第1025話 改めて確認されるダイアウルフ銃撃事件
統一歴九十九年五月十日、午後 -
「小規模な戦闘?」
スプリウスとマルクスは揃ってバルビヌスに改めて注目した。
「先週のことだ。たしか、今月四日だったかな?
アルトリウシア平野からダイアウルフが姿を現し、
バルビヌスは記憶をたどりながら説明する。あの時、バルビヌス自身は生憎と現場にいなかったが、それでもアイゼンファウスト地区には居たので銃声は耳に届いていた。もちろん、その後に事の顛末についてアルトリウシア軍団から報告を受けてもいる。
「川越しというと、結構な距離があるでしょう?」
スプリウスはアルトリウシアの土地勘はない。過去に何度か対南蛮戦支援のためにアルビオンニアへ渡航したことはあるが、それは同じアルビオンニアでもライムント地方かクプファーハーフェンなどであってアルトリウシアに来た事は無かったのだ。このため幅二十~三十ピルム(約三十七~五十六メートル)ほどの川を想像しながら質問しているのだが、それでもレーマ軍の
「ざっと百ピルム(約百八十五メートル)はあっただろうな。」
「百ピルム!?」
答えを聞いたスプリウスが顔に薄笑いを浮かべたのは、実際にそれが冗談にしか聞こえなかったからだった。
百ピルム……それは短小銃の有効射程の完全に外側だった。戦列歩兵が密集している敵部隊に向けて一斉に射撃し、撃った弾の半数が敵部隊の中の誰かに命中することを期待できる距離が八十ピルム(約百四十八メートル)である。百ピルムはそれよりも二割以上遠い。そんな距離で射撃を開始するなど弾の無駄……もはや景気づけに空砲をぶっ放しているのと同じ程度の意味しかない。
当然、スプリウスはそんな距離で弾が命中したなどとは想像もしていない。集団が集団に対して確率的に命中を期待できる限界の一・二五倍もの距離で、一頭のダイアウルフめがけて射撃して命中など期待できるわけもないからだ。
「それでは
ダイアウルフは
そんなダイアウルフに対して弾が命中するはずもない遠距離で射撃したところで、威嚇効果すら期待するのは難しい。するとしたら、おそらく住民を安心させるためのパフォーマンスとしての射撃だろう。
……
内心で呆れながらもスプリウスは顔に笑みがこぼれぬよう気を張らねばならなかった。
「いや、命中したそうだ。」
「百ピルムの距離で!?」
「連中、あのオハザンを使ったのだ。
だから百ピルム先でも狙うことが出来る。」
オハザンとはオーハザマと呼ばれる長小銃のことである。口径はレーマ軍の短小銃より少し小さいくらいだが、鍛鉄でできた銃身はまるで槍のように異常に長く、銃身内にライフリングこそ刻まれていないものの尾翼付きの楕円形の銃弾を撃つため射程距離が小型の大砲並みに長い。南蛮軍が攻城戦や籠城戦などの拠点を巡る攻防戦に用いている火縄銃だが、アルトリウシア軍団ではアルトリウスの妻コトがアリスイ氏族から嫁いで来る際に嫁入り道具の一つとして持ち込んだものを配備、運用していた。
スプリウスももちろんオーハザマの存在は知っていたし、戦場で部隊が銃撃された経験もある。そしてそれらをアルトリウシア軍団が配備していることも知っていた。だがそれらは攻城戦や拠点防衛の際に用いられる大砲と同じ括りで運用されるものと承知していたため、野戦に……セヴェリ川の防衛に用いられるとは想像していなかったのだ。
バルビヌスに
「ああ……では、ダイアウルフを?」
「いや、それはわからん。」
「?……しかし、今『命中した』と……」
「命中はしたようだ。
だが命中したのがダイアウルフだったかどうかは分からん。」
スプリウスとマルクスは互いに顔を見合った。この戦闘の結果についての報告はバルビヌスからもアルトリウシア軍団からもサウマンディアに届けられており、スプリウスもマルクスも本当なら知っている筈だった。実際、二人はその報告書を読んでいる。が、同じ時期にアルビオンニウムで起きた戦闘と、それに
二人の様子に話がどうも通じないと不満に思っていたバルビヌスは呆れを隠し、溜息を噛み殺しながら語気を少し強める。
「川越しに射撃をした際、ダイアウルフは即座にアルトリウシア平野の藪の中へ消えた。
その後、
つまり、命中はしている。
しかし同時に、血痕の在った場所にハン族の革帽子や人間が刃物で切った葦の茎やらが落ちていたのだそうだ。」
「ああ、それはつまり……」
スプリウスはようやく話を理解したようだ。その顔はバルビヌスの目には間抜けに映る。チラッとスプリウスの間抜け面を見たバルビヌスはすぐに視線をずらした。
「そう、命中はしたのだ。間違いなくな。
だが、命中したのはおそらくダイアウルフではなく、ゴブリン兵だろう。」
「小規模な戦闘が既に起こっているというのは、そういうことでしたか。」
やっと理解したか……バルビヌスは若く未熟だったころのスプリウスを思い出したかのようにフンッと鼻を鳴らし、そして両腕を組んで背もたれに体重を預けながら天井を見上げた。
「そうだ。
だから言ったのだ。
連中、随分と危ない橋を渡っておると……」
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