第142話 ゴブリンの捕虜

統一歴九十九年四月十五、午後 - 《陶片》リクハルド邸/アルトリウシア



 昨日の断続的に霧雨が降り続く陰鬱いんうつな天気とは異なり、時折晴れ間も覗く今日の薄曇りの空はアルトリウシアでは「いい天気」に分類される。実際、今日はまだ雨が降っていない。

 安心して窓を開け放って陽光を取り入れる事の出来る室内は灯りがなくとも十分に明るく、金や銀を使った調度品や家具などは夜の淑やかさをすっかり忘れ、客人に対して横柄なまでに輝きを放って見せ、まるで亭主ホスト客人ゲストを無視して自分たちこそが部屋の主役であると主張しているかのようであった。

 そうした横柄さをあえて気にしていないかのような態度を客人がとり続けているのは、彼がアルトリウシアで最古参の、そして最大の権勢を誇る郷士ドゥーチェだからに他ならない。

 要は彼もこの程度の品々は持っているという事だ。



「やっぱうめぇもんだな、ここリクハルドヘイムのテンプラは。」


 部屋中央の円卓メンサを挟んで置かれた背もたれ付きの椅子にどっかと座ったヘルマンニは、透けるほど衣の薄い天麩羅を口に運びながらそう言った。

 波模様の蒔絵まきえの施された朱塗りの大皿に品よく盛られた天麩羅はかなりの量があったのだが、既に半分ほどがヘルマンニの腹に納まっている。


「気に入って貰えたんならありがてぇや。

 この天麩羅はリクハルドが持ってる店でも出させてんだ。

 《陶片テスタチェウス》まで来てくれりゃいつだって食えますぜ?

 何ならいい店を紹介しやすよ。」


 リクハルドが愛想よく売り込む。今日はいつもの芝居がかった横柄な態度は鳴りを潜め、天麩羅もヘルマンニの半分ほども食べていない。リクハルドにとってヘルマンニはそれだけ敬意を払う、あるいは警戒するに値する人物だった。

 ヘルマンニはリクハルドの売込みにはハハハと笑っただけで、次の天麩羅に塩を付けて口に運ぶ。


ウチセーヘイムでも作らせてるが、どうも油がクドくていけねぇ。」


 普段、ヘルマンニはつゆを付けて食べるのを好むと聞いているので、汁と塩の両方を用意していたのだが、見れば最初の一つ二つこそ汁を付けて食べてたにもかかわらず、三つ目からはずっと塩を振って食べていた。


「そりゃセーヘイムの天麩羅は衣が厚すぎんでしょう。

 さもなきゃ低い温度で揚げてるか・・・

 あと、使ってる油も良くねぇんじゃねえですかね?

 天麩羅油は古くなると天麩羅が臭くなる。

 天麩羅揚げるなら何たってゴマ油が一番さ。」


「衣が厚いとクドくなんのかい?」


「そりゃ衣が油を吸っちまいますからねぇ。

 あと、油の温度が低くても、その分長い間油に浸かってることになるから油を吸ってクドくなっちまう。」


「ふーん、難しいもんなんだな。

 衣が厚い方が、ソースが染みて旨いと思ってたが・・・」


「それだと衣と衣に染みた油と汁の味が強くなって、具の味が弱くなっちまう。

 天麩羅は素材の味を楽しむ料理でさ。

 汁も塩も素材の味の引き立て役、それが主役になっちゃいけねぇや。」


「てぇしたもんだ。

 アンタリクハルドぁ料理にも詳しいのかい?」


「なに、受け売りよ。」


 南蛮サウマンは朝昼晩の一日三食が基本だが、レーマ帝国では朝晩の一日二食が基本だ。それはレーマ帝国に帰属して二十年と経っていないブッカであっても変わりない。

 レーマ帝国で昼食はいわば間食扱いであり、ほとんど食べないか食べても軽く小腹を満たす程度にしか食べないのが普通だ。

 彼らの目の前に天麩羅だけとはいえ結構な量の食べ物が用意されているのは、見る人から見れば異様に思えるだろう。

 それは一日三食食べる南蛮で生まれ育ったリクハルドの生い立ちも理由ではあったが、昨日の会議の後で今日の訪問を告げたヘルマンニが天麩羅を気に入っているらしいという事前の情報を得ていたからでもあった。



「いや、久々に旨いテンプラをたらふく食わしてもらったよ。

 ありがとよ。」


 結局、出された天麩羅の七割近くを一人で平らげたヘルマンニがゲップをしながら礼を言う。レーマ帝国ではゲップは食事に満足した事を示す賛辞の一つであり、南蛮育ちのリクハルドは未だにできないが、レーマ貴族の中は意図的にゲップをしてみせる技術を身に着けている者もいる。何も食べていない空腹状態だったとしても、気づかれないように空気だけを飲んでそれを吐き出すのだ。

 言うまでもなく今回のヘルマンニのは本物だが。


「何の、これもセーヘイムの魚介があってこその味さあね。

 また来てくれりゃいくらでも振る舞いやしょう。」


 今日、ヘルマンニがリクハルドの元を訪れたのはもちろん天麩羅を食べるためではない。復旧復興事業に関する用件があったからこそだ。

 一応、海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリア住民や水兵たちを保護してくれた事に関する礼は一昨日のマニウス要塞カストルム・マニからの帰りに立ち寄ってしていたし、昨日もティトゥス要塞カストルム・ティティでしてはいる。

 今日は昨日の会議の席上でヘルマンニ配下の水兵たちを海軍基地や城下町の復旧復興を後回しにしてアンブースティアへ派遣する事が決まった事を受けて、色々と話し合わねばならなくなったからだった。



アンタヘルマンニが気にするこっちゃねぇと思いやすぜ?

 ありゃ、ティグリスの野郎が我儘わがまま言ったのが悪ぃや。」


「しかし、結果としてお前ぇさんトコリクハルドヘイムの働き手を引き抜くことになっちまった事にゃちげぇねぇ。」


俺っちリクハルドは別に損はしてねぇさ。

 今も《陶片ウチ》に残ってるのぁ、セーヘイムに住む場所のねぇヤツばっかりだ。

 アンブースティアで働くことになっても、ほとんどは《陶片ウチ》から通う事になるし、城下町の片付けを続けるために《陶片ウチ》に居続けるってヤツもいる。

 それどころか、これを機に《陶片ウチ》にきょを移しちまったヤツも結構いる。

 《陶片ウチ》は今回の一件では、得しかしちゃいねぇ。」


 セーヘイムも直接の被害は受けていないが、海軍基地城下町がセーヘイムの実質的な遠隔地であることを踏まえれば、今回の一件で一番被害が軽かったのはリクハルドの《陶片》という事になるのは間違いない。


お前ぇさんトコリクハルドヘイムだって人死ひとじには出たって聞いてるぜ?」


「ほとんどはお宅海軍の避難民たちが《陶片ウチ》へ逃げ込む前にやられたってヤツさ。

 まあ、俺の手下も何人かやられはしたが、あいつらぁ単に手前ぇでドジふんだだけだ。あんな戦で死ぬヤツぁ、どのみち長生きなんかできやしねぇ。

 ・・・ああ、あと羊が一頭かな?」


 リクハルドはつまらなそうに、やや吐き捨てるように言った。


「羊?」


「ああ、子羊が一頭、ダイアウルフにね。」


「ああ、はぐれたのがいるらしいって話だったな?

 ウチの連中、アンブースティアへやる前に、ダイアウルフだけでも始末させるか?」


「いや、申し出はありがてぇがそれにゃあ及ばねぇ。

 昨日、とっ捕まえたんでね。」


「とっ捕まえた?

 ダイアウルフをか!?」


「とっ捕まえたというか、向こうから大人しく出てきやがったんだ。」


 リクハルドは昨晩の一件をヘルマンニに説明した。


「ほう、その羊飼いの嬢ちゃんはお手柄だな。

 で、そのゴブリン兵はどうしたい?」


「しぶとい奴でね、まだ生きてまさぁ。

 収容してポーション無理やり飲ませて・・・

 だが、右足と左手はもうどうにもならねぇって話だ。

 昨日は遅かったし、ひとまず毒が回らんように縛って、今日切るって言ってたから、いまごろはもう切り終わってんじゃねぇですかね?

 ・・・見やすか!?」


「いや、今日切ったってぇんなら、どうせ薬で寝てんだろ?

 しかし、生き残れば今回の事件で唯一の捕虜って事になるな。」


 アンブースティアでもアイゼンファウストでも重症を負って捕まったゴブリン兵たちは何人かいた。だが、捕虜の管理が甘かったため、翌日までに全部死んでしまっていた。住民たちの私刑リンチであることは明らかだったが、ため犯人不明なままになっている。

 生きた捕虜は今回のゴブリン兵だけということになりそうだが、それもヘルマンニが言ったように生き残れればの話だ。


 ゴブリン兵は五日もの間、飲まず食わずだったのだ。

 右膝付近に鉛玉を食らい摘出されないまま放置し、左手首も骨折して大動脈が傷つけられ、内出血で左腕が数倍に膨れ上がったままだった。その状態でドブ川で放置され続けていたのである。死んでいない方がおかしい。

 この状態で手足を切断するなど危険以外の何物でもなく、実質的にトドメをさす行為に近いが、かといってこれ以上放置することもできない。体力の回復を待ってから手術したくても、傷口はすでに化膿しているのだ。

 体力が回復する前に体組織が壊死して、その毒が身体をむしばんでいくだろう。

 どのみち生き残る可能性は無いに等しい。


「それよりもダイアウルフですよ。

 あいつらどうすっかなぁ?」


「何か、使いみちがねえのかい?」


「あるもんですかぃ!

 あいつら言葉しゃべれねぇから捕虜として尋問もできやしねぇ。

 そのくせ大喰いだ、昨日なんかダイアウルフ二頭で羊一頭丸ごとですぜ!?」


「はっはっはっはっは」


「笑いごっちゃねえや。」


「それでも、生かしとくんじゃろ?」


「そりゃね、一応ゴブリン兵が生き残ったなら、言うこと聞かせる材料になりやすからね。」

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