第1420話 ゴルディアヌスの弁明

統一歴九十九年五月十二日・午後 ‐ マニウス要塞陣営本部プリンキパーリス・カストリ・マニ/アルトリウシア



 なるほど、《風の精霊ウインド・エレメンタル》が他にどんな眷属を従えているか、あるいは召喚できるのか知らないが、少なくとも適材適所を考えてトルキラを選んだのは間違いなさそうだ。トルキラ本人が見つかってないと言っているのも、多分信用していいだろう。仮にトルキラが部屋の中に入っていることに気づいた者がいたとしても、トルキラが野鳥ではなく妖精だとまでは分からないんじゃないだろうか?

 だとすれば、このまま何も聞かなかったフリをして緘口かんこうを命じたうえで全員を解放し、何も無かったことにしてしまうのが一番良いような気がする。だが……


 リュウイチはネロとロムルスを見た。


 ゴルディアヌスは具体的にどういう経緯をてかはわからないがエルゼを安心させるために《風の精霊》からトルキラを借り、日曜礼拝の様子を監視していた。だからゴルディアヌスは誰にも言うなと言えば誰にも言わないだろう。だがネロとロムルスはどうだろうか? ネロやロムルスに限らず、奴隷セルウスたちはアルトリウスの被保護民クリエンテスであり、日々交代で表敬訪問サルタティオに行っている。そしてここで何があったか、リュウイチが何をしたかを報告している筈だ。それについてリュウイチはある程度は仕方ないと思っていたし、むしろ自分自身が貴族たちとコミュニケーションを積極的にはかるよりはネロたちがアルトリウスらに報告するのを認めた方が物事が円滑にすすむんじゃないかというぐらいに考えてもいた。つまり納得づくのことなのだ。

 しかし、リュウイチにだって知られたくないことがあるのも事実。面倒を嫌って報告すべきであろうことを黙ったままでいた……それどころか事態を有耶無耶うやむやにしようと揉み消しを図ったというのは、できれば知られたくはない。それによって不信感を与える可能性が高いのであれば、知られて良い事なんか一つもない気もする。が、アルトリウスや他の貴族ノビリタスたちからすれば、リュウイチのそうした部分はむしろ知りたい情報だろう。そして、そういうのを報せることこそがネロたちに求められている役割であろうことは疑いようがない。


 ネロたちに黙ってろと言ったら、黙ってるだろうか?

 それとも、どうせネロたちが報告するというのなら、いっそ自分からルキウスさんなりエルネスティーネさんなりに言ってしまった方が誠実なんじゃないか?

 けど、何でもかんでも馬鹿正直に全て報告するのは、却って相手の負担になってしまうこともある。社会人にとって報連相ほうれんそうは大事だけど、けどある程度は自分で処理してしまうことが求められるのも事実……


『うーん』


旦那様ドミヌス


 リュウイチが唸り声を漏らすと、ようやく回復したらしいゴルディアヌスが椅子から立ち上がった。まだ少し顔色が悪く、立ち上がる際も少しよろめいている。正直、ゴルディアヌスは自分が何故こんなにも弱々しく力が出ないのかサッパリ分からなかった。


 ど、どうしちまったんだオレ……?


 ゴルディアヌスは人間相手に怖いと思ったことは無い。相手がホブゴブリンだろうとブッカだろうとヒトだろうとだ。相手が自分より体格にすぐれたコボルトやオーク、オーガといった連中と互いに武器を持って向かい合ったとしても、武者震むしゃぶるいは経験したが臆してこうも力も元気もわかなくなってしまったことはなかった。まして意識を失いそうになってネロに介抱してもらうなんて、こんな事態になるなんて想像すらしたことが無かった。

 だが、それでも言わねばならないことがある。自分がどうなってしまったのか見当もつかないが、その戸惑いを圧してゴルディアヌスは腹に力を入れた。


旦那様ドミヌス、オレが……オレが勝手にやったことです。

 オレが《風の精霊ウインド・エレメンタル》様にお願いして、オレがトルキラ様を借りて、そんでオレがトルキラ様にやってもらったんです……」


 普段のゴルディアヌスからは想像し難い力の無い声は、わずかに震えていた。喉の奥が勝手に絞られ、声も息も思うように出ないのだ。


 これが、臆しているってことなのか?

 オレが? オレが怯えてるってのか?


 初めて気づいた自分の状態に、ゴルディアヌスは戸惑いを新たにする。右手で自分の胸倉をギュッと掴み、それでもリュウイチを見据えたまま何とか呼吸を整える。

 リュウイチはその様子を、まだ調子が悪いのではないかと心配しながら見ていたのだが、ゴルディアヌスにはリュウイチのその目は別の意味に見えていた。


 こ、殺されるかもしれねぇ……


 ゴクリ……やたら飲み下しにくい唾を無理やり飲み込む。


『……………わかった。

 そこを疑うつもりはない。

 ゴルディアヌスは椅子に座っていい』


「い、いえオレは……」


『いいから座って!

 顔色が悪いのに立たせたままじゃこっちが落ち着かない』


 強がりを言うゴルディアヌスにリュウイチはうんざりしたように額に手を当て、目を閉じた顔をわずかに背けながら言うと、ネロとロムルスが左右から「いいから座れ」「旦那様ドミヌスがおっしゃってるだろ」などとゴルディアヌスを座らせる。ゴルディアヌスは仕方なく椅子に腰を下ろすと、改めて自分の状態の悪さに愕然とし、思わず床に視線を落とした。


『それで、君は怖がるエルゼちゃんを安心させるためにやったんだな?』


 ゴルディアヌスの意識は自分の内面へ向きかけていたが、リュウイチの声に引き戻され、慌てて顔を上げる。


「は、はい旦那様ドミヌス

 

『エルゼちゃんに、《風の精霊ウインド・エレメンタル》やトルキラのことは言ったのか?』


「いえ、まさか!」


 額に当てた手をわずかにあげ、その下からゴルディアヌスに視線を向けたリュウイチの質問にゴルディアヌスは身体を震わせた。


「《風の精霊ウインド・エレメンタル》様に御相談申し上げたのは、エルゼ様にカール様の寝室クビクルムへお戻りいただいた後のことで……」


『エルゼちゃんには何て言って戻ってもらったの?』


「え……その……何かあったらオレが必ず助け出しやすって……」


 リュウイチは額に当てていた手を降ろし、改めてゴルディアヌスに正面から向き合った。


『それで安心してもらえたなら《風の精霊ウインド・エレメンタル》に相談することなかったんじゃないか!?』


 ゴルディアヌスは一瞬背を伸ばし、口をまっすぐ引き結び、目を見開いた。そんなこと思ってもみなかった……とでも言うように。が、すぐに質問に答えなければと気づき、懸命に弁明しはじめる。


「い、いえ、それで何にもしねぇのは嘘をつくことになっちまいます!

 せめて中で何かあったらすぐに気づけるようにしねぇと!」


 リュウイチの目にゴルディアヌスが嘘をついたり適当なことを言っているようには見えなかった。この男はこの男で馬鹿正直なのだ。


「だからって精霊様エレメンタルの力なんか借りることねぇだろうがよ!?」


「異教徒のオレがキリスト者の礼拝に参加できるかよ!?

 だいたいオレぁホブゴブリンだぞ!

 お前ぇなら入って行けるのかよ!?」


 呆れて横から口を挟んできたロムルスに対するゴルディアヌスの反発は、これまでの弱々しさが嘘のような勢いがあり、ロムルスは思わず目を見開いた。イチイチ虚を突かれるロムルスは想像する力が根本的に足らないのだろう。

 考えてみればその通りで上級貴族パトリキが礼拝を行う場に、奴隷の異教徒が入り込むなど邪魔にしかならないだろう。ましてキリスト教はレーマ帝国では未だに良く思われておらず、ゴルディアヌスのように教養に乏しい者たちにはレーマ正教会もヒト優越主義でヒト以外の種族を差別していると思われている。そんなところにホブゴブリンのゴルディアヌスが入っていけるわけがなかった。それは敬虔なキリスト教徒が悪魔崇拝者の黒ミサに参加するのに等しい愚行なのである。

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