第1076話 マルクスの懸念
統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐
「お、お待ちいただきたい!」
歓喜に満ちた会議室でマルクス一人が顔を青ざめさせて腰を浮かせる。もちろん、彼の顔色が悪いのは二日酔いのせいではない。
「何でしょうか
「その……ハーフエルフ様を捕らえたというのは、間違いないのですか?」
ムセイオンから脱走した聖貴族たちの身柄を確保し、サウマンディウムへ迎える。ムセイオンに送り返すまでの間に彼らに女をあてがい、その血を引く子をサウマンディアから排出する……それが成ればサウマンディアに莫大な富と発展とが約束されるだろう。まして彼らは全員が
生まれた聖貴族はムセイオンに預けねばならないだろうし、それが成長してサウマンディアに戻って来るまで半世紀以上の時間はかかるだろう。しかしその魔力をサウマンディアの発展に用いてくれるならば様々なことが可能になる。製鉄や窯業などの高温を必要とする産業が興せるだろう。サウマンディア北部で深刻化しつつある砂漠化を食い止め、農地の開墾を大いに促進させることも見込める。錬金術などを修めれば
仮にゲイマーの血を引く聖貴族を輩出できなかったとしても、脱走者の身柄を確保して引き渡せたなら、それだけでムセイオンとの間に繋がりができる。世界の中心、世界の最高学府たるムセイオンとのパイプは優秀な人材の招聘に大いに役に立つはずだ。
それを実現するためにも『勇者団』の身柄を確保しなければならない。目標はもちろん『勇者団』全員だ。ムセイオンの聖貴族など《
が、把握している『勇者団』のメンバーの中でおそらく最有力者の一人、ハーフエルフのペイトウィン・ホエールキング二世が
「
マルクスの心中など知る由もないゴティクスはいつものポーカーフェイスを保ったまま感情の籠っていない声で答えた。だがそこのマルクスの求めていた答えは無い。マルクスはハーフエルフが捕えられたかどうかではなく、そこから先の詳細を求めていたのだ。
通常、社交の場において貴族同士は一つを訊けばそこから二つ三つと返して話を広げようとする。例えば今回の会話の場合、マルクスが「ハーフエルフを捕まえたのは間違いのですか?」と問えば、普通の貴族なら「ええ、それもかの有名なペイトウィン・ホエールキング二世様で、今はグナエウス砦で丁重に扱われております。」と答え、そこからマルクスは「ではホエールキング様のお世話などは今はどなたが……」などと繋げていく。次の会話の糸口をあえて用意するのは社交の基本だ。ところがゴティクスはそれをしてない。糸口を用意せず、それどころか暗に私も良く知らないんですよとさえ印象付けようとしている。これは通常ならば会話を打ち切りたいと考えている時の対応だ。他国からの賓客に対してとって良い態度ではあるまい。そして訪れる沈黙……気づけば会議室内の全員がマルクスに視線を集中させている。
「うっ、うんっ!!」
視線に気づいたマルクスは慌てて咳ばらいをした。思わぬ反応に調子を狂わされたマルクスは何とか気を取り直す。
「
私が知りたいのは捕えられた後のハーフエルフ様の状況についてです。
是非サウマンディウムへお連れし、捜査に御協力いただかねばならないのです。
ハーフエルフ様について分かる範囲で、教えていただきたい。」
「なるほど……」
努めて澄ました様子で話すマルクスにゴティクスは片眉をピクリと動かし、手元の手紙に視線を落とした。
「しかし、これらの報せはグルグリウスなるグレーター・ガーゴイルからハーフエルフ様を受け取ってすぐに出されたもの。その身柄がどう扱われているかまでは書かれておりませんでしてね。」
ゴティクスは珍しくさも困ったという様子で薄い笑みを浮かべた。ゴティクスはもしかしたらマルクスを安心させようとして微笑んだのかもしれない。だがその笑みは逆にマルクスを不安にさせた。マルクスは内心に沸き起こった苛立ちを噛み殺しながら頬を引きつらせ、無理に笑みを強める。
「
ルクレティアは、そしてルクレティアの護衛をしつつアルビオンニウムを訪れた
セプティミウスはつまり、自分たちの身を守るためにサウマンディア軍団の兵力を出させる代わりに、『勇者団』の身柄を引き渡したのだ。ムセイオンから脱走したハーフエルフたちが暴れている……それだけなら逮捕権はアルビオンニア側にあるし、サウマンディア軍団側には何もできない。救援要請に従って兵を動かすことはできなくも無いだろうが旨味も何もない。仮にサウマンディア軍団がハーフエルフを捕えたとしてもアルビオンニア側へ引き渡さなければならなかったのだから、何がしかの“貸し”とし、あとで別の形で返してもらうぐらいにしかならないだろう。
だがセプティミウスは最初から『勇者団』はメルクリウス団だと報告することで、サウマンディア軍団が動かざるを得なくした。これはサウマンディア側に助けて貰いながら“借り”を作らないという妙手ではあったが、同時に『勇者団』の身柄を……ムセイオンのハーフエルフたちという生きた至宝をサウマンディア側に無償で引き渡すことを意味していたのだ。そうだからこそ、カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子もマルクスも配下のサウマンディア軍団を投入して『勇者団』に率いられた盗賊団に対応したのだ。それだというのに『勇者団』の中でも
いや、厳密に言えば彼らは違う。
あの時、あの場にいたのは
ハーフエルフをサウマンディアに譲るという約束自体、暗黙の了解によるもの……この場にいるアルビオンニア貴族どもにそのような約束は知らぬと言われればなかったことにされかねん。
机の下でギリギリと拳を握りしめるマルクスの懸念は、しかし杞憂に終わった。ゴティクスは何かを思い出したかのように眉をあげ目を見開く。
「ああっ、そういうことでしたか!」
ゴティクスは手に持っていた手紙を机の上に降ろした。
「それについては御安心を。
ホエールキング様の身柄は、
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