アルトリウシアのサウマンディア軍団

第1023話 恩と感謝と二日酔い

統一歴九十九年五月十日、午後 - ティトゥス要塞司令部プリンキピア・カストリ・ティティ/アルトリウシア



 サウマンディアから増援を受けての軍議はサウマンディア軍団第三大隊コホルス・テルティア・レギオニス・サウマンディイ大隊長ピルス・プリオルスプリウス・スエートーニウス・ヌミシウスの到着を待って開かれた。スプリウスは昨夜は隷下れいか大隊コホルスと共にトゥーレスタッドで過ごし、夜が明けてからティトゥス要塞カストルム・ティティへ陸路を駆け付けることになっていたのだ。とはいっても彼の部下たちはまだ到着していない。トゥーレスタッドから徒歩でティトゥス要塞を目指せばいかな軍団兵レギオナリウスと言えども到着は夕刻になってしまう。それでは軍議の時間が無くなってしまうので彼だけ一足先に、エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人がヘルマンニ・テイヨソンに命じて手配させた迎えの馬車で先行してきたのである。

 軍議とは言っても特別何かを話し合うというようなものではなかった。彼らは元々ティトゥス街道ウィア・ティティ再開通工事のために派遣された大隊であり、彼らは全員が工事現場近くに野営地カストルムを設置して生活することになっていたし、生活に必要な物資も工事に必要な物資も基本的にサウマンディア側から調達することになっている。

 工事現場となるアルビオン島北岸地域はアルトリウシアの中でハン支援軍アウクシリア・ハンの活動地域からは最も離れていたし、『勇者団』ブレーブスの活動圏からも外れている。それどころかティトゥス街道は一昨年の火山災害で不通となって以来利用する者は一人として存在せず、ティトゥス要塞の城下町から離れれば周囲はほぼ完全な無人地帯となることから、特に改めて調整しなければならないようなことは無いのだ。せいぜい、港に陸揚げされたサウマンディア側の物資を工事現場まで運搬する荷馬車をどう融通するかぐらいなものだろう。

 スプリウスも先に派遣されていた第二大隊コホルス・セクンダのバルビヌス・カルウィヌスも、どちらも状況の推移如何によってはアルビオンニア属州側のハン支援軍討伐への協力として隷下大隊を投入する可能性があることは言い含められていたが、それは今は未だ公に話し合うようなことではない。


 要は、この軍議は単なるセレモニーに近いものであった。互いに自己紹介し、互いに何をどうする予定なのか、何を協力し、何ができないかを確認するだけの、軽い会合のようなものである。

 そもそも、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア側の代表者であるはずの軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムマルクス・ウァレリウス・カストゥスが昨夜の宴会の二日酔いで絶不調なのだ。アルトリウシア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・アルトリウシイアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子も同じく未だに二日酔いに苦しんでいたが、ハーフコボルトの彼の場合は密生した白く短い体毛で顔全体が覆われているため、肌の色が見えない分マルクスよりずっとに見える。他にも昨夜の宴会に参加した者たちの中には、マルクスやアルトリウスのように二日酔いに苦しんでいる者も少なくなかったが、二人のように実は起きているだけで精一杯というほど酷い状態の者はさすがにいない。

 両陣営のトップ二人が二日酔いということで互いに相手側のトップを気遣う雰囲気もあり、軍議は誰もが積極的に口を開いて活発にという雰囲気にはなれず、どこか重苦し気な、それでいてどこか気の抜けたような、何とも言えない状態になってしまった。

 こんなことなら日をずらしても良さそうなものだ。実際、マルクスにはエルネスティーネやルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵から軍議を延期するかという提案も事前になされていたのだが、マルクスの強い意志によって本日予定通りの開催となっている。


 理由は今後の日程への影響である。今日、五月十日は金曜日だ。明後日は日曜なのでエルネスティーネはマニウス要塞カストルム・マニで息子カール・フォン・アルビオンニア侯爵公子と一緒に日曜礼拝をするために明日の土曜日には出立してしまう。帰って来るのは月曜日だから、今日の軍議を延期すれば次の機会は最短でも火曜日になってしまうだろう。その間、せっかく急いで到着した第三大隊やサウマンディアから第三大隊と共に送り込まれた大工たちは四日間も遊ばせることになってしまう。

 それにマルクスは明日は何としてもエルネスティーネたちと共にマニウス要塞へ赴き、降臨者リュウイチと聖女サクラリュキスカに謁見しなければならなかったのだ。


「……以上になりますが、何かご不明な点はございますでしょうか?」


 アルビオンニア侯爵家の筆頭家令ルーペルト・アンブロスは第三大隊に対するアルビオンニア側の支援体制について説明を終えると、不足の有無について確認を求めた。全員の視線がマルクスに集まるが、マルクスは気付く様子も無く、真っ青な顔に沈痛な表情のままコメカミに当てた手で頭を支えつつ、ぐったりと目を閉じている。話を聞いていたかどうかさえ怪しいその様子を横目で見ながら、スプリウスは気まずそうに咳払いした。


「万全な支援体制を整えていただき、感謝の言葉もございません。

 我が第三大隊コホルス・テルティアはアルビオンニアの皆様のご期待に必ずやお応えすることでしょう。」


「感謝はむしろ私共の方が述べねばなりません。」

「左様、既にプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵閣下には随分なご支援を頂いておりますのに、此度の更なる貴官と貴官隷下大隊の増援。

 アルトリウシアは伯爵のお気持ちに応え、必ずや復興を遂げることでしょう。」


 エルネスティーネと今日から早速公務に復帰したルキウスが相次いで感謝の言葉を返す。


「アルビオンニア属州が、そしてアルトリウシアが、此度の惨禍に見舞われたこと、サウマンディウス伯爵はいたく心を悩ませておいでです。

 アルビオンニアとアルトリウシアの復興が成れば、それはサウマンディアにとっても喜びとなりましょう。

 まだ足らぬ支援があれば、遠慮なくお申し出くださるようと、サウマンディウス伯爵より言付かっております。」


 安っぽいリップサービスの応酬に見えなくもないが、必ずしもそうでもない。サウマンディア属州としては、もうこれ以上の支援は出したくないというのが本音ではあったが、しかし降臨者リュウイチの存在を知っている一部の首脳陣にとってはここでアルビオンニア側に売れるだけ恩を売り、降臨者リュウイチや今アルビオンニアに潜伏しているムセイオンのハーフエルフたちの今後の扱いについて、少しでも優位に運びたいという思惑があった。

 アルビオンニア側としてもそれは承知している。これ以上他家から、特にサウマンディアからの支援を受けるのは、普通に考えれば不味いという感覚はほぼ全員が共有している。だが今現在アルトリウシアには降臨者リュウイチがおり、しかもルクレティアとリュキスカという二人の女性をリュウイチにあてがうことに成功している。おまけにムセイオンから脱走した『勇者団』を名乗る聖貴族たちは今アルビオンニアにおり、そのうち二人は身柄を確保している。

 メルクリウス騒動の容疑者である彼ら聖貴族たちは、どのみち捜査権を有するサウマンディア側に引き渡すことにはなるのだが、それでもまだ捕まっていないメンバーについては扱いが確定しているわけではないのだ。アルビオンニア領内でのサウマンディア軍団による捜索活動……そこにどれだけ便宜を図るか、『勇者団』の逮捕にどれだけ協力するか、『勇者団』を逮捕したとしてその身柄をいつ、どのように引き渡すか……その辺の匙加減はまだまだ調整の余地がある。

 だいたい、『勇者団』はメルクリウス騒動云々をさておいたとしても、アルビオンニア領内でテロ行為を起こし、領民や軍に多大な被害を生じさせているのだ。メルクリウス捜査のために一旦はサウマンディア側に引き渡さねばならないとしても、アルビオンニア領内で起こした事件の数々についての捜査や賠償請求に関する権利は間違いなくアルビオンニア側にある。

 つまり、アルビオンニア側にはアルビオンニア側でサウマンディア側から更なる支援を引き出すために提示できる物が、まだ残されているのだ。ルキウスはもちろん、エルネスティーネもその点は理解しているので、サウマンディア側に対するリップサービスでも美辞麗句びじれいくは重ねるが、その態度に卑屈な部分は無い。


 スプリウスはサウマンディア側の善意を強調し、アルビオンニア側が多少なりとも恩義を感じるように言ったつもりだったが、エルネスティーネやルキウスの自信に満ちた態度からは、あまり自分たちの優位を感じ取ることが出来なかった。もっともそれは、彼の隣で苦しんでいるマルクスのせいでもあったかもしれないが……

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