第727話 獲物の捕まえ方

統一歴九十九年五月九日、午前 ‐ グナエウス峠山中/アルトリウシア



「足跡を追跡するのは、諦めた方がいいでしょうな。」


 軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムゴティクス・カエソーニウス・カトゥスは相変わらずシトシトと雨が降り続く中、地面に残った足跡を見据える筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスラーウス・ガローニウス・コルウスに助言した。ラーウスが先ほど口にした独り言と、そしてその後地面に向けた視線からラーウスの考えを察したゴティクスは、ラーウスが命令を発してしまう前に牽制したのだった。


「何故だ?

 今ならまだ足跡は残っているじゃないか。

 雨は降っているからいずれ消えるのは分るが、森の中なら雨粒も葉に遮られるから、足跡はしばらく消えないんじゃないか?」


 考えを見透かされたことに対する反発のようなものがあるわけではないが、自分で良いと思ったアイディアを開陳かいちんする前に否定されてしまったことはやはり面白くない。


「追跡そのものは可能でしょう。

 アルトリウシアの猟師どもも足跡を頼りに獲物を追うことがままあります。」


「じゃあ何がダメなんだ?」


 ラーウスは納得いかない様子でゴティクスの方へ身体ごと向き直った。


「追跡して、どうするのです?」


「そりゃあ、攻撃するさ。」


 追跡か可能なのに、何故諦めなければならないのか、ラーウスには分らない。

 相手は少数だ。ハン支援軍アウクシリア・ハンの通達によれば逃亡しているダイアウルフは全部で五頭。炭焼き職人を襲ったのは四頭で、荷馬車の事故現場に残されていたダイアウルフの足跡も四~五頭分と報告されているから、ダイアウルフの頭数についてはハン支援軍からの報告内容は信じてもいいだろう。逃亡したとされるダイアウルフらはおそらくまとまって行動しているハズだ。それがしっかりと足跡を地面に残してくれているのだ。追跡して一網打尽にしてしまうのが一番ではないか。

 だがゴティクスは首を振る。


「相手はダイアウルフ……騎兵です。

 五騎の騎兵と戦うために必要な戦力はどれほどですか?」


「相手が五騎なら……単純計算で五十人といったところだ。」


「騎兵一騎で歩兵十人に相当する……五騎なら十倍の五十人、その通り正解です。」


「何が言いたい?」


 ラーウスはゴティクスの回りくどい言い方に苛立ち始めていた。ただでさえ寒い山中で足元を泥で汚し、冷たい雨に打たれながら何故このような問答をしなければならないのか?ラーウスはゴティクスに見下されているような反発を禁じ得ない。

 五十人で十分なら一個百人隊ケントゥリア八十人も投入すれば余裕ではないか。グナエウス街道全体に防衛体制を築くためには二個大隊コホルスでも足りないというのに、その十分の一以下で解決できるなら安上がりのハズ。


「まぁまぁ」


 ゴティクスは半笑いを浮かべながらラーウスに近づき、その苛立ちをなだめる。そしてラーウスとの距離を詰めた分、ゴティクスは声を低くして語った。ロホスら、炭焼き職人たちに聞かせたくないのだ。


「実際にはもう少し必要でしょう。

 相手は騎兵ではあるが、馬ではなく、ダイアウルフです。

 単純な戦闘力は馬よりずっと上だ。

 おまけに、こういう視界の利かない環境下での集団戦には滅法めっぽう強い。

 身を隠せる草原や山林での奴らの強さは、平原での馬の騎兵なんかとは比べ物になりません。

 海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリアでのリクハルド軍の報告はご覧になったでしょう?」


 ゴティクスが言っているのは先月十日、忘れもしないハン支援軍が叛乱を起こした当日に海軍基地城下町で、ハン支援軍討伐に乗り出したリクハルド軍と迎え撃つハン支援軍が激突した戦闘のことである。あの日どのような戦闘が行われたか、各郷士ドゥーチェから報告が上がっていた。

 あの日、手勢を率いて戦ったのは三人の郷士たちだったが、このうちダイアウルフと戦闘に及んだのはリクハルドだけである。戦闘は終始リクハルド軍の優位に推移し、リクハルド軍は敵将オクタルを討ち取る戦果を挙げ、ハン支援軍を撃退してみせた。公式にはリクハルド軍勝利ということになっている。

 戦場となった城下町カナバエにハン支援軍によって火が放たれたため、リクハルド軍は勝利を確実にする前に撤退を余儀なくされたわけだが、この戦闘の過程でごく少数のダイアウルフ騎兵が誰も予想しなかった善戦を繰り広げていたのだ。

 騎兵は普通、何もない広い平原でこそ威力を発揮する兵科である。だが、ダイアウルフは狭く障害物だらけの、本来なら騎兵がもっとも苦手とするはずの市街地でリクハルド軍の歩兵を一方的に翻弄ほんろうしていたのだ。


 ダイアウルフ騎兵は視界が利かなくとも優れた嗅覚と聴覚で敵の位置を把握し、敵に姿を見せることなく縦横に動き回り、そして突如姿を現しては一撃を加えて離脱していく。しかも機動力は人間の足など及びもつかぬほど高速で、平原を走る馬の騎兵に勝るとも劣らない。

 それがもしここのような山林で自由に振る舞ったらどうなるだろうか?


、一個百人隊ケントゥリアは必要でしょう。……

 ですが、一個百人隊ケントゥリアもの集団がぞろぞろと足跡を追って、ダイアウルフを捕まえられますかな?」


 ゴティクスの話にラーウスは一度口をわずかに開けて何かを言いかけ、そのまま言葉を飲んで口をへの字に曲げた。その眼はゴティクスに向けられているが、睨むような攻撃的な視線ではない。


「八十人の足音はダイアウルフの耳なら遠くからでも聞き取れるでしょうな。

 そして不利を悟って逃げるでしょう。

 軍団兵レギオナリウスの脚よりも圧倒的に早い機動力を活かしてね。

 逆に優利を見つければ、逆撃を加えてくるでしょう。

 あの報告書にあったように姿を隠し、気配を消して、接近しては一撃を加えて姿を消す……。」


 そう、敵を討つために敵に勝てるだけの戦力を連れて行けば気配でバレ、そして逃げられてしまう。逆に見つからないように少人数で行けば反撃を食らうことは確実だ。そして勝てない。

 向こうはこちらの行動を一方的に察知し、戦闘をするか避けるかを自分で決めることができるのだ。だが、こちらはそれができない。機動力の劣る軍団兵では、ダイアウルフ側が戦闘を望まない限り、こちら側から戦いを仕掛けることはできないのだ。


「なるほど、ダイアウルフの足跡を追うのは、意味がないのだな?」


 ラーウスは若く、そして秀才である。つい一昨年までレーマの兵学校で学んでいた学生だったのだ。アルトリウシア軍団筆頭幕僚になった今でも、教えを請わねばならない場面では学生の頃のような謙虚さを取り戻す精神的柔軟性がまだ残っていた。

 ゴティクスは優秀な教え子の回答に満足する教師のように微笑んだ。


「兵をいたずらに疲れさせるだけでしょうな。」


 森の中では馬の騎兵は投入できない。だから歩兵を投入することになる。しかし、歩兵では機動力が足らない。それは飼い犬を相手に鬼ごっこをするようなものだ。全力で逃げる飼い犬の脚力に追いつける飼い主はいない。飼い犬なら飼い主と遊ぶためにわざと捕まってくれることもあるだろうが、相手は残念ながら飼い犬ではなくダイアウルフなのだ。


「だが、ではどうすればいい?

 まさか山狩りなんてできないぞ。」


 機動力に優れた騎兵を歩兵で狩ろうと思ったら、包囲網を敷いてそれを狭めていき、騎兵の機動力を封じるしかない。つまり山狩りだ。

 しかし、ダイアウルフが居るであろうこの山林は非常に広く、山狩りを始めようと思ったら一個軍団レギオーまるごと投入しても数が足らないだろう。今のアルトリウシアにそのような大兵力は無い。


 疑問を呈するラーウスにゴティクスは片方の口角を吊り上げ、ニヤッと笑った。


「何、追うばかりが狩りではありませんよ。」

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