第1421話 いいわけ

統一歴九十九年五月十二日・午後 ‐ マニウス要塞陣営本部プリンキパーリス・カストリ・マニ/アルトリウシア



『分かった!

 ひとまず事情は理解できた!』


 ロムルスとゴルディアヌスの間に喧嘩でも始まりそうな雰囲気が醸し出され始めていたが、リュウイチは少し大きめの声でそれを打ち消した。


『トルキラも、普通にしてくれ。

 その姿勢は辛いだろ』


 言いながらリュウイチは再び額に手を当て、上体を背もたれに預けると、深い溜息をつく。

 ルキウスやルクレティアなどの上級貴族パトリキたちのこれまでの言動から、この世界ヴァーチャリアの人々は誰もが降臨者のチート能力に頼ることに否定的だと思っていた。なのに今朝のルキウスの情報提供の打診や先ほどのアルトリウスからのグルグリウスを紹介して欲しいという要請、そして身内であるはずのゴルディアヌスによる今回の独走と、《レアル》の恩寵おんちょう独占禁止というのは案外建前だけで、大協約というのも別に絶対に破ることの出来な金科玉条きんかぎょくじょうというわけでもないのかもしれない。まぁ交通ルールだって厳守する人と全く無視する人と両極端いるわけだから、同じ世界の同じ国の人間でも考え方はそれぞれなのだろう。ただ、それでもこの世界にあまり影響を及ぼしたくない、誰かに迷惑をかけるようなことは避けたいと考えているリュウイチにとって、身内だと思っていたゴルディアヌスや忠実な眷属であろうと考えていた《風の精霊》がリュウイチのそうした意図を無視するような行為にはしったのはそれなりにショックな出来事ではあった。


 どうしたもんだろか……


 トラックドライバーという一人きりでする仕事を生業なりわいにしてきた田所龍一リュウイチはもちろん部下など持ったことはない。人の上に立って部下をまとめ上げ、指導し育てるどころか、人付き合い自体が希薄であったのだからこういう時に何をどうすればいいのかサッパリわからなかった。

 一人悩むリュウイチを前に一番戸惑っていたのは実はトルキラだった。


『トルキラ、主様が仰せです。

 おもてを上げなさい』


『し、しかし……』


 トルキラは今日、《風の精霊》の眷属になったばかりの妖精だ。それ以前はただの野鳥であり、魔力を与えられて妖精へと生きながらにして転生を遂げた。それ以前は記憶どころか物心というものさえあったか定かではない。自我に目覚めたのが今日……そして初めて仕事を仰せつかり、それを見事にやり遂げて見せた。きっと褒めてもらえるだろう。それも偉大なる《風の精霊王プライマリー・ウインド・エレメンタル》様が忠誠を捧げる尊い御方から……そう期待に小さな胸をいっぱいに膨らませていたというのに雲行きは晴れやかとは言い難い。むしろ今日のアルトリウシアの空のようにどんよりとした曇天であり、いつ恐ろしい雷鳴が轟いてもおかしくない状況である。


『主様はお前のことを怒っているわけではありません』


 主人たる《風の精霊》にそう言われてオズオズと頭を上げ、ヨタヨタと立ち上がる。つぶらな瞳をパチクリとしばたたかせ、頭をクイックイッと振って周囲を見回すが、トルキラの目に映る室内がやけに薄暗いのは、決して灯りがロウソクだけで光が乏しいからではないだろう。ほぼ全周を見回せるトルキラの広い視界の端に映るゴルディアヌスは、可哀そうなくらいションボリしていた。


 私はちゃんと働いたのに……

 ひょっとして私は居てはいけなかった?

 存在自体が邪魔だった?


 物事を大袈裟に考えてしまうのは誕生間もなく人生経験の浅いトルキラには仕方の無い事だったのかもしれない。あれだけ自分のことを、自分の仕事ぶりを喜んでくれたゴルディアヌスが重く沈み込んでいる様子はトルキラを酷く落ち込ませた。


『ともかく、大ごとにならなかったのは良かった。

 多分、エルネスティーネさんたちに気づかれて無いということだし、アルトリウスさんたちにも気付かれてないと思う』


「へ、へぃ」


 ゴルディアヌスの返事を聞くと、リュウイチは改めて顔を覆っていた手を降ろし、足を組んでゴルディアヌスに向き合う。


『でも万が一気づかれてたら間違いなく大ごとになってた、違うか?』


「そ、そうかも……しれません」


『リスクが分かっていたなら何でやった?

 バレるかもしれないとは思わなかったのか?』


 リュウイチに問いただされ、ゴルディアヌスは平均的なホブゴブリンより大きな身体を小さく縮こませ、腹の前で両手を組んで指をモジモジとうごめかせる。それに連動するかのようにトルキラも落ち着きを失い、身体を強張らせて尾羽をプルプル小刻みに震わせてはヒョイと身体の向きを変え、首をピクピクと盛んに巡らせながら尾羽をプルプル震わせるのを繰返し始めた。


 強く言いすぎてるか?

 今、随分と優しく言ってるつもりだけど……これがパワハラになるならどう接するのが正解なんだ?


 得体の知れない不安にリュウイチはイライラを募らせ、足を組んで浮いた爪先をリズムでも刻むように揺らし始める。

 仕事や私生活で人付き合いをする機会に恵まれなかったリュウイチだが、トラックを運転中はずっとラジオを聞いていられる。若い頃はFM放送で音楽番組を中心によく聞いていたが、ある時期からかFM放送のパーソナリティーのしゃべりがどうも薄っぺらく感じるようになってしまい、話の内容の軽薄さに堪えられなくなって以降はAM放送ばかり聞くようになっていた。リュウイチが大人になってから学んだ知識の大半は、このAM放送で得た知識だったりする。

 そんな中にも一応人生相談みたいなものはあったし、社会問題を扱った番組もそれなりに聞いてきた。だから上司とはどうあるべきか、人の上に立つ者はどうあるべきかといった理想論みたいなものは通り一遍頭に入っている筈だ。だがイザ自分がその立場に立ってみると何をどうしていいのか、本当に自分は正しいことをしているのかどうか自信が持てない。


 自分がこんなに情けない人間だとは思わなかった……思わずため息が漏れてしまう。リュウイチは自分自身の不甲斐なさに溜息をついたのだが、しかし周囲の者たちはリュウイチがゴルディアヌスに苛立って溜息をついたのだと勘違いしたらしい。室内にいた全員がビクリと身体を震わせ、その視線がリュウイチとゴルディアヌスの間を盛んに往復し始める。

 いたたまれなくなったのはゴルディアヌスだ。このまま黙っていたらマズイ……本格的に追い詰められたゴルディアヌスはようやく重たい口を開く。


「ス、スンマセン……バ、バレなきゃ平気だろうって、あと、バレっこねぇって……だから、バレたらどうとか、あんまし考えてなかった……です」

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