力を持ち、世界で最高水準の教育を受ける彼らは、ルクレティアにとって“立派な聖貴族”そのものだった。その印象は今日会ったメークミーの誠実な態度、スマートな立ち居振る舞いによって、より強固になったと言ってよいだろう。


 だがヴァナディーズが語ったことはルクレティアのそうした理想を全否定する者だった。


「サ、サンドウィッチ様はそんな感じではありませんでしたけど…」


 口に手を当て、丸くしたままの目を泳がせるルクレティアの言葉を聞き、ヴァナディーズはフフンと小さく笑って忠告する。


「ルクレティア、見た目に騙されてはいけないわ。

 貴族なら誰だって、表の顔と裏の顔の使い分けくらいするものよ?

 これからアルトリウシアまで一緒に行く間に、騙されて酷い目にあわされても知らないわよ?」


「え!?

 彼はアルトリウシアへは連れて行きませんよ?」


 ルクレティアにそう言われ、今度はヴァナディーズが驚いた。


「えっ!?

 じゃあ彼はどうするの!?」


「多分明日、先生と同じ船でサウマンディウムへ送られると思いますけど…」

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