第133話 アンティスティアの晴れ舞台

統一歴九十九年四月十四日、夕 - ティトゥス要塞ルキウス邸/アルトリウシア



 時刻は第十一時ホラ・ウンデキマ(午後四時過ぎ頃)を過ぎた。

 ティトゥス要塞カストルム・ティティ内を吹く風もまた、音もなく漂うように静かに降り続く霧雨によって、秋分を過ぎて半月というには少々冷たすぎるものに変えられてしまっていた。

 要塞司令部プリンキピアから帰る貴族ノビレスたちの馬車が通り過ぎた後の中央通りウィア・プラエトーリアは、避難民たちが夕方の配給を受け取るために作った行列で埋め尽くされているのだが、その中には着る物も碌にないままこの冷たい風に晒されたせいですっかり凍えてしまっている者の姿も見受けられた。

 この霧雨と風で冷え切った身体を温めてくれるであろう小麦粥プルスを配る配給所に、今朝は居たはずのエルネスティーネの姿は見られない。


 彼女は先ほどまで要塞司令部での会議に出席していたし、この後はルキウス邸で開かれる晩餐会ケーナに出席する予定だったからだ。そして、客人を招いての晩餐会に出る日は、彼女はその日は夕食を共にできない子供たち、特に息子カールの元を訪れることにしている。


 ルキウス邸で晩餐会の主宰者であるルキウスと招待客がエルネスティーネの到着を待っていたのはそのせいだった。

 今日の出席者たちは元老院議員セナートルのアントニウスを除き全員が侯爵家の家庭の事情についてある程度知っているのでそのことについて何か不満を口にすることは無い。

 そのアントニウスも事前にカエソーから侯爵家の家庭について知らされていたため、エルネスティーネがなかなか来ない事について特に言及する事もなく、この時間になっても晩餐会が始まらないのは自分たちの談話が弾んでいるためだとでも言わんばかりに冗談を飛ばして場を盛り上げていた。


「・・・ところが、その商人が乗ったガレー船は途中で嵐にあってしまったんです。

 風は吹きすさび、波は逆巻き、揺れる船は今にも沈みそう!

 奴隷たちはすっかり怖気おじけづいてしまい、最早かいぐどころじゃない。

 船は二進にっち三進さっちもいかなくなってしまった。

 そこで、商人は怯える奴隷たちに言ったそうですよ。

『お前たち、そんなに心配するな!

 もしも私が死んだらお前たちは全員、解放されて自由の身になるよう遺書を書いてあるんだから!』とね。はっはっはっは」


 正直言ってレーマ貴族のジョークの何が面白いのかサッパリだったが、アンティスティアは生まれて初めて接するレーマの元老院議員を楽しませるため、さも面白そうに「まあ!」などと声をあげて驚いてはコロコロと笑って見せた。

 彼女は客を招いての晩餐会が上級貴族パトリキにとってとても重要な物であると考えていた。そして誰よりもルキウスの妻としてふさわしい上級貴族の女であろうとしている彼女は、その役割を果たすことに全身全霊をかけている。

 その甲斐あってアントニウスは極めて上機嫌である。

 種族が違うとはいえ、一回りも若い女性にこうも愛想よくされて気分が悪くなるわけがない。

 ルキウスや他の招待客たちもその様子に満足しつつ、自分たちは自分たちでそれぞれの会話を楽しんでいた。



 今日のこの晩餐会は半ばアンティスティアのために開かれたようなものだった。

 実際にはもちろん違う。

 サウマンディアから派遣されてきたカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子やアントニウス・レムシウス・エブルヌス元老院議員を、領主としてもてなさねばならないというのが第一にある。

 正直言うと今日の主賓しゅひんである彼ら二人はリュウイチとの晩餐会を望んでいた。しかし、ルキウスはリュウイチ本人から毎日晩餐会パーティーはさすがに困るというような意味の言葉をこれまでの雑談の中で聞いていた。

 昨夜は既に一度マニウス要塞でささやかながら非公式な晩餐会を開いていた事もあって、今日はティトゥス要塞で会議が開かれたことにかこつけ、晩餐会をルキウス邸で開いたのだった。

 そこにアンティスティアを招いたのは、ここのところ寂しい思いをさせてしまっている事に気付いたルキウスの計らいではあったが、あくまでもそれはのようなものにすぎない。


 それでもアンティスティアはルキウスの計らいに感謝したし、心から喜んだし、思いっきり張り切っている。メイクも衣装もいつもの倍近い時間をかけて入念に準備したのだ。

 上質なシルクのストラはそれだけでも男たちの目を奪うほどの華やかさを誇っているのに、その上にアルビオンニア産の銀を用いた宝飾品を随所に身に着けている。


 普段、アルビオンニアの貴族や有力者らとの社交の際には金を使った宝飾品で身を飾る彼女だったが、今日は帝都レーマから元老院議員が来ていると聞いて、アルビオンニアの銀をアピールすべく彼女が選んだものだった。アルビオンニアの銀の多くはここアルトリウシアから運び出されており、アルビオンニアの銀細工がレーマで知られればアルトリウシアに貢献できると考えたのだ。

 そのため、あえて銀細工の美しさが映えるようにストラは青い色を選んだ。


 しかし、それらの宝飾品を選ぶ際は決して華美にならぬように細心の注意も払っている。なぜならエルネスティーネはアンティスティアほど着飾る事に執着しないため、あまり派手に着飾るとエルネスティーネより目立ってしまうかもしれないからだ。

 アルトリウシア子爵家はアルビオンニア侯爵家の家臣ではないが、アルビオンニア侯爵家の計らいがあったからこそ叙爵した経緯があるため、決して侯爵家をないがしろにするようなことは出来ない。

 無論、今日の準備に当たっては使用人を侯爵家へやって、エルネスティーネの衣装やメイクを担当している使用人たちと連絡を取り合って様々な調整をしている。


 アンティスティアは決して着飾りたいだけ、目立ちたいだけ、贅沢したいだけの愚かな女ではない。領主ドミヌスの妻として、上級貴族パトリキの女としてどうあるべきか、それをルキウスのもとへ嫁ぐことが決まった日からずっと考え続け、それを実行し続けた女なのだ。


 だからこそ、彼女は今目の前で心から楽しそうにつまらない冗談を飛ばし続けるアントニウスの様子に確かな満足感を得ていた。それがなければ、この無駄話に決して耐えられなかっただろう。



 やがて化粧と衣装を改めたエルネスティーネが現れた。

 やはり銀細工の宝飾品を身に着け、それが映えるような暗色系の衣装を身にまとっている。これはアンティスティアの提案をエルネスティーネが受け入れた結果だった。

 なるべく派手な恰好をするように提案したはずだったが、エルネスティーネの性格ゆえか侯爵夫人という彼女の立場からすると質素といって良いレベルにとどまっている。

 しかし、事前に使用人を通じてエルネスティーネがどんな宝飾品を見に付けるかを把握していたアンティスティアは、自分の方が派手に着飾ってしまうような失態を見事に回避しつつ、その範囲で最大限に派手に着飾る事に成功していた。


 この後の食堂トリクリニウムの演出もアンティスティアの指導でセッティングされている。

 元々、レーマ風の食堂は闇夜でも宴会に支障が無いよう明るく飾るものだが、エルネスティーネとアンティスティアが暗色系の衣装を纏っているからこそ、それを考慮して座席位置から燭台の位置まで綿密に計算しつくしていた。


 窓の外で楽団が音楽を奏でられるよう、テントも用意させた。

 今日のような小雨が続く中では楽器は演奏できない。だが、だからと言って音楽が無いのは貴族の晩餐会に相応しくない。

 決してみすぼらしくない天幕を中庭に用意し、食堂の窓は開け放つが目障りにならない様にカーテンを閉める。その状態で会話の邪魔にならないように音楽を演奏できるよう、楽団とテントの位置も調節した。

 リハーサルも行わせ、実際に会話の邪魔にならない大きさで演奏できるか確認してある。


 料理は残念ながら侯爵家が全て用意するのでアンティスティアにはタッチできなかったが、それ以外のすべての演出はアンティスティアによるものだった。

 まさに彼女にとっての晴れ舞台だったのである。

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