第91話 バランベル号失踪

統一歴九十九年四月十一日、朝 - ヒュロッキンホルニ号船上/アルトリウシア湾



 今朝早くにセーヘイムを出港した捕鯨母船『ヒュロッキンホルニ』号はまだ朝靄あさもやの残る海上を西へ進んでいた。


 捕鯨母船は鯨や海獣を追いかけまわすことを前提にしているため、貨物船クナールよりも高速を発揮できる戦船ロングシップと同じ形状を採用しており、獲った獲物を運ぶ都合もあってその全長は十二ピルム(約二十二メートル)に達している。

 ロングシップと同じと言っても『ナグルファル』号のように船首楼せんしゅろう船尾楼せんびろうのようなやぐらはもちろん火砲なども搭載してはいない。


 この『ヒュロッキンホルニ』号もそうだが『ナグルファル』号を始めこの世界ヴァーチャリアのロングシップは船体に鎧張り構造クリンカービルドではなく平張り構造カラベルビルドを採用している。鎧張り構造とは船体外板を少しずつ重ねるように張る構造で船体表面が段々になる構造で、平張り構造は船体外板の端面を合わせて船体表面が真っ平になる構造だ。


 鎧張り構造の方がフレームを細くできるため船体全体を大幅に軽量化できるのだが、どうしても全長二十メートルぐらいまでが上限になってしまう上に、船体表面が滑らかではないせいで銅板被覆どうばんひふくが施しにくい。

 また、船体表面積がどうしても大きくなるため同サイズ同形状の平張り構造の船に比べて水の抵抗が大きくなって高速発揮には不利になると考えられてもいた。


 しかし、レーマ帝国を通じてもたらされた新たな造船技術を元に平張り構造を採用したことによって、従来の鎧張り構造を採用したロングシップの二倍近い『ナグルファル』のような巨船も建造可能となったし、セーヘイムでは採用例は少ないが銅板被覆も施せるようになった。


 『ヒュロッキンホルニ』号のサイズでは平張り構造採用の恩恵は小さいものの、船体表面を滑らかに仕上げる事が出来たうえに船体全体にうるしを塗布したことで他のロングシップでは発揮できないレベルの高速船に仕上がっていた。

 この捕鯨母船が今回、『バランベル』号の捜索とその動向確認という偵察任務に充てられたのはそのセーヘイムいちの俊足を見込まれてのことだった。


 ちなみに『ナグルファル』号は昨日切断した張綱はりづなの交換がまだ出来てなかった事と、ハン支援軍アウクシリア・ハン叛乱の混乱で乗員が集まらず足らない事、そして肝心のヘルマンニとサムエルが二日酔いでダウンしていた事から今日はお休みである。



「なあ、ホントに湾口まで、行くのか?

 昨日の、座礁ポイントに直接行きゃ、いいじゃねえか。」


 漕ぎ手の一人ヴァリオがぼやく。


 今日の計画では一旦湾口まで行き、そこから帆走でアルトリウシア湾の真ん中を高速で帰ってくることになっていた。

 『ヒュロッキンホルニ』号が全速力で走っていれば、万が一『バランベル』号から攻撃を受けても被弾することは無いだろうという判断からである。



「居なかったらどのみち湾口までは探しに行かなきゃいけないんだぞ?」


 『ヒュロッキンホルニ』の船首で前方と左側・・・昨日『バランベル』号が座礁したはずの方向を交互に見ながら、今回の臨時船長を務めるパーヴァリが答えた。

 だがヴァリオの口は減らない。


「居ればそのまま、帰れるじゃん。」


「そしたら反転してる間に撃たれちまうだろ?」


「当たりゃしねえよ、どうせさ、そんなに近づかな、いんだろ!?」


 今度はパーヴァリの代わりに、ヴァリオの隣で櫂を漕いでいたタウノが口をはさむ。


「ぼやくなよヴァリオ、『バランベル』の他にも貨物船が、何隻かいただろ?

 あれも探さなきゃ、いけないんだ。」


「そうだぞ、俺たちが湾内の安全を確認しなきゃ、漁師共は出漁できないんだ。

 明日からも魚食いたきゃ我慢して漕げ。」



 今『ヒュロッキンホルニ』号に乗っている十八人は全員『ナグルファル』号の船員である。

 昨日の海戦の様子は海戦があった事実も含めて未だ秘密にされていた。

 セーヘイムの住民たちは『バランベル』号が海に出た事を知っていたし、そのすぐあとぐらいの時間に海上で鳴り響いた砲声から海戦があった事自体は予想していた。

 そして、その日の夕方に『ナグルファル』号が帰ってきたことから、多分『バランベル』号と『ナグルファル』号が戦ったんじゃないかと言う噂も当然のように流れている。


 もう海戦があったことぐらいは喋ってもいいんじゃないかという気もしないではないが、何故『ナグルファル』号が昨日アルトリウシア湾に帰ってきたのか?や、どうして『ナグルファル』号は『バランベル』号を攻撃しなかったのか?という疑問が当然湧いてくることを考えると、降臨者リュウイチの存在を秘匿するという都合上海戦の事実そのものを秘匿しておいた方が良いという判断になったのだった。

 そして、海戦の秘密を保持したままで『バランベル』号の捜索と動向確認を行えるのは、昨日『ナグルファル』号に乗っていた船乗りたちのみということになる。


 昨夜彼らは皆、寝入り端をたたき起こされた。

 『ナグルファル』号の接舷を終え、軍団兵レギオナリウスたちの荷物を降ろすのを手伝い、桟橋の上で改めて秘密厳守を誓わされてやっと解散。とは言っても家は海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリアと共に燃えてしまって帰れないので船員のほとんどは実家や親戚の家に泊まることになる。

 そこで訊かれた事や喋りたい事もいっぱいあるのに我慢して口をつぐみ、微妙な雰囲気の中で夕食を食べさせてもらいそろそろ寝ようか、あるいは寝転がったところでメーリから急に広場へ呼び出され、明朝日の出前に集まって『バランベル』号を探してこいと命じられたのだ。



「メーリも人使い、荒くなったよなぁ」


「ちょっと前まで、可愛い女の子だった、のになあ」


「やっぱ子供産むと、女ぁ変わるよな。」


「サムエルもやっぱ、尻にしかれてんの、かな?」


「そんくらいじゃなきゃ、あの家はまとまんない、だろ?」


大女将インニェルさんと、いっしょだもんな」


「すげーよ大女将インニェルさん、昨日はセーヘイム、一人でまとめ上げた、って話だぜ?」


大将ヘルマンニの奥さん、だもんなぉ、やっぱ女傑だよ」


「おめえらそう言うけど、インニェルだってわけぇころぁ、メーリちゃんみたい、だったんだぞ。

 線が細くてよぉ、セーヘイムいちの美人、さんだったんだ。」


「マジかよ、親父さん?」


「ああ、俺ら当時の、セーヘイムの若衆は、みんなインニェルに憧れ、たもんさ」


「信じらん、ねぇなぁ。

 じゃあ、メーリもそのうち大女将インニェルさん、みたいになるってこと?」


「まだ大女将インニェルさんは、変わってねぇ方だよ。

 うちの女房なんか、見ろよ。

 魚の行商してっから、腕っぷしなんか俺と、変わんねえくれえ太く、なっちまった。」


「そりゃおめえが、給料全部飲んじまう、からだろぉ。」


「俺ぁそんなに、飲んでねえよ。家族が食ってく、程度はちゃんと、残してる。」


「それだけじゃ足らねえ、のさ。子供が将来結婚、できなきゃ困るだろ?」


「ウチは娘だけだぜ、結婚で金が要るのは、婿のほうだ。」


「そりゃセーヘイムの、ブッカ同士の結婚、ならそうだろうよ。

 だがレーマじゃ、嫁の方が持参金、用意するんだぞ?」


「何だよそれ、逆じゃねーの?

 嫁を貰う男が、何で金出さねぇんだよ。

 俺なんか女房、貰うのにいくら払ったと、思ってんだ!?」


「文化だよ文化。

 レーマの男ホブゴブリンと結婚、することになったら金が、要るのは嫁の方なのさ。

 だからおめえの女房は、ホブと結婚することになっても、いいように金を、貯めてんだよ。」



 自分の娘をに嫁がせたいと思うのはどの国の親でも同じである。

 そして、アルトリウシアでブッカの嫁を貰ってくれそうなゴブリン系種族での息子の約六割はホブゴブリンだった。このため、セーヘイムの娘親たちの中にはこのようにホブゴブリンとの結婚を視野に入れている者が少なくない。



「冗談じゃねぇや!

 ホブ男なんぞと、結婚なんか俺は、認めねぇぞ!」


「本人同士が惚れあっちまや、関係ねえさ。

 案外もう相手が、決まってるんじゃ、ないか?」


「馬鹿言え、俺の娘はまだとうになったばっかだぞ!」


「五年なんて、あっという間さ。

 だいたい相手がブッカ、だとしても花嫁衣裳、くらい用意せにゃならん、だろうが!」


「ちくしょぉ、面白くねぇ!面白くねえぞぉ!」


 無駄話のせいで櫂のペースが乱れ始めたのが気になったパーヴァリは漕ぎ手たちの気を引き締めるべく声をあげた。


「つまんねー話なんかしてっから面白くなくなるんだ。いっそ歌でも歌え!


♪酔っぱらい水夫を、どうすりゃいい?

 酔っぱらい水夫を、どうすりゃいい?

 酔っぱらい水夫を、どうすりゃいい?

 朝早くから♪」


 パーヴァリのヤケクソっぽい調子の外れた歌い出しに、漕ぎ手たちは苦笑いを浮かべて付き合い歌い始める。


「「「ウェイ ヘイ! 櫂を漕げ!

   ウェイ ヘイ! 櫂を漕げ!

   ウェイ ヘイ! 櫂を漕げ!

   朝早くから♪」」」


「船底の水でも、飲ませとけ!

 船底の水でも、飲ませとけ!

 船底の水でも、飲ませとけ!

 朝早くから♪」


「「「ウェイ ヘイ! 櫂を漕げ!

   ウェイ ヘイ! 櫂を漕げ!

   ウェイ ヘイ! 櫂を漕げ!

   朝早くから♪」」」


 彼らが歌う船乗りの歌シーシャンティーは《レアル》からレーマ帝国を介して伝わった作業歌を、彼らの言語に合わせて歌詞を替えたものだった。本来は結構ハイペースな曲だが、彼らは櫂を漕ぐペースにあわせて原曲よりかなりゆっくり歌う。



 やがてトゥーレ岬の沖合まで来た『ヒュロッキンホルニ』号は大きく左へ反転し、櫂を収容すると帆を張った。

 進路を南東に取り、湾の北岸と南岸の中間ぐらいまで来るとそのまま東へ。既に海上を覆っていた朝靄あさもやは綺麗に晴れ渡っており、このルートなら『バランベル』号がアルトリウシア湾内のどこへ居ても必ず見つける事が出来る。



 しかし、彼らは『バランベル』号を見つける事が出来なかった。『バランベル』号に付き従っていた貨物船も一切見当たらない。

 彼らが見つける事が出来たのは、『バランベル』号が座礁したはずの水域で漂っていた、折れた赤い帆柱マスト、赤い帆桁ヤードと帆だけだった。

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