グナエウス峠の情勢変化

第1032話 情報漏洩

統一歴九十九年五月十日、午後 - ティトゥス要塞カストルム・ティティ・ルキウス邸/アルトリウシア



 アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスラーウス・ガローニウス・コルウスがティトゥス要塞カストルム・ティティに到着したのは、マルクス・ウァレリウス・カストゥスらサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアから新たに派遣された将校らを交えての軍議が終わった後だった。ラーウスが軍議に間に合わなかったのは軍議が予定されていたよりもずっと早くに終わってしまったこともあったが、同時にラーウスの到着が遅れたためでもあった。とはいっても、ラーウスに何らかの落ち度があったのかというとそう言うわけではなく、今朝一番にグナエウス峠からマニウス要塞カストルム・マニに到着していた早馬タベラーリウスのもたらした情報の確認と分析に時間を要してしまったからである。

 今朝までラーウスは軍議に出席するつもりでいたのだが、本日未明にグナエウス峠で起きた出来事について知った彼はこれを軍議で報告すべき重大事件であると判断したわけだが、それが彼のマニウス要塞出発を遅らせることとなり、結果的に軍議に間に合わせることができなくなってしまったのだった。

 ティトゥス要塞司令部プリンキピア・カストリ・ティティに到着したラーウスは既に軍議が終わって出席者たちが解散してしまったことを知って愕然とし、それから司令部プリンキピアのすぐ裏にある陣営本部プリンキパーリスの一つ、子爵邸を訪ねた。彼の上官である軍団長レガトゥス・レギオニスアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子がそちらにいると司令部の事務官カッリグラプスに教えられたからだった。

 アルトリウスは予定より早く会議が終わって時間が出来たのをいいことに、恩師であるルクレティウス・スパルタカシウスを訪ねようかとアポイントメントをとるべく使用人を走らせたところだったが、その返事が来る前にラーウスが子爵邸にアルトリウスを訪ねて来たため、応接室タベラーリウムの一つにラーウスを通させ、ラーウスのもたらした報告を受けたのだが、それは彼の頭痛を少しばかり悪化させる内容であった。


「その報告は……つまりどういうことだ?

 情報が……作戦がハン支援軍アウクシリア・ハンに漏れたということなのか?」


 悩まし気に頭を抱えながらアルトリウスが尋ねる。今夜も到着したサウマンディア軍団第三大隊コホルス・テルティアを歓迎する宴会があるというのに、昨夜の二日酔いの苦痛は醒める様子がない。


「それは分りかねます。

 小官もそれが気になるのですが、現時点では何とも……」


 昨夜、ルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアとその護衛部隊に宛てた指示書を持った早馬がグナエウス峠でダイアウルフに襲われた。最寄りの中継基地スタティオからの報告によれば、夜間に銃声を聞いた直後に早馬が基地の前を通過……異変を察知して捜索隊を出したところ、基地からすぐのところで早馬に乗っていた連絡将校テッセラリウスが落馬して街道上に倒れており、死亡が確認されたという。そして乗っていたはずの馬はいなくなっており、現場の近くには連絡将校がたずさえていた手紙が、蝋封を切られた状態で落ちていた。捜索隊は現場の調査と居なくなった馬の捜索をしようとしたそうだが、夜中の濃霧でただでさえ視界が悪かったうえにダイアウルフの気配があったため、やむなく連絡将校の死体と手紙の回収だけをして撤収している。

 手紙はすぐに基地の守備隊に回収され、中継基地司令プラエフェクトゥス・スタティオニスが別の早馬を仕立てて送り出したためにほぼ遅滞なく到着する予定だが、問題なのはその手紙が蝋封を切られた状態で見つかったことだ。


「口を縛り、蓋を閉じた鞄から手紙が取り出され、蝋封を切られていたのだ。

 何者かに中身を読まれたと見るべきだろう。

 そして深夜のグナエウス峠で月明かりすら届かぬ濃霧の中なのだから“カタギ”の人間ではありえまい。早馬タベラーリウスは事前に銃を発砲していて、現地警察消防隊ウィギレスもダイアウルフの気配があったと言っているのだ。

 これはもうハン支援軍アウクシリア・ハンの仕業と見るほかないのではないか?」


 アルトリウスはラーウスが持ってきた中継基地司令プラエフェクトゥス・スタティオニスからの報告書をテーブルメンサの上に投げ出し、指でトントンと叩きながら状況を整理した。ラーウスはイチイチ頷きながらそれを聞いた後、それでも何故自分が「何とも……」と言葉を濁したかを答えた。


「順当に言えば確かにその通りです。

 ですが……」


「ですが?」


ハン支援軍アウクシリア・ハンで字を読み書きできるのは王族ホブゴブリンのみです。

 王弟オクタルの死後、自ら前線に立つ王族はおりません。

 族長のムズク、作戦参謀のディンキジク、補給担当のモードゥはエッケ島に居るのが確認されております。渉外担当のイェルナクはサウマンディウムですし、砲兵隊長のイーチシュがダイアウルフを率いるとは思えません。ダイアウルフはディンキジクが直卒している戦力です。ディンキジクの性格からして、他の誰かに預けたりはしないでしょう。」


 ハン族に残された王族のうち、軍務に直接携わる者は少ない。今から四年前の統一歴九十五年、演習と称して勝手にアルトリウシア平野に展開し、レーマ軍の指揮を離れて遊牧生活を楽しんでいたハン支援軍は不用意に接近してしまった南蛮豪族アリスイ氏の軍勢から夜襲を食らい、大損害を出していた。

 南蛮軍の突撃はレーマ軍の重装歩兵ホプロマクスによる防御陣地を食い破り、蹂躙じゅうりんすることもあるほどの威力がある。その南蛮軍の中でも特に戦闘力が高いことで知られるコボルト軍団に、夜間に無防備な野営地キャンプを奇襲されたのだからひとたまりもない。ハン支援軍は女子供を含め半数以上を討ち取られる大損害を受け、文字通り散り散りになって潰走してしまった。その際、当時の族長ルーラを始め多数の王族も戦死を遂げたり、あるいは行方不明になったりしている。生き残りが再集結して支援軍アウクシリアとして組織的に行動できるようになったのは、それから一か月以上経った後のことであった。前線に立つハン族ホブゴブリンは数えるほどしか残っておらず、その全員の顔と名前を覚えるのは容易たやすい。ハン支援軍はそれ以来ずっと、同じ面子が同じ役職のまま運営し続けており、組織が完全に形骸けいがい化してしまっていた。


 アルトリウスは口を真一文字に結び、フーッと鼻を鳴らしながら背もたれに背を預けた。ラーウスは続ける。


「それに手紙を入手しておきながら残していく理由がありません。

 奪ったまま残さず回収してしまえば、中継基地スタティオ警察消防隊ウィギレスは手紙を奪われたことに気づくことも無かったでしょう。我々が手紙を奪われたことに気づくのは、届くはずの手紙が届かなかったせいで先方との情報共有に齟齬そごが生じてからです。

 ですが犯人は手紙を残しました。しかも蝋封の切られた手紙を……これではわざわざこちらに『お前たちの手紙を読んだぞ』と教えるようなものです。」


「案外、それが目的かもしれんぞ?」


 アルトリウスはグッと力を入れて上体を起こすと、茶碗ポクルムに手を伸ばした。


「それが目的……ですか?」


 片眉をあげて訊き返すラーウスに、アルトリウスは茶碗の中の酢水ポスカを一口飲んでから答えた。


「『お前たちの手紙を読んだぞ』というメッセージさ。」


 いいながら茶碗を卓上へ戻す。そのアルトリウスの答えにラーウスは戸惑った。


「おっしゃる意味が……」


「分からんか?」


「はい……」


 アルトリウスは小さくため息をつくと身体を起こした。


「要は混乱を誘いたいのだ。

 手紙を読んだぞ!と、わざとこちらに伝えることで、こちらに警戒と対応を強要する……つまり擾乱じょうらんだ。嫌がらせだな。

 字が読めないゴブリン兵でも、読めない手紙を奪い、蝋封を切ってそのまま残していくくらいのことはできる。

 読んだ当人はその手紙に何が書かれているか分からなかったとしても、こちらは読まれたものとして何らかの対応をしなければならなくなる。

 むしろ、字が読めなくても出来る情報戦ってところかな?」


 ラーウスは顎に手を当ててうつむき、難しい顔を作った。


「つまり、連中はこちらの手紙を開いて見はしたが、内容は把握してないということですか?」


 情報戦の基本は自身の秘密を守りつつ相手の秘密を知ることだが、相手に偽の情報を掴ませてこちらに有利な状況を創り出すことでもある。ハン族がそれをやっていたとすれば、意外なことではあった。ラーウスもまた、ハン族は愚かな連中だと思い込んでいるところがある。


「そう決めつけるのは早計だ。

 案外、ゴブリン兵の中にも字の読める奴が一人くらいいるかもしれん。

 用心に越したことは無いだろう。

 仮に読まれたとして、影響は?」


「昨夜の今日ですから、内容がエッケ島に伝わるとしても早くて明後日以降といったところでしょう。いくらダイアウルフの脚でもそれ以上、速く移動することはできないはずです。

 一番影響が出るとすれば、グナエウス峠でのダイアウルフ掃討作戦が相手に知られたことぐらいです。」


「ふむ……」


 アルトリウスは腕組みをすると、窓の外へ視線を移した。


「今日から始まるんだったな……」

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