第569話 結界からの脱出方法

統一歴九十九年五月七日、夜 - ブルグトアドルフの森/アルビオンニウム



「旦那ぁ!行っちゃ駄目だぁ!!」

「行かないで!旦那ぁ置いてかないでっ!!」


 木の根を乗り越えようとするエイー・ルメオを背後からクレーエとエンテが捕まえ、行かせまいと引き戻す。


「は、放せお前たち!

 待て!待ってくれぇ!!」


 だが彼らの視界からトレントは既に消えていた。暗視魔法によって暗闇の中でも見通せるはずなのに、脚が遅くまだそれほど離れていない筈のトレントの姿はもう見えない。


「く、くそっ…これも結界の効果なのか…」


 距離の感覚、方向の感覚、そしてもしかしたら時間の感覚さえも狂わせてしまうのかもしれない。樹々の間を通して三十~四十メートル先までは見えているはずなのに、トレントのスピードならまだ十数メートルしか動けないはずなのに、あれほど居たトレントの群れの気配はもう感じられない。枝葉の擦れる音すら聞こえなくなっていた。


「旦那!旦那ぁ!!」

「行くな旦那ぁ!」


「分かった!分かったから放せ。」


 木の根っこにまたがっていたエイーはトレントを追うのを諦めると振り返り、いつまでも自分のローブにしがみ付いている盗賊二人の手を払った。


「旦那…」

「す、すいやせん…俺らぁそのぉ…」


 木の根っこの上からエイーが見下ろす盗賊は怒られるのを覚悟している犬のようにションボリした顔でオズオズと手を引っ込め、後ずさりする。エイーはフンッと小さく鼻を鳴らすと根っこの上から降りて焚火たきびの方へ戻った。


「さっき、俺が言ってたこと、信じる気になったか?」


「へ、へぃ!そりゃもぉ!!」

「まさか、あんな化け物がホントに居るなんて…」

「旦那!早く逃げやしょう!!」

「そうだ、こうしちゃいられねぇ!!」


 二人の態度はトレントが現れる前の様子がウソのように変わっていた。だが、それはエイーも同じである。あれだけ森から逃げ出すのに必死だったエイーは盗賊たちとは逆に妙に落ち着きを払っている。焚火の前で炎を見つめたまま黙り込み、それどころかその場にドカッと胡坐あぐらをかいて座り込んでしまった。


「旦那ぁ、行かねぇんですか!?」

「どうしたんすか!?早くこっから出ねぇと!!」

「そうですよ!

 またあんな化け物が来たら、今度こそ食われっちまうかもしれねぇ!!」

「ああそうだ、落ち着いてる場合じゃねぇですよ!!」


 一度は降ろした荷物を拾い集めて逃げ支度を始めていた盗賊たちは、腰を落ち着かせてしまったエイーに驚き、詰め寄って顔を覗き込む。しかし、エイーは先ほどのトレントの話ぶりから、トレントたちはもうこっちには来ないだろうと思っていた。それよりも、この結界からの脱出の方法を考えなければならない。


「お前たち、さっきのトレントの言っていた事、憶えているか?」


「え?!」

「なんか、言ってましたか?」


「お前たち、トレントの念話が聞こえてなかったのか!?」


「いえいえっ、きっ、聞こえてましたとも!

 だろ?聞こえてたよな?!」

「ああ、ええ、アタシも聞こえてはいましたよ?

 ただその…内容を憶えてるかって言われると、ちっと自信が…」


 エイーがハァ~と呆れたようにため息をつきながら立ち上がると、盗賊たちは小さく「すいやせん」と言いながら後ずさりする。その二人に向かい、エイーは問題児を説教する教師のように言った。


「トレントはこう言ってたんだ。

 『ここは結界だ。

 

 …目を閉じると、出やすくなるぞ。』

 …ってな…俺は実際、この森を随分駆け回った。

 なのに出口が見つからなかった。

 この森は《森の精霊ドライアド》の結界だ。どこかへ出ようとする限り、出られないんだ。」


「け、けっかいって何です?」


 そこから説明しなきゃいけないのか…エンテの質問にエイーは目を閉じ手で額を押さえ、ため息を我慢しながら説明する。


「結界ってのは、魔法で外の世界から切り離された空間…とでも言うのかな?

 とにかく、魔法で仕切られた場所で、その中にいる限りその魔法の効果から逃げられないんだ。

 ここの場合は、道に迷って何処にも行けなくなってしまう魔法なんだと思う。」


「じゃ、じゃあ俺たち、この森から出られないんですか!?」


 クレーエはさすがに盗賊で頭を張っていただけあってまだ冷静さを保ってエイーの話の続きを待っていたが、エンテの方はエイーの説明を聞いて慌てだした。


「いや、出られるさ。

 トレントだって『お前たちは関係ないから、早く森から出るがいい。』って言ってただろ?」


「でも、旦那は出られなかったんですよね?」


 エイーが「出られる」と断言するとエンテの方は多少落ち着いたようだ。だが、エンテが落ち着いたところで今度は冷静に様子をうかがっていたクレーエが質問を投げかけて来る。


「うん、この森を、どれだけ走り回っても出られなかった。 

 出口を見つけられなかった…

 けど、トレントは『出口は何処にでもある。』と言っていた。」


「それがあの化け物の言ってた結界って言う奴の効果なんですかい?

 『。』とか何とか言ってましたね。

 旦那は森の外へ行こうとしたから、迷い続けることになった?」


「多分そうだろう、どこかへ行こうとすると迷うような魔法なんだ。」


 クレーエとエイーが冷静に話していると、エンテが再び不安に駆られてきたようで落ち着きを失い始める。


「そ、そんなもん無理じゃねぇか!

 どこかに行こうとすりゃ必ず迷っちまうんだろ!?

 外に行こうと思わねぇで外に出れるわけがねぇ!

 なのに外に行こうとしたら必ず迷うってぇ!?」


「落ち着けよエンテさんよ。

 出れる方法は必ずあるんだ。」


「どうしろって言うんだよ!?」


「だからそれを考えてんじゃねぇか!

 お前ぇも落ち着いてちったぁ考えろ!

 できねぇんなら黙って静かにしてろ!」


 その場で哀願するような表情で足踏みまでし始めたエンテをクレーエはたしなめた。

 エンテを鎮めてくれたクレーエに心の中で感謝しつつ、エイーは被っていたフードを脱ぎ、手で頭をボリボリと掻きむしりながら考える。


 どこへも行こうとするな…だけど多分、目的も無しに移動したところで結界から出れるわけじゃない。もし、それで出れるなら今までにも偶然に出れる機会はあったはずだ。

 『出口は何処にでもある』か…だとすると、どこか決まった場所に出口があるわけじゃない。何かがあるんだ。『ただ、後ろへ引き返せ』か…でも、今までだって何度か引き返したことはあったぞ?目の前にトレントが現れて、それで回れ右して逃げたことがあったけど出れなかった…いったいどういう事だ?


 考えることに夢中になりすぎたせいか、エイーはいつの間にかブツブツと考えることが口に出ていたらしい。エイーの思考が堂々巡りを始め、同じ言葉が何度か繰り返された頃、クレーエが声をかけてきた。


「旦那、考えて答えが出ねぇんならしょうがないや。

 ひとまず、言われた通り試してみましょうや?」


「ん?…ためす?」


「ええ、その…化け物が言ってた『ただ、後ろへ引き返す』ってやつ?」


「でも俺、ここに来るまでの間に目の前にトレントが現れて引き返したこととかあったけど、森から出れなかったぞ?」


 クレーエは少しの間黙ったままエイーの顔を眺め、それから続けた。


「それって、『引き返す』とは言っても、方向転換して前へ進んだんじゃねぇんですかい?」


「え?…あ、ああ…」


「『ただ、引き返せ』ってことは、多分前を向いたまま後ろへ下がれって事なんじゃないんですかね?」

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