第1024話 老将の見解

統一歴九十九年五月十日、午後 - ティトゥス要塞司令部プリンキピア・カストリ・ティティ/アルトリウシア


 サウマンディア側の支援部隊幹部将校を招いての軍議は、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムマルクスの体調……二日酔いをおもんぱかり、必要事項の確認と貴族ノビリタスにしては最小限と言って良い簡素な挨拶だけで短めに切り上げられた。予定ではもっと長く続くはずだった会議がだいぶ端折はしょられた結果、参加者たちはだいぶ時間を余らせることになってしまう。

 賓客ひんきゃくを招いた貴族が時間を余らせれば「一緒にお茶でもいかがですか?」となりそうなものだが、何せ時間が余ってしまった理由がその賓客の体調不良にあるのだからそういうわけにもいかない。そこへサウマンディア側が自分たちでもう少し打ち合わせをなどと言い出したものだから、アルビオンニア側の貴族たちもサウマンディアの軍人らに遠慮せざるを得なくなった。


果汁飲料テーフルトゥムをくれ、冷えた奴だ。」


 要塞司令部プリンキピア内の別室を用意してもらったマルクスたちはさっそく腰を落ち着かせると、アルビオンニア側がつけてくれた世話係に注文する。世話係が「かしこまりました」と会釈して退室すると、スプリウスはわずかに顔をしかめた。


果汁飲料テーフルトゥムですか?」


 ティーフルトゥムは果物の果汁を煮詰めて作ったシロップを水で薄めた飲み物である。《レアル》現代日本風に表現するなら濃縮還元ジュースといったところだが、基本的に子供用の飲み物であり大人が好んで飲むものではない。レーマ帝国ではワインはシロップを思わせるような極端な甘口のがもてはやされるのに、甘くはあってもワインよりはよっぽどスッキリと淡麗なテーフルトゥムを大の男が飲むのを良しとしないのはレーマ文化の面白いところであろう。


「酔い覚ましにはアレが一番さ。

 一度試してみるといい、二日酔いの時の果汁飲料テーフルトゥムは普通に飲む時よりずっと美味く感じられるんだ。」


 スプリウスのやや険のある疑問に、マルクスは気にすることなく答える。見ようによっては本当は相手にするのも嫌だとでも言わんばかりだが、そうでもない。

 相変わらずマルクスの顔は青いが、マルクスは二日酔いでダウンしているのは演技だとでも主張するかのように、左右の肘掛けに両手を突っ張ると姿勢を正す。


「さてと……バルビヌスカルウィヌス、私が居ない間の様子を聞かせてくれないか?」


 スプリウスと同様、仏頂面ぶっちょうづらで横目でマルクスを見てたバルビヌスだったが、マルクスに促されると仕方ないとばかりに溜息を押し殺すかのように低く息を吐き出した。


「はい、復旧復興自体は驚くほどのハイペースで順調に進んでおります。

 建材を中心に物価が急激に上昇しておりますが、アルビオンニア侯爵、アルトリウシア子爵の両領主により潤沢な食料配給が受けられるため領民たちの間で深刻な不満は生じておりません。貧民パウペルなどは配給によって却って生活が良くなったという者もおり、両領主の人気は高まっています。

 配給対象外となっている贅沢品を必要としている下級貴族ノビレスなど富裕層の間ではまた話は別のようですが、彼らは復興事業の旨味にも預かっているので問題にはなっておりません。」


 この辺りのバビルヌスの報告はサウマンディアにも伝わっていることであり、マルクスやスプリウスにとっては状況の再確認といった程度の意味しか持たない。物価の急激な上昇はサウマンディアにも波及しており、特に建材が飛ぶように売れていて、サウマンディアの住宅着工件数はその影響で下降しつつある。大工など建築業者たちの業績や景気への悪影響が懸念されるが、サウマンディア側は領内の大工を徴収して今回、第三大隊コホルス・テルティアと共に支援部隊としてアルトリウシアに送り込んでいた。大工たちにとってはある種の出稼ぎであり、プブリウスにとっては領民の失業対策というわけである。

 ただ、そうした対策が取れているのは建築業だけの話であって、それ以外はというと何もできていないのが現状だ。特に食料価格の高騰が深刻で、アルビオンニアでは食料の配給が行われているので庶民プレブスたちは景気に何の問題も感じていないが、サウマンディアでは別に災害が起きたわけでもないので食料の配給などに踏み切る理由がなく、庶民や下級貴族らは食料価格の高騰に苦しんでいる。

 アルビオンニアに不必要に支援するからだ。他所の領民より自分の領民を大事にしろ!!……という声はサウマンディウムの酒場ではチョクチョク聞かれるようになってきている。


「アルトリウシアの経済について我々が心配しても仕方がない。

 治安や軍事情勢はどうなっているのですか?

 逃亡したはずのハン支援軍アウクシリア・ハンが見つかり、緊張が高まっているとの話でしたが……」


 スプリウスはバルビヌスに先を促す。彼と彼の部隊はどのみち人里から離れて復興事業に従事することになるので、アルトリウシアの経済や政治情勢について気にしても仕方がないと考えていた。

 それよりも気になるのはハン支援軍の動向とアルビオンニア側の叛乱軍への対応である。スプリウスの第三大隊はティトス街道ウィア・ティティの再開通工事に専従することになっているが、情勢次第ではハン支援軍討伐作戦に投入されることが予めプブリウスから知らされていたからだ。


「緊張は確かに高まっているな。」


 バルビヌスの顔に影が落ちる。


「アルトリウシアの南を流れるセヴェリ川……その向こう側に広がるアルトリウシア平野にハン支援軍アウクシリア・ハンのダイアウルフが現れ、遠吠えを繰り返すようになってからは余計だ。

 我が第二大隊コホルス・セクンダが活動しているアイゼンファウスト地区では遠吠えの度に作業員が逃げ出してしまって復興工事に遅れがみられている。

 領民どもはハン支援軍アウクシリア・ハンの所在を確認しながら、いつまで経っても討伐せず、ダイアウルフの跳梁まで許しているアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアへの不満を募らせる有様でな。」


 そう言うとバルビヌスは重苦しくため息をついた。彼も一応経験豊富な軍人である以上、アルトリウシア軍団の置かれた状況については十分理解している。まして降臨者リュウイチの存在を知り、それを踏まえたうえで偶発的な戦闘が起きないよう最大限の注意を払うように命令されている身だ。そんな彼にとって、いくら降臨者リュウイチの存在について知らされていないからとはいえ、自分たちの生活支援の都合すら忘れて「ハン支援軍アウクシリア・ハン討つべし!」「反乱軍討伐!!」と声高に叫ぶ一部の領民たちの存在は、他領のこととはいえ頭痛の種であった。


「しかし、いずれ討たねばならんことに違いはありますまい?

 伯爵閣下は小官の大隊コホルスに戦闘に備えるようお命じなられました。」


 スプリウスとしては同僚であり若い頃の上官であり、同時に指導を賜った先輩でもあるバルビヌスと認識を共有しておきたかった。バルビヌスの第二大隊が作業を行っているアイゼンファウストは現時点で最前線に最も近い地域である。もしも意図せず戦闘が発生するとすれば巻き込まれるのはスプリウスの第三大隊ではなく、彼の第二大隊であるはずだ。バルビヌス自身、それはよく理解している筈で、もっとも危険な地域で活動する彼がどう感じているかは知っておいて損はない。

 バルビヌスはスプリウスが戦闘を求めているかのように感じたのか、彼を諫めるように、あるいは彼への同調を拒絶するように首を振る。


「既に小規模な偶発的な戦闘は発生しておる。

 しかしワシは、連中、随分危ない橋を渡っとると思うておるよ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る