第726話 現場検証

統一歴九十九年五月七日、夜 - グナエウス峠山中/アルトリウシア



「へ、へい……」


親方ぁドミヌス……」


 ヒトの炭焼き職人のロホスは軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムゴティクス・カエソーニウス・カトゥスにうながされると、どこか気の抜けたような調子で返事をし、そして何か躊躇ためらうような……というより、何か夢でも見ているかのような様子で、彼を守っていた軍団兵レギオナリウスたちの間から出てきた。その後ろにコボルトの青年が神妙な顔つきでついてくる。

 ゴティクスはその様子を見ながら手に持っていた職杖しょくじょうでポンポンと自分の方の首に近い当たりを叩き、顔をしかめた。


 こんなんで話ができるのか?


 今朝、中継基地スタティオで話をした時はもう少しシャンとしていたのだが、ここに来る途中ですれ違った軍団兵レギオナリウスたちが運ぶ犠牲者の死骸を目にした後からこんな風になってしまった。


 まいったな、仲間の死骸を見て醒めてしまったか……


 よくある話だった。恐ろしい場面で、残酷な場面で、その時その瞬間は人間の脳は思考を麻痺させる。一種の興奮状態と言っても良いかもしれない。とにかく、残酷なこと、恐ろしいことがそれと認識できなくなり、危険への対処に意識が集中する。そうした現象は時に痛覚さえ麻痺させ、致命傷に近い傷を負いながらも兵士に戦わせ続けることすらあった。いわゆる「火事場の馬鹿力」などと呼ばれ知られている現象だ。それは過酷な状況で精神を保護し、生き延びるための安全機能のようなものなのだろう。


 昨日取られた調書によれば、夜中に目覚めたロホスは仲間の一人がダイアウルフに食われたことを知ると、パニックに陥りかけていた仲間たちをまとめ上げ、ダイアウルフの執拗な襲撃を退けながら中継基地まで逃げ込んでいた。途中、逃げた三人の炭焼き職人のうち一人が尻に嚙みつかれ、肉をごっそり食いちぎられる重傷を負いはしたが、被害らしい被害はそれだけである。

 調書を見る限りそれは軍人でもない、荒事なんて街の喧嘩ぐらいしか経験の無いはずの只の炭焼き職人にはとても期待できないような冷静かつ的確な対処だった。恐怖が一時的に麻痺していたとしか思えない、まさに火事場の馬鹿力といって良いものだったに違いない。


 だが、そのような状況はいつまでも続くわけではない。何かの拍子にそうした精神的麻痺状態からめてしまうと、まるでそれまでの反動が一挙に押し寄せてくるかのように、身体から力が抜け、精神的活力が失われ、呆けたようになってしまう。今更のように恐怖に囚われ、思考が回らなくなったり、恐ろしさに打ちひしがれてしまったりするのだ。ちょうど今、ゴティクスの目の前で立ちすくんでいる炭焼き職人ロホスのように……。

 おそらく、仲間の無残な姿を見せられ、今更のように恐怖が蘇ってきたのだろう。それまで無意識に目を背け、深層心理の中に押し込められていた恐怖が、溜まりに溜まっていた分が彼に襲い掛かり、彼の心は感情の波に溺れているのだ。


「ロホスとやら!」


「ヘッ、ヘイッ!?」


 少し大きい声を出すと、ロホスはようやくゴティクスの顔を見た。


「大丈夫か?話はできるか?」


「へ、へい……もちろんでさ。」


 これは……ダメかもしれんな………


 何かハッとしたように反応するロホスを見てゴティクスはいぶかしむ。ここまで馬車で飛ばして三時間以上かかるのに、今朝は陽の出る前に出てきたのに、今更証言者が口を利けませんでは困る。


親方ドミヌスしっかりしてくだせぇ……

 こンままじゃ、こンままじゃあ、ウッツが浮かばれねぇ」


 ガタイの割に気弱そうなコボルトがそう声をかけると、ロホスはハッとして急に背筋を伸ばし、ゴクリと喉を鳴らして唾を飲みこむ。


「う、ウッツ……」


「そうですよ親方ドミヌス、食われまったウッツだけじゃねえです。

 尻を食われたアーヴァルさんだって……」


 コボルトはロホスの前に回り込むとその両肩を掴み、身をかがめて顔を覗き込むようにロホスを説得する。ロホスは顔面間近に迫ったコボルトの青年の両眼を、目を泳がせるように交互に見て数回口をパクパクとさせた。


「あ、あ、アーヴァル……ウッツ……」


「そうです親方ドミヌス、二人の、二人のカタキを取らなきゃ!」


「お……おうっ」


 コボルトの青年が離れるとロホスは両手で自分の顔をバンバンとはたき、目を覚まさせた。そして「ありがとよ、シーロー」と小声でコボルトの青年に礼を言うと、改めてゴティクスの方へ向き直る。


「す、すみません隊長さんトリブヌス、見苦しいところをお見せしちまって……」


「いや、丸腰でダイアウルフに襲われたのだ。

 まして仲間が犠牲になったとあれば、平静でいられなくて当然。

 無理であれば、また後日でも構わんが?」


 他人の心情に配慮するのが苦手で無神経な発言も多いゴティクスではあったが、幾度かの南蛮との苦しい実戦経験の中から、極限状態に置かれた人間に平常心を期待できないことぐらいは学び取っていた。もっとも彼の場合は、配慮というよりも諦観に近いモノであったが。


「い、いえっ、大丈夫でやす!

 是非っ、是非お話をさせてくだせぇ!

 そんでどうか、どうかあのワンコロどもを退治して、ウッツの仇を取ってくだせぇ!!」


 ロホスの青白い顔はまだどこか震えているようである。そして見開かれた目は涙をたたえて潤んでいるが、その視線はゴティクスの方へまっすぐ向けられているにもかかわらず、焦点はどこかずれているようでもあった。


 本当に大丈夫か?


 ゴティクスが冷静にロホスを観察していると、その横からいつの間にか来ていたラーウスが突然声を張った。


「よしっ、その心意気、見事である!」


「!?」


 思わぬところから大声を出されてゴティクスは驚いてしまったが、それに気づくこともなくラーウスは話を続ける。


「必ずやダイアウルフどもを退治してやろう。

 では、さっそく話すがよい。

 あの日、お前たちはここでどうしていたのだ?」


「へいっ、あ、あの日、アッシらぁ日が暮れた頃になってようやく塚に火を入れやした。

 そんで、みんなでこの天幕を張って……」


 それから、ロホスは憶えている限りのことを、まるで胸につかえていたものをすべて吐き出すかのような勢いで語った。夜中にアーヴァルのあげた奇声で目を覚ましたところで、何か感極まったようになり話が一時的につかえはしたが、そこから三人でまとまって中継基地へ逃げ込むところまで、ほぼ余すことなく話し終えた。


「ふ~む……

 ではお前たちは今日、我々が来た通りの道筋を通って逃げたのだな?」


 証言を聞き終えたラーウスが確認する。ここに来るまでの間、既に「この道を通って逃げた」という話は聞いていたが、何せ夜も夜中の雨の中、月明かりも届かぬ山の中である。間違えている可能性はゼロではない。


「へい……こっから街道までの道ぁ一本きりでやすから。

 重てぇ炭ぃ運び出すためン道なんで、夜中でも迷いっこありやせん。

 街道に出てからぁ、あとは中継基地スタティオまで一本道。

 目ぇつぶってだって歩けまさぁ」


 ロホスは力強く言った。その声はまだどこか震えているような響きがあったが、見た感じ恐怖による震えではなく、どちらかと言えば内なる怒りに打ち震えているような様子であった。話をしている間、幾度か彼の内側で恐怖が蘇ってくるような場面があったようだが、その後はむしろそうした理不尽な恐怖に対する怒りが沸々と湧き上がってきたようである。


「そうか……

 ではこの辺りで、オオカミやその他危険な獣は出るのか?」


 街道周辺は警察消防隊ウィギレスが頻繁にパトロールをし、オオカミなどは積極的に狩っているくらいなので街道付近にはオオカミは居ないはずである。そのことはラーウスももちろん知っていた。が、この場所は街道から半マイル(約一キロ弱)も離れている。もしかしたら、ラーウスの知っている情報とは違う環境である可能性は否定できない。


「いえ、山にゃあオオカミもクマも居やすが、ここらにゃ滅多に出てきやせん。

 兵隊さんが追っ払ってくれやすし、アッシらもコイツを持ってやすから、この音を鳴らしてりゃ向こうから逃げていきまさぁ。」


 ロホスはそう言うと熊除けの鐘のついた杖を見せ、ガラガラと音を鳴らして見せた。その音のやかましさにラーウスとゴティクスはわずかに顔をしかめる。


「そうか、わかった。」


 ラーウスはそう言って手をかざし、ロホスに鐘を鳴らすのをやめさせる。


「アッシらも山ン中ぁ長ぇんで、そりゃ獣の足跡を見ることぐれぇたまにゃありやすが、実際に目の当たりにするこたぁそうそうありやせん。遠目に尾根を登っていくのを見ることがあるくらいでさぁ。」


「足跡?……足跡か……」


 ひょっとして足跡で追えるか?


 ラーウスはロホスの話からヒントを得たような気になって足元を見た。地面には人間とダイアウルフの足跡が入り乱れていた。

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