グナエウス峠の情勢変化
第1032話 情報漏洩
統一歴九十九年五月十日、午後 -
今朝までラーウスは軍議に出席するつもりでいたのだが、本日未明にグナエウス峠で起きた出来事について知った彼はこれを軍議で報告すべき重大事件であると判断したわけだが、それが彼のマニウス要塞出発を遅らせることとなり、結果的に軍議に間に合わせることができなくなってしまったのだった。
アルトリウスは予定より早く会議が終わって時間が出来たのをいいことに、恩師であるルクレティウス・スパルタカシウスを訪ねようかとアポイントメントをとるべく使用人を走らせたところだったが、その返事が来る前にラーウスが子爵邸にアルトリウスを訪ねて来たため、
「その報告は……つまりどういうことだ?
情報が……作戦が
悩まし気に頭を抱えながらアルトリウスが尋ねる。今夜も到着したサウマンディア軍団
「それは分りかねます。
小官もそれが気になるのですが、現時点では何とも……」
昨夜、ルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアとその護衛部隊に宛てた指示書を持った早馬がグナエウス峠でダイアウルフに襲われた。最寄りの
手紙はすぐに基地の守備隊に回収され、
「口を縛り、蓋を閉じた鞄から手紙が取り出され、蝋封を切られていたのだ。
何者かに中身を読まれたと見るべきだろう。
そして深夜のグナエウス峠で月明かりすら届かぬ濃霧の中なのだから“カタギ”の人間ではありえまい。
これはもう
アルトリウスはラーウスが持ってきた
「順当に言えば確かにその通りです。
ですが……」
「ですが?」
「
王弟オクタルの死後、自ら前線に立つ王族はおりません。
族長のムズク、作戦参謀のディンキジク、補給担当のモードゥはエッケ島に居るのが確認されております。渉外担当のイェルナクはサウマンディウムですし、砲兵隊長のイーチシュがダイアウルフを率いるとは思えません。ダイアウルフはディンキジクが直卒している戦力です。ディンキジクの性格からして、他の誰かに預けたりはしないでしょう。」
ハン族に残された王族のうち、軍務に直接携わる者は少ない。今から四年前の統一歴九十五年、演習と称して勝手にアルトリウシア平野に展開し、レーマ軍の指揮を離れて遊牧生活を楽しんでいたハン支援軍は不用意に接近してしまった南蛮豪族アリスイ氏の軍勢から夜襲を食らい、大損害を出していた。
南蛮軍の突撃はレーマ軍の
アルトリウスは口を真一文字に結び、フーッと鼻を鳴らしながら背もたれに背を預けた。ラーウスは続ける。
「それに手紙を入手しておきながら残していく理由がありません。
奪ったまま残さず回収してしまえば、
ですが犯人は手紙を残しました。しかも蝋封の切られた手紙を……これではわざわざこちらに『お前たちの手紙を読んだぞ』と教えるようなものです。」
「案外、それが目的かもしれんぞ?」
アルトリウスはグッと力を入れて上体を起こすと、
「それが目的……ですか?」
片眉をあげて訊き返すラーウスに、アルトリウスは茶碗の中の
「『お前たちの手紙を読んだぞ』というメッセージさ。」
いいながら茶碗を卓上へ戻す。そのアルトリウスの答えにラーウスは戸惑った。
「おっしゃる意味が……」
「分からんか?」
「はい……」
アルトリウスは小さくため息をつくと身体を起こした。
「要は混乱を誘いたいのだ。
手紙を読んだぞ!と、わざとこちらに伝えることで、こちらに警戒と対応を強要する……つまり
字が読めないゴブリン兵でも、読めない手紙を奪い、蝋封を切ってそのまま残していくくらいのことはできる。
読んだ当人はその手紙に何が書かれているか分からなかったとしても、こちらは読まれたものとして何らかの対応をしなければならなくなる。
むしろ、字が読めなくても出来る情報戦ってところかな?」
ラーウスは顎に手を当てて
「つまり、連中はこちらの手紙を開いて見はしたが、内容は把握してないということですか?」
情報戦の基本は自身の秘密を守りつつ相手の秘密を知ることだが、相手に偽の情報を掴ませてこちらに有利な状況を創り出すことでもある。ハン族がそれをやっていたとすれば、意外なことではあった。ラーウスもまた、ハン族は愚かな連中だと思い込んでいるところがある。
「そう決めつけるのは早計だ。
案外、ゴブリン兵の中にも字の読める奴が一人くらいいるかもしれん。
用心に越したことは無いだろう。
仮に読まれたとして、影響は?」
「昨夜の今日ですから、内容がエッケ島に伝わるとしても早くて明後日以降といったところでしょう。いくらダイアウルフの脚でもそれ以上、速く移動することはできないはずです。
一番影響が出るとすれば、グナエウス峠でのダイアウルフ掃討作戦が相手に知られたことぐらいです。」
「ふむ……」
アルトリウスは腕組みをすると、窓の外へ視線を移した。
「今日から始まるんだったな……」
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