ヴァーチャリア

乙枯

降臨の日

アルビオンニウム派遣隊

第1話 神殿の朝

 統一歴九十九年四月十日、朝 - ケレース神殿/アルビオンニウム



 昨夜来ケレース神殿テンプルム・ケレース周辺に潜伏し、警戒に当たっていた軽装歩兵ウェリテス十人隊長デクリオ五名は神殿テンプルムの前に集まっていた。彼らと彼らの部下たちが一晩守り続けた神殿には結局何も起きず、誰も訪れてはこなかった。


 誰か来れば、そしてそいつを捕まえれば、歴史に名を残す大手柄になっていたかもしれない。恩賞も思いのまま。帝都レーマに招かれて皇帝インペラトルの謁見だってかなうかもしれない。


 辺境の地方領主が抱える地方軍リミタネイの一兵卒という身の程もわきまえずに抱いた、そんな甘い夢をさますには朝露の冷たさは十分すぎた。

 夜は明けてるのに暗い気がするのは多分、空を覆う雲のせいではない。



 十人隊長たちは自分たちの任務が完了したことを確認しあった。


「じゃあ、最後に自分たちの持ち場だけ確認したら、十人隊コントゥベルニウムごとに帰陣しよう。で、『異常なし』と報告して朝飯だ。」

「あんまり早く帰ると自分たちで朝飯作らされるかもしれないぞ?」


 何人かが笑う。軍団レギオーでは通常、十人隊ごとに自炊するが、今朝の彼らの分は本隊で用意すると言われていた。

 今から帰ってから自炊するとなると、彼らが湯を沸かす前には本隊の連中はみんな朝食どころか片付けまで済ませてしまっているだろう。「早くしろ」「お前らのせいで帰りが遅れる」などと理不尽な文句を言われるに違いない。


「大丈夫だろ・・・ほら、煙が上がってるし。もう飯作ってんだよ。」


 彼らがいる丘から眼下に広がる廃墟を見下ろすと、確かに本隊が布陣している辺りから幾筋もの煙が立ち昇っていた。


「じゃあ、今から帰りゃ着いた頃に丁度できたくらいじゃねーか?」

「いや、女の脚じゃねーんだから、も少しかかるだろ?」

「持ち場に帰って周りを確認してから帰るんだから、丁度良いくらいだろ。」

「あー、そうかもな」


「あ、あの!」


 だらけ切った十人隊長たちがそろそろ無駄話を切り上げようとしたところへ、場違いな声をあげた者がいた。


「帰る前に神殿内部を確認しなくてよいのでしょうか?」


 声の主はネロだった。五人の中で最も若い・・・というか、昨年軍団に入ったばかりの志願兵ウォルンターリウスだった。


 入隊間もない新人が十人隊長を務めているのは、入隊の際に彼の母が行った付届けとコネを駆使して集めた推薦状の結果だった。もちろん、彼自身は騎士エクィテスの家系で高い水準の教育を受けており、栄養の良い食事を与えられて育ったいかにも貴族ノビレスの子弟らしい恵まれた体格を持ち、十分な資質を備えていた事も背景にはある。


 その彼が重装歩兵ホプロマクスではなく軽装歩兵の十人隊長になったのは、手柄を立てやすいからというプラスの理由と、母親の付届けと推薦状の効果が不十分だったというマイナスの理由によるものだった。


 通常、帝国の標準的な軍団は大きく分けて四種の兵科で編成される。騎兵エクィテス、重装歩兵、軽装歩兵、砲兵トルメントルムの四種である。主力は重装歩兵であり、優れた装備と高度な陣形運動によって戦闘力を発揮する。ただし、重装備の歩兵で緊密な陣形運動を行うため、機動力は低い。その機動力を補って側面から支援するのが、騎兵と軽装歩兵の役割である。


 重たい装備を身に付けて緊密な陣形運動をする重装歩兵には当然ながら高い協調性が求めらえれる。対して軽装歩兵は十人隊ごとに突撃と撤退を繰り返す遊撃部隊として運用されることが多く、重装歩兵ほど連携は求められない。


 このため、軽装歩兵部隊には協調性の欠いた兵士が配置される傾向が強くなり、必然的にガラの悪い荒くれ者の割合が高くなっていた。中には「軍団一の愚連隊」を気取る十人隊もあるくらいだ。

 騎兵や重装歩兵より比較的規律が緩いため猫背気味の兵が多く、同じホブゴブリンの軍団兵たちから陰でゴブリン呼ばわりされていたりする。


 当然ながら、そんな中で騎士家出身のお坊ちゃまはどうしても浮いた存在にならざるを得ない。実際、貴族出身の彼は五人の中で唯一背筋がまっすぐ伸びているため余計に目立つ。

 無駄に真面目すぎる彼は周囲からメンドクサイ奴と思われており、彼以外の四人の十人隊長たちの態度もそうしたものだった。


「必要ないだろ、あとでルクレティア様が見に来られることになってるんだし。」

「では猶更、安全を確認しておくべきでは?」

「なら、お前んトコでやっとけよ、俺たちは止めねえから。」



 結局、他の軽装歩兵たちが次々と帰途につくのを尻目に、ネロ率いる十人隊だけが神殿内を点検することになった。五人の中で最古参の十人隊長が率いる十人隊はもうとっくに姿が見えなくなっていたし、他の三隊も次々と下山し始めていた。


 ネロが神殿内の点検を告げた時、彼の七人の部下たちは特に不平や不満を口にはしなかった。七人はいずれも軍団の中でも落ちこぼれ的な存在だったし、自分たちのボスが新米であることも、他の四人の十人隊長に太刀打ちできないだろうことも知っていたからだった。


 まあ、しょうがない・・・彼らは何事も上手に諦め、適当に対処する術を既に身に付けていた。だからこそ、チャランポランな怠け者と評価され、一つの十人隊に集められてしまっているのだったが・・・。



 アルビオンニウムのケレース神殿は豊穣を司る地母神ケレースを祀る神殿ではあるが、大きな神殿ではない。小規模な祭祀などは行われるが、多数の信者が押しかけて集団で礼拝をするような施設ではなく、宗教施設というよりは観測施設という役割が大きい。

 観測するのは地脈の活動状況である。


 神殿には地母神ケレースを奉る礼拝所とは別に、『水晶の間クリスタル・ロクム』と呼ばれる地脈観測のための部屋がある。円形のドーム状の屋根を持つ背の高い部屋で、部屋の中央には二抱え程もある巨大な水晶球が鎖で吊り下げられている。この水晶球は地脈を流れる魔力を増幅させる機能があり、その真下にある寝台に神官が寝て瞑想することで地脈の活動状態を観測する。観測した地脈の状況から、豊作不作を占ったり地震や火山噴火を予知したりすることができた。


 このため、普段は信者と言えども一般人は立ち入らない施設となっており、神殿関係者の仕事と生活の場でしかない以上、建物の規模もそれなりのものに納まっていた。せいぜい豪商や中堅貴族の屋敷ドムスより一回り大きいぐらいで、内部の構造もそうしたものになっている


 正面玄関オスティウムに入ると玄関ホールヴェスティーブルムを通って中庭アトリウムに出る。中庭を囲むように寝室クビクルムが並んでおり、下級神官らの生活空間に充てられている。

 中庭の奥にある大きな観音扉をくぐると礼拝所があり、地母神ケレースの石像が祀られている。中庭突き当りの左右に廊下があり、右に進むと観測施設、左に進むと神官らの居住区角となっている。



「あとでルクレッティア様が来るんだから、変なモノ盗ったりするなよ。

 点検が終わったら玄関前に集合。

 あ、あと投槍ピルムは邪魔になるから玄関脇に置いて行こう。」


 ネロは部下たちに点検すべき場所を割り振ると最後にそう付け加えた。

 中庭を囲む寝室、観測施設にそれぞれ二人ずつ割り振り、居住区角は部屋数が多いので三人を割り振った。ネロ自身は奥の礼拝所を点検する。



 神殿は一昨年の冬に起こった火山噴火の後、都市ごと放棄されて以来無人になっている。市街地は火砕流や土石流の直撃を受けたが、この神殿は小高い丘の上に建てられていたため、建物自体に被害は全く受けていなかった。

 毎月、神官がお供を連れて来て御勤めのため数日宿泊するが、そのために必要となる最少限の物を除けば持ち出せる物はほとんどすべて持ち出されてしまっている。当たり前だが、金目の物なんか何一つ残ってはいない。

 毎月掃除されているし、昨日もルクレティアと彼女の世話を命じられた兵士らが掃除したので、塵一つ落ちてはいなかった。



 メルクリウスは来なかった。

 少なくとも誰一人としてそんな怪しい者に気づくことはなかった。

 もし誰にも気づかれずに降臨をやろうとしたのならどこかに魔法陣が残っている筈だが、それもどうやら無さそうだ。


 礼拝所でケレース像を見上げ、一人ため息をつくとネロは神殿を出た。外には既に寝室の点検を割り振られた二人が待っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る