アルビオンニウムへ
第334話 マッド・ゴーレム
統一歴九十九年四月三十一日、夕 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア
結局、未明から降り続く雨は今日一日降りやまぬようだ。いい加減に陽も傾く時間帯だが、雨の勢いに変わりはない。強く振っているわけでもないが、絶えることなく降り続く雨はありとあらゆるものを重くしっとりと湿らせている。秋ということもあって気温が抑えられているからいいが、これがもう少し暖かければ汗をジットリと滲ませていたことだろう。
曇ってさえいなければまだ明るいはずの時間帯ではあったが、開け放たれた窓から入る陽の光もだいぶ弱くなり、老人でなくとも文字の読み書きがつらくなり始めたことで、ヴァナディーズは本日の授業を切り上げることにした。
「ふぅ~…やっぱり午後はあまり時間が取れないわね。」
薄暗い部屋の中でルクレティアと二人、勉強道具を片付けながら独り言ちる。
現在、ヴァナディーズは午前中は侯爵公子カールの勉強、午後はルクレティアの勉強を見ている。ルクレティアは午前中にリュキスカの魔力制御の訓練、午後はヴァナディーズに勉強を教えてもらっている。
だが、午前と午後では取れる時間の長さが違ってくる。午前は
よって、日常の生活は照明を使わなくて済むよう、太陽に合わせて営むのが普通であり、食事も洗濯も掃除も基本的にすべて陽の光のあるうちにすべて済ませなければならない。当然、風呂も日中に入るものなのだ。
結果、ルクレティアは勉学の時間を削られざるを得ないのだった。彼女に勉強を教えなければならないヴァナディーズにとって、目下の課題はどれだけ効率よくルクレティアの授業を進めるかであった。
「カール閣下と時間を入れ替えてもらうわけにはいかないものねぇ」
カールは午前中はヴァナディーズに勉強を教えてもらい、午後は体力を回復するためのトレーニングをしている。ただ、体力がないため時間いっぱいまで運動は出来ず、結構な時間を昼寝に費やしている。
午前と午後を入れ替えても問題なさそうに思えなくもないが、仮に午前にトレーニングをすると、午後は疲れ切ってしまって勉強にならないだろうという判断から午前をカールの勉強時間に充てざるをえないのだ。
「リュキスカ様の様子はどう?
もし訓練を短くできるなら短くしていただいて、昼前にお風呂入ってしまえば午後の時間を増やせるのだけど?」
午前中のリュキスカの訓練を早く終わって昼前に風呂に入れば、リュウイチとの昼食が済んでからすぐに勉強に入れる。そうすれば午後でも十分な時間が取れるのではとヴァナディーズは提案したが、ルクレティアは驚いた。
「そしたらヴァナディーズ先生はいつお風呂に入るの?」
「私は昼食に付き合う必要ないもの、昼食の時間に入っちゃうわよ。
どうなの?リュキスカ様は?」
ルクレティアはウーンと唸り声をあげて考え込んだ。
「調子よくないの?」
「いえ、すごく訓練ははかどっているわ。びっくりするくらいよ。筋が良いのね。
なんか、赤ちゃんにオッパイあげても魔力酔いしにくくなってきたんですって。」
「本当に!?」
ルクレティアの説明を聞いてヴァナディーズは驚きの声をあげる。最初に聞いていた予想では、訓練の効果が出始めるまでに半月くらいはかかるかもしれないとのことだったからだ。訓練を始めてからまだ一週間しかたっていないのに既に効果が出はじめているとすれば、かなり驚異的なスピードである。
「あくまでも、“しにくくなった”っていうだけで、しなくなったわけじゃないのよ?
でも、以前よりもオッパイをたくさん飲めるようになったらしいわ。やっぱり最後は魔力酔いで顔が真っ赤になるらしいけど。」
「あれ、離乳食を始めるって話じゃなかった?」
「そうだけど、いきなり全部を切り替えるのは無理よ!
だいたいあの赤ちゃん、
「じゃあまだオッパイで育ててるの?」
「そうよ、離乳食はちょっとずつ様子を見ながらやってるみたいだけど、今は未だオヤツにもならないくらい。
事情が事情だから乳母も用意できないし…」
秘匿性を考えると安易に外部から乳母を入れることは出来ない。入れるとすれば事情を既に知っている人でどうにかするしかないだろうが、既に事情を知ってる中で母乳が出る女性はエルネスティーネしかいない。さすがに
「ということは、当面は無理かしらね…」
参った…という風にヴァナディーズはため息をついた。その時、窓の外からカールのものと
ルクレティアとヴァナディーズは互いに顔を見合わせた。聞こえてきた音が空耳か何かの聞き間違いではないかと疑ったからだったが、どうやらお互いの反応を見る限り聞き間違いなどではないらしい。
二人は無言のままパッと立ち上がって部屋から出た。
部屋から出ればそこは
そこから見下ろす二人の目には高さ一ピルム半(約二・八メートル)~二ピルム(約三・七メートル)にはなろうかという人の形をした泥の塊だった。頭、肩、背中の部分に何故かいくつもの花が咲いている。そしてそれはヨロヨロと動いていた。
「ウソ!?」
「な、なにこれ?」
「スゴイ!凄いですリュウイチ様!!」
二人が度肝を抜かれて立ちすくんでいると、下の方からカールの歓声が聞こえてきた。声のする方を見ると、カールが列柱郭の柱の一つにしがみ付くように立ったまま、泥の巨人を見上げて興奮して声をあげている。その周囲にはカール付きの侍女たちが顔を青ざめさせて立ちすくんでいた。他の部屋からもルクレティア付きの侍女やリュウイチの奴隷たちが何事かと驚いてわらわらと集まってきており、そしてやはり同じように泥の巨人に気付いて驚き、立ちすくんでしまっている。
ルクレティアはハッと我に返り、下にいる者たちに大声を張り上げる。
「こ、これは何事ですか!?」
「おおっ、ルクレティア様ぁー!!」
泥の巨人の近くにいたリュウイチの奴隷の一人、リウィウスが気づいて手を振る。
「リ、リウィウス!?
これはいったい何の騒ぎで…なに!?」
ルクレティアが質問を言い切る前に泥の巨人がズゥン、ズズゥンと足音を響かせながらルクレティアの方を振り向き、ルクレティアは思わず言葉を飲んで後ずさった。
『ルクレティア!こっちにおいで!!』
リュウイチに言われ、ルクレティアは思わずヨロヨロと壁に手を突きながら歩き出す。気づけば泥の巨人の足元、先ほどまで巨人の陰に隠れて見えなかった位置にリュウイチが立っていた。
泥の巨人は動きを止めたまま、目も鼻も口もないがおそらく顔にあたるであろう部分をルクレティアの方へ向けている。
「リュ、リュウイチ様、これは一体どうしたんですか!?」
階段を下りて庭園に直接面する一階
「ルクレティア!ゴーレムだよ!ゴーレム!!
凄い!リュウイチ様が出したんだ!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます