第572話 キツネの肉

統一歴九十九年五月七日、夜 - シュバルツァー川ブルグトアドルフ上流/アルビオンニウム



 ティフ・ブルーボール、スモル・ソイボーイ、スタフ・ヌーブそしてスワッグ・リーの四人は焚火たきびを囲みながら魔力欠乏でダウンしているペトミー・フーマンの回復を待っていた。

 馬で駆けてアルビオンニウムに居るはずの他のメンバーを呼ぼうかという話もあったが、彼らが到着するのはどのみち翌朝以降の話になるだろう。それよりはペトミーがある程度回復して、魔力消費の少ない使い魔を使えるようになる方が絶対的に早い。ペトミーが回復し次第、使い魔を使って森を偵察し、行方不明になったナイス・ジェークとエイー・ルメオを捜索する。それで見つかれば回収することになるわけだが、その二人が動けない状態である場合も考えると二人を運ぶために最低でも一人あたり一人ずつの人手が必要で、さらにそれを守る護衛戦力もと考えると、今ここでアルビオンニウムへ人を割くのは得策ではない。

 第一、ティフには現時点であの《地の精霊アース・エレメンタル》と再び戦うつもりはなかった。ティフはアルビオーネとの戦闘によって精霊エレメンタルとの戦闘が想像していた以上に困難なものであるらしいと認識を改めていたし、《地の精霊》本人に戦いの意思は無く話し合いたいと言ってしまったという事情もある。ここで急いでアルビオンニウムの仲間を呼び寄せる必要性は高くないと判断したのだ。


 しかし、理性ではそう判断したとしても、大切な仲間が行方不明のまま助けに行けないでいることに対する焦燥感しょうそうかんのようなものが無いわけではない。特に、二人が行方不明になってしまった事に対して責任を感じてしまっているスモルは表面上は落ち着いてはいたが、やけにため息が多いしどこかソワソワしたような浮ついた雰囲気をまとい続けていた。まめに焚火のまきを拾いに行ったり、目を覚まさないペトミーの方をチラチラ見たりしている。ペトミーが回復しないと何もできないので、落ち着かないのだ。

 しかし、身長二メートル近い鎧姿のマッチョがそれでは周囲の者が落ち着ける道理はなかった。見かねたティフは何度目になるか分からない呼びかけをする。


「スモル、こっち来いよ!

 そろそろ焼けるぞ!?」


「ん?…あ、ああ…」


 スモルはティフに呼ばれ、焚火の傍へと戻ってくると、抱えていた流木をガラガラと脇に落とす。そこには既に一晩中はキャンプファイアー出来そうなほどの薪が山になって積まれていた。

 焚火のすぐ近くではスタフとスワッグが何やら得体の知れない肉を、自分たちで削りだしたやけに不格好で長い串に突き刺して焼いている。焦げないように遠火でじっくり焼いているのだが、どうも塩梅あんばいが良くない。焼いてる本人たちは美味しい食事を期待していたのに、一向にそういう気配がして来ないことに困惑し、ずっと眉間に皺をよせていた。


「なんか…いい匂いがして来ないなぁ?」

「うん…てか、くさい…何の臭いだコレ?」

「獣臭いというか、小便?」

「ああ、そうだ!小便の臭いだ!それも犬が小便したみたいな…」

「お前ら、ひょっとして膀胱ぼうこう破いちゃったんじゃないのか!?」

「いや!そんなことは無いです!」

「狩る時も頭だけ潰して、身体の方は無傷にしました。」

「いやそれにしても、この臭い…」

「キツネってホントに食えるのか?」

「今更そんなこと言わないでくださいよ。」

「このキツネ、ひょっとして何かの病気だったんじゃないの!?」


 彼らはもちろん食事の用意などしてきていなかった。メークミーが南へ連れ去られようとしている・・・その連絡を受けて何の準備もせずに飛び出してきてしまったのだから仕方ない。だが、何もしなくても腹は減る。本来なら狩りはアーチャーでレンジャーでもあるナイスが得意なのだが、ナイスは現在絶賛行方不明中だ。そこでスワッグがたまたま川の対岸側に居るのを見つけたキツネを狩ってきたのだった。スワッグは気配を消し、獣にも気づかれずに間近まで素早く忍び寄って攻撃することができる。だが、狩りそのものに対する経験や知識は豊富とは言い難かった。


 キツネ?…ホントだ、いますね…え?ええ、確かにあんまり食べたことないけど、前にナイスがスープ作ってくれたし、食えるでしょ?


 と、気軽に獲ってきたわけだが、いざさばいて焼いてみると異常なほど臭かった。内臓は傷つけずに取り除いたはずなのに、肉全体から強烈なアンモニア臭がする。捌いた時は血の臭いもあって、まあこんなもんかと気にならなかったのだが、焼き始めると肉から沸き立つアンモニア臭が強烈さを増してきたのだった。


「ナイスの奴、以前にキツネ料理した時はスープで出してたよな?

 ひょっとして煮なきゃいけなかったんじゃないの!?」

「今からでも煮ますか?」

「いや、でも今ここに鍋はないぞ?」

「鍋になるようなモノないのかよ?」

「すみませんブルーボール様、あいにくと料理することになるなんて…」

「そこの盗賊たちも兜とか被ってないしなぁ…

 俺もスワッグもスタフも革帽子だし…」


 全員の視線がスモルに集まる。スモルはバッと両手で自分の兜を抑えた。


「ふざけるな!

 鍋になんて使わせないぞ!?

 これは魔道具マジック・アイテムなんだからな!?」


 父から譲り受けた兜を鍋にされるんじゃないかと思ったスモルは慌てて拒絶した。


「しないよ!」

「大丈夫です!!しません。」

「はぁ~ホントに食えるのかな、この肉…」

「ウソつけぇ!お前ら全員、貸してくれって目ぇしてたぞ!?」


 キツネに限らないが肉食獣の肉は基本的に臭い。まず食えたものではない。それを食べようと思ったら十分な下ごしらえをする必要がある。それはしつこくしゃふつすることだ。

 鍋で煮ると大量の灰汁アクが出て来る。この灰汁には肉の臭いの原因となる成分が大量に含まれているのでそれを捨てなければならない。そして灰汁を一度取り除いて煮立たせたら煮汁を全部捨て、新しい水で再び煮る…それを二度三度と繰り返して臭いの原因物質を肉から取り除かねばならないのだ。臭いの原因となるのはアンモニアなどの窒素酸化物なので、このようにしつこく煮沸すれば取り除くことができ、臭みを消して食べられるようにはなる。ただし、このように煮沸を繰り返すのだから当然、臭いの原因物質と共に肉の旨味成分も失われることになる。だからキツネの肉は基本的に美味くない。臭くて食べられないか、臭みを取り除いた代わりに旨味も取り除かれたスッカスカの味かのどちらかだ。


 ナイスはそれを知っているのでキツネは滅多に料理しなかったし、料理する時は必ずスープなどの煮物だった。だが、彼らはナイスが料理したキツネのスープはたべたことあったが、そんな事情など知らなかったし鍋も無かったのでそのまま直火で焼いたのだ。

 そんなもの…当然、臭くて食えるわけがない。


「うわっ、くっせ!!」

「うっ…これは…」

「や…いくらなんでも…」


 見た目はイイ感じに焼けた肉だったが、試しに口を付けた途端、四人とも口に入れた物を吐き出してしまった。

 腹も膨れれば気分も多少は晴れて落ち着くだろう…そう期待していたが、結果は惨憺さんたんたるものだった。少しは上向かせようとした気分は不味い肉によって却って沈んでしまう。その彼らの沈んだ気分を明るく打ち消したのは、ようやく戻ってきたエイーの姿だった。

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