第511話 海路の不安
統一歴九十九年五月六日、晩 -
ロウソクの灯りに照らされたヴァナディーズの顔からは、心底ルクレティアに対して心配しているような様子がうかがえた。言われてみればそうかもしれない。
『
今回のメルクリウス騒動も最初の報告が入り、プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵が正式に捜査担当責任者となって対応に乗り出してから早二か月だ。これまで世界各地で起こったメルクリウス騒動では毎回犯人の特定すらできず、対策の責任者となった国や地域では短くても半年、長いと数年に渡って厳重な警備体制を維持しつづける羽目になっている。
ところが、今回は『勇者団』という容疑者の特定に成功しているのだ。おそらく『勇者団』は過去のメルクリウス騒動とは関係がないだろうが、それでも彼らを逮捕できれば史上初めてのメルクリウス騒動の解決事例となるだろう。これを成し遂げることが出来れば、カエソーにとっては大金星である。
しかし相手は
高い魔力を誇る
その血は世界共通の財産ではあるが、その身柄はそれぞれの出身国の財産(ただし独占を禁じられた)とされており、下手に殺すとその母国に戦争を仕掛けたも同然と見做される。
つまり、本気で挑まねば相当な被害を出してしまう相手に、殺さないように手加減しなければならないのである。無理難題というほかない。
だが、ルクレティアがいれば…ルクレティアの《
しかし、ルクレティアの《地の精霊》は実はリュウイチの眷属であり、その力を利用するのは事実上リュウイチの力を直接借りるようなものである。それは大協約が禁じる「《レアル》の恩寵独占」に抵触する。
これまでの《地の精霊》の行為はすべてリュウイチの命令に沿ったものだった。すなわち、ルクレティアを援け守ることである…ルクレティアは既にリュウイチの
だが、今後はそうではなくなる。
ルクレティアはアルトリウシアへ帰り、《地の精霊》の力を借りることはできなくなる。また、仮に《地の精霊》の力を借りるべくルクレティアをアルビオンニウムへ留めれば、それは流石に「《レアル》の恩寵独占」の指摘に対して言い訳が効かなくなってしまう。言ってみれば聖女ルクレティアを人質に取って《
しかし、ルクレティアがアルトリウシアへ帰るにあたり、カエソーもたまたま同じルートで捕虜を移送する。そこへたまたま『勇者団』が襲って来たから仕方なく…となれば、カエソーはルクレティアの行動に何ら影響を及ぼしていないのだから、その力を利用するために云々という追及を回避できる…かなり苦しくはあるが…。
「いや…伯爵公子閣下はそんな風に考えてらっしゃるようには…」
ルクレティアは小さく引き笑いを浮かべ首をひねった。ヴァナディーズの指摘した疑念は考えてみればかなりな説得力があるように思える。だが、本当にそうだろうか?
「あら、前にも言ったでしょ?
上辺の言葉だけで判断してはいけないわ。」
「先生、それくらいは分かりますわ。
伯爵公子閣下はあの時、そんなことを企んでる御様子ではありませんでした。」
教師の顔に戻ってしたり顔をするヴァナディーズに対し、ルクレティアはクスリと笑うかのように言い返した。
「あら、自信たっぷりね?」
「当然です。私も貴族の娘ですから。」
あの時のカエソーはルクレティアの方を全く見ていなかった。ずっとセプティミウスの方を見ていた。もしもカエソーにルクレティアの…《地の精霊》の力を利用しようという魂胆があって自分もアルトリウシアへ行くと言い出したのだとしたら、その前のあの無言のまま考えていた時にチラリとでもルクレティアの方に視線を向けるのではないか?
そう、あの時カエソーはルクレティアの方へは
「あなたがそこまで自信を持って言い切るっていうことは、きっとそうなのでしょうね。」
ヴァナディーズは意外とあっさりと諦め、前のめりになっていた上体をひっこめて、ため息をつきながら脱力させた。それを見てフフンと笑うように、今度はルクレティアの方が身を乗り出してヴァナディーズの様子をうかがう。
「何か残念そうですけど?」
「ん?…ん~~、あなたも私と一緒に船に乗るんじゃないかって期待したのよ。
そしたらホラ、寂しくないし?」
「あ~~」
ヴァナディーズが諦め半分、甘え半分で笑いながらチラリとルクレティアの方へ視線を送ると、ルクレティアは困ったような笑顔を浮かべ、上体を引いて天井に視線を走らせた。
「ダメなの?」
「それは無理ですよ。」
「どうして?」
「やっぱり、一日でも早く帰らないといけないですし…」
残念そうに笑うルクレティアにヴァナディーズは身を乗り出して縋るように尋ねる。
「でもシュバルツゼーブルグまでブルグトアドルフの人たちが一緒なのよ?
ここからシュバルツゼーブルグまで、あの人たちのペースに合わせてたら三~四日はかかるわ。そこから
「いえ、ここから船で帰るとなるとサウマンディウムからアルトリウシアに行くのにナンチンに寄らないといけませんし…あそこはチューアだから、
ルクレティアがそう言ってゴメンナサイと言うように微笑みかけると、ヴァナディーズは今度こそ本当に諦めたようだった。
「ああ~ん、そっかぁ…残念だわ。」
「大丈夫ですよ、ここからサウマンディウムまで半日もかかりませんし、海峡を渡ってしまえば『勇者団』だって手を出せません。」
「そうかもしれないけど、やっぱり不安よ。
『勇者団』はサウマンディウムにたどり着く前に襲ってきたりしないかしら?
ほら、アルビオンニウムの湾口って狭いじゃない?
あそこの上からだったら船を攻撃するくらい、きっとわけ無いわ。」
ルクレティアが励ますと、ヴァナディーズは俯いて顔を両手で覆って鳴きまねをする。さすがにオーバーではあったが、ルクレティアは身を乗り出し、ヴァナディーズの肩に手を添えた。
「そんな、大丈夫ですよ先生!」
「そんなのわかんないじゃない!」
そう言いながらヴァナディーズはガバッと顔を上げ、ルクレティアを見た。
「向こうにはペトミー様がいるのよ!?
ペトミー様はモンスターテイマーで、使い魔とか使役するのよ?
今だって使い魔を使ってこっちの様子を監視してるかもしれないわ。
私が船に乗ってると知ったら、あの岬まで駆けてきて船を攻撃してくるかも」
「いや…それは…」
「できないと言える!?」
ヴァナディーズの思わぬ様相にルクレティアは思わずタジタジになった。確かに、狭い湾口を挟む岬の上からなら、湾口を通過する船を攻撃するのは出来なくはないかもしれない。
付き合いはまだ短いがそれでも尊敬する師であり、時に姉のようでもあってくれたヴァナディーズに泣き
「わ、分かりました!
ちょっと、
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