第984話 悪い友達

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



『それよ!

 何でこんなことになってるの!?』


「なんでとは?」


 精霊エレメンタルは念話で話す。念話は言葉ではなく意味を直接伝えるため、言語の違いや単語の機微などといった細かいことを抜きに誤解なく相手に意味を伝えることが出来る。が、それにもかかわらず《森の精霊ドライアド》の質問はあまりにも漠然ばくぜんとしすぎてどう答えるべきかわからない。グルグリウスは思わず眉を寄せて訊き返した。

 訊き返した後、グルグリウスはまた義姉が機嫌を悪くさせてしまったかもしれないと後悔したが、《森の精霊》は特に意に介することなく、同じ調子で食いつくように訊いてくる。


ペイトウィンそいつを捕まえることよ!

 一昨日、彼らが近くの街で暴れたけど、《地の精霊アース・エレメンタル》様は彼らを捕まえようとはなさらなかったわ。

 面倒だから追い払えって……捕まえなくていいって言われたもの。

 それで私、追い払おうとして失敗して、一人が魔力使い切って倒れちゃって、それで結果的に捕まえちゃって、それで仕方なく《地の精霊アース・エレメンタル》様にお渡ししたんだけど……《地の精霊アース・エレメンタル》様は却って困ってらっしゃったわ。

 《地の精霊アース・エレメンタル》様の代わりに身柄を受け取った人間たちは一応御礼を言ってくれたけど、《地の精霊アース・エレメンタル》様の方はむしろ迷惑だったかんじ。

 だからきっと『勇者団』こいつらなんか捕まえても要らないんだと思ってたのよ。

 なのに、何で今日は捕まえろってなったの?』


 で身を乗り出すようにして見た目通りの少女のようなかしましさ一気にまくし立てるように訊いてくる《森の精霊》を見下ろしながら、グルグリウスは面食らったような表情で思わず固まってしまっていた。言葉の嵐に圧倒されたような状態になってしまっていたわけだが、《森の精霊》が知りたいと欲しているところを遅ればせながら理解するとオホンと勿体もったい付けたように咳払いをする。


ペイトウィンこの者を捕まえたいと欲しているのは人間どもです、義姉上あねうえ

 《地の精霊アース・エレメンタル》様ではありません。」


『でも、《地の精霊アース・エレメンタル》様から命じられたのでしょう?』


「もちろんです。」


 グルグリウスはひときわ大きな声で言うと、誇らしげに胸を張った。ほんの数時間前まで、貧弱なインプに過ぎなかった彼にとって神にも等しい精霊エレメンタルの御用を仰せつかったということは、それだけで自慢になることなのだ。


「人間どもは『勇者団』ブレーブスを名乗るハーフエルフとその一党を捕まえたいと欲しております。今回はそれに《地の精霊アース・エレメンタル》様が御協力なさろうというのです。」


『どうして!?

 《地の精霊アース・エレメンタル》様ほどの偉大な精霊プライマリー・エレメンタルが人間なんかに!?』


 《森の精霊》の追及にグルグリウスは一瞬、言葉に詰まった。眉を寄せ、面倒くさそうな表情を浮かべそうになるのを辛うじて堪える。

 グルグリウスにしても全てを知っているわけではない。グルグリウスはこの世に召喚されて生を受けてからまだ半日と経っていないのだ。インプという種族が持つ集合知によって一般常識等のメタ的情報は有しているものの、彼の主人たる《地の精霊》の置かれた立場や事情などはほんの数時間ほど接する間に交わしたわずかな会話で得た分の情報しか持ち合わせていない。もしかしたら最近の事情に関してさえ、実は《森の精霊》の方がグルグリウスより知っていることだってあり得た。


「それは……」


 果たして義姉を満足させることができるかどうか不安に感じながら、グルグリウスは答えをひねり出す。


ペイトウィンこの者が手紙で脅迫したからです。」


『脅迫って?』


「要求を飲まねばシュバルツゼーブルグの街を火の海にすると……」


『ブルグトアドルフの街では実際にいくさをして、人死にも火事も出たのに《地の精霊アース・エレメンタル》様は捕虜は要らないっておっしゃられたのよ!?

 なのに何で実際にはまだ火を放ってないのに、火を放つって手紙を書いただけで捕まえようってことになるの!?』


 《森の精霊》である彼女にとって、意図して火事を起こすということがどれほど忌むべき事かは改めて説明するまでも無い。そして彼女からすれば実際に火を放った者たちと、火を放っていない者では前者の方が重罪であるはずだった。

 ところが、彼女の主人たる《地の精霊アース・エレメンタル》は前回実際に火災を引き起こした際はとがめることもなかったのに、今回はまだ罪を犯していないのに捕まえることを決断している。これはまったく納得しがたいことだ。


「まだ火を放ってないからですよ。」


 グルグリウスが小さく首を振りながらそう答えると、《森の精霊》は口をへの字に結んで眉を寄せた。やはり納得できないらしい。


「一昨日のことは吾輩わがはいには分かりませんが、今回について言えば火を点ける意思と能力のある者が、言うことを聞かなければ火を点けるぞと脅してきたのです。

 おそらく放置すれば確実に火を点けるでしょう。かといって言うことを聞いてやることもできない。だから捕まえて火を点けられないようにするのです。

 火を点けられてから消すより、火を点けられないようにした方が良いと判断なされたのでしょう。」


 《森の精霊》は難しい顔をしてうつむき、腕組みをした。


「それに、吾輩わがはいとしてはこれが重要だったのではないかと思うのですが……

 今回、ペイトウィンこの者が脅迫したのはです。

 おわかりですか?」


 グルグリウスの問いかけに少女は反応した。腕組みをしたまま顔を上げ、グルグリウスを見上げる。


『だから《地の精霊アース・エレメンタル》様が動かれたのね?』


 街に火を点ける……人間にとってそれは大量殺人に等しい暴挙だが、正直言うと精霊エレメンタルや妖精たちにとっては割とどうでもいいことだった。どれほど凶悪な事件であろうと、自分とは無関係の場所で起こったことであれば切実な出来事として受け止めにくいのは人間も人間以外の者たちも同じである。まさに対岸の火事というやつだ。

 そして実際、ブルグトアドルフの街を焼いた火事も《地の精霊》にとってはもちろん《森の精霊》にとってすら他人事だった。それがシュバルツゼーブルグの街に変わったところで同じである。その他人事であるはずのシュバルツゼーブルグへの放火宣言に《地の精霊》が反応し、脅迫者であるペイトウィンの捕縛を決断。さらに眷属であるグルグリウスを派遣してきている。それは《森の精霊》にとってそれは非常に不可解な出来事だったのだ。

 しかしグルグリウスの説明で《森の精霊》の中に渦巻いていた疑問が一気に解消された。


 彼女たちの主、《地の精霊》はルクレティア・スパルタカシアを守護している。ルクレティアは彼らにとって取るに足らない人間の一人にすぎないが、聞くところによれば《地の精霊》が仕える偉大な御方の奥方になられる女性だという。そのルクレティアをペイトウィンが脅した……だから《地の精霊》は人間任せにせずに自ら対処することを決めたのだ。


 グルグリウスがコクリと頷くと、《森の精霊》は腕組みしていたうちの片手を顎に当て、沈思黙考し始める。


 理由は分らないが『勇者団』ブレーブスはルクレティア本人か、ルクレティアに近しい人間たちと敵対しているらしい。『勇者団』は彼らにとって取るに足らない存在ではあるが、今後もルクレティアにチョッカイを出してくるようなら、《地の精霊》が今回のように動くこともあるだろう。《地の精霊》に連なる眷属たちも働かねばならなくなるかもしれない。

 もしそうなれば、グルグリウスが指摘したように《森の精霊》も友達であるはずのエイーやクレーエを手にかけねばならなくなる可能性がでてきてしまう。エイーやクレーエが『勇者団』と行動を共にする限り、その可能性が消えることは無いだろう。


『グルグリウス、聞かせて。

 「勇者団」この人間たちを、これからも続けると思う?』


 グルグリウスは義姉の自分の方を見ずに投げかけて来た疑問に神妙な顔つきで応えた。


吾輩わがはいも『勇者団』については大して存じませんので……」


 ジロリ……と《森の精霊》がグルグリウスを睨み上げる。言葉を濁して逃げようとしたグルグリウスだったが、義姉の無言の圧力を受けるとオホンと咳払いした。


『勇者団』やつらは取るに足らぬ存在ですが、人間にしては強力であることも確かです。

 おそらく、自分より強い者が居ることを知らないのでしょう。

 『勇者団』やつらはそれを鼻にかけ、身の程もわきまえずに尊大に振る舞います。

 こういう人間は痛い目を見て己の分際ぶんざいを知るまで、愚かな行為を繰り返すでしょう。」


 グルグリウスは『勇者団』のことなど知らない。それは事実だ。生まれて半日しか経っていない彼が実際に見聞きしたことなどわずかなものだ。だが、元々集合知を持つインプとして生まれた彼は、《森の精霊》などよりよっぽど人間というものを知っている。そのグルグリウスがペイトウィンとエイー、そしてシュバルツゼーブルグで会ったナイス・ジェーク、メークミー・サンドウィッチといった捕虜たちを見て抱いた感想は、《森の精霊》を満足させるには十分なものだった。

 《森の精霊》は早々に帰りたがっている義弟をわざわざ呼び止めて相談をしてみた自分の判断が間違っていなかったことを確信し、腕組みを解いた。


『グルグリウス、知恵を貸しなさい。

 私は私の友達を守ってあげたいの。』

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