第738話 抜け駆け

統一歴九十九年五月九日、夕 ‐ セーヘイム/アルトリウシア



 船が見えました……その報告がもたらされると、迎賓館ホスピティウムに集まっていた貴族ノビリタスたちはヤレヤレとばかりに腰を上げ、アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子を先頭にぞろぞろと一塊になって船着き場まで歩いていく。

 貴族が街中を歩くとき、多数の付き人を従える。だが人間誰だって暇ではない。生きていくために何がしかの仕事を持っているものであり、知人がどこかへ行くからと言っていつでも自分の仕事を放り出してしまえるわけではない。よって、もしも貴族がどこかへ行くときに付き従っているとすれば、付き従うこと自体が仕事になっているか、あるいはその人に付き従うことが普段の自分の仕事以上に重要ということになる。だから付き人を多く従えているということは、付き人たちが付き従うに足るだけの利益を付き人たち全員に与えることができるほどの器量を持っていることでもあり、その貴族の権勢や財力の強さを示すバロメーターとなるのだ。

 一般には普段から多くの人をコンスタントに付き従えるため(そのためばかりではないが)に、ある程度の財力や権力を得た人は被保護民クリエンテスを抱えることになる。被保護民は自分を庇護してくれる保護民パトロヌスに対して保護民の求める奉仕をする義務があり、保護民が出かける時に付き人として同行するのはその典型であるからだ。

 だが、だからといって貴族に付き従って歩くのがその貴族の被保護民ばかりとは限らない。正式に被保護民にはしてもらってないけど、被保護民にしてもらいたいと思っている者や、そこまでは望まなくとも何らかのに預かろうと思っている乞食同然の者たちが勝手に付いてくることもある。相手がより豊かで強大な権勢を誇る貴族ならば猶更、そういう手合いも増えてくる。

 さすがに誰も彼もが付いてきては邪魔にもなろうしトラブルの元だ。下手すると暗殺者等の不届き者が紛れ込む隙にもなりかねない。ゆえにあまりに酷い者は追い払われることもあるのだが、今アルトリウスに付き従っているのはいずれもアルトリウシアで裕福なことで知られる大物ばかりであった。


 彼らはアルトリウスの被保護民などではなかったし、もちろん乞食などでは断じてなかったが、それでも下級貴族ノビレスとしては領主貴族パトリキよしみを深めたいと望むものであるし、そういう欲求が無かったとしても下手に離れて歩けば「領主様に対して二心があるのでは?」と在らぬ疑いをかけられることにもなりかねない。まして、彼らは同じ目的で同じ場所を目指しているのだから、最上位者であるアルトリウスを中心に付き従うように歩くのは当然だったと言えるだろう。


「アルトリウシア子爵公子、アルトリウシア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・アルトリウシイアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス閣下、御成ぁ~り~」


 一行の前方を行く名告げ人ノーメンクラートルが、そのよく通る声で高らかに告げると、その周囲の通行人たちが一斉に左右へ避けて道を開ける。そして自分のために開かれた道の真ん中を、きらびやかな白銀のロリカと赤い外套サガムに身を包んだ若々しい偉丈夫いじょうぶがノッシノッシと、己の姿そのものを誇るかのように歩き進む。どんよりと沈むような曇り空の下、雲の切れ目からスポットライトのように差し込む西日に向かい、外套サガムひるがえしながら突き進むその姿は見る者の目にはまるで御伽噺の主人公のように英雄的に映ることだろう。


「おお!子爵様ウィケコメス!」

我らが軍団長閣下レガトゥス・レギオニス・ノストラ!!」

白銀のアルトリウスアルジェントゥム・アルトリウス!!」


 左右に避けた住民たちからアルトリウスを称える声が次々と沸き上がる。男たちの顔には畏怖と羨望が浮かび、女たちは頬を赤く染め、子供たちは興奮に目を輝かせる。それらは領民たちの絶対的な人気の高さを否応もなく示していた。

 だが、その後ろ姿を眺めながら付き従うネストリの心中はどこか落ち着かなかった。


 結局、子爵公子閣下は何を御所望だったのか???


 アルトリウスとネストリの会話は長く続いたが、結局何のことは無いただの世間話に終始した。ネストリはアルトリウスが何を目的にしていたのかサッパリ分からなかったし、アルトリウスも何か言いたいことを言えずにもどかしく思っているような様子だった。


 なんだかよくわからんが、閣下アルトリウスネストリとの会話を首尾よく進めることができなかったらしい‥‥‥


 それがネストリの感想である。だが、アルトリウスとネストリが会談する様子を見ていた他の者たちからすればまた違った印象を持ったようだ。


「ネストリ殿、ネストリ殿」


 歩きながら、同じくアルトリウスに同行する他の貴族・豪族らが次々と話しかけてくる。


「ネストリ殿、水臭いではありませんか!

 いったいいつの間に子爵公子閣下とお近づきになられたのですか?」

しかり、然り。

 まったく、ネストリ殿も隅に置けませんなぁ。」


 そうは言ってもネストリとしても困惑するばかりである。


「いや、お近づきも何も私はそんな‥‥‥」


「何を申される。

 あのように長い時間、二人きりで随分と親しげであられたではありませんか。」

「しかも子爵公子閣下の方からネストリ殿に話しかけて来られるなど……

 何も無くばあのように親密に話しかけて来られるわけがありますまい?」


「そうは言われても、本当に心当たりは無いのですよ。

 子爵公子閣下は何か思召おぼしめすところが御有りのようでしたが、生憎と私のような身には閣下御心みこころを御推察申し上げることなど‥‥‥」


 ネストリは本当に思い当たるところは無かった。だが、ネストリに話しかけてきた貴族・豪族たちの追及はやまない。彼らからすればネストリが抜け駆けしているようにしか見えないのだ。他人の抜け駆けを見過ごすようでは、下級貴族の地位など長く保てやしない。なんとか新たな利益に食らいつこうと、彼らは必死だった。

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