第1116話 バルビヌスの立ち回り
統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐
『リュキスカにというのならリュキスカに話を訊いてみましょう。』
沈痛な面持ちでリュウイチが言ったその答は順当と言えば順当ではあった。マルクスにとっての勝利であり、同時に不成功でもあった。本来ならこの場で受け取らせるのがマルクスの目標であったが、結果は事実上の回答の引き延ばしである。いや、結論は得られなかったのだから、事実上の失敗と見ていいだろう。しかし拒絶されたわけでもないので敗北が確定したわけでもない。
回答を拒否されたか……
受け取ってはいただけないが、リュウイチ様は拒絶もなさっておられない。
ならば!
「リュウイチ様、
そこへこのグルギアを伴うわけにはまいりません。
できればこの場で御返答をいただきたいのですが……」
『リュキスカは体調が優れないので無理です。
この要塞にはバルビヌスさんの大隊が駐屯しているのですから、マルクスさんが居ない間グルギアさんはバルビヌスさんに面倒を見てもらえばいいでしょう?』
マルクスの背後に控えていたバルビヌスはリュウイチから話を振られるとすかさず頭を下げた。
「小官が責任をもって、お預かりいたします。」
このっ、どういうつもりだ
マルクスは裏切られたような気になり、バルビヌスを振り返りそうになるのをギリギリで堪えた。
グルギアを献上する相手であるリュキスカが居ない以上、受け取るという確約を今すぐもらうのは無理だ。それはリュキスカの不在が分かった時点で覚悟していた。が、リュキスカ不在の理由が彼女の生理であるのなら今は逆にチャンスなのだ。
リュウイチの
『お願いします。
リュキスカからはなるべく早く返事を貰えるよう、取り計らいます。』
「必ずや、ご期待に添います。」
バルビヌスは別にサウマンディアを、
バルビヌスとしては今この場でグルギアをリュウイチに押し付けることよりも、アルビオンニアとサウマンディアの関係を良好に保つことを優先したのだ。マルクスはあまりにも強引すぎたし、アルビオンニア貴族らのサウマンディアに対する感情を悪化させ過ぎた。
バルビヌスは一兵卒から叩き上げて
後の勝利のために、今この場は退くべきだ。
それがバルビヌスの判断だった。グルギアの身柄を預かるというバルビヌスの発言はマルクスに対する裏切りになるのは分かっているが、しかしアルビオンニア貴族たちには好意的に評価されるはずだ。そしてマルクスの今回の暴走はマルクスの独断であってサウマンディア側の総意では無いと示すことにもなる。これによりアルビオンニア側の対サウマンディア感情の悪化は防がれ、今回の件はあくまでもマルクス一人の失態として処理されるだろう。だからマルクスを裏切ることになったとしても、結果的にはサウマンディアとプブリウスの名誉を守ることになり、サウマンディアとプブリウスの利益に貢献したことになる。
それに……
バルビヌスはマルクスが更なる暴走を始めないうちに決着を決定的なものにすべく、マルクスと並んで跪いたままのグルギアに話しかけた。
「グルギアよ。」
「はいっ!?」
背後から貴族に声をかけられた女奴隷グルギアは跪いたまま、弾かれた様に上体を捻って振り返った。そのグルギアを見下ろしながらバルビヌスはそれが決定事項であるかのように告げる。
「
そのつもりでいるがよい。」
おそらくグルギアは受け取ってもらえるだろう。バルビヌスはそう判断していた。彼はアルトリウシアに派遣されて以降、度々リュウイチと会食させてもらえていたしリュキスカの話も耳にしていた。サウマンディアが得ているリュウイチとリュキスカの情報の多くはバルビヌスが報告していたものなのだ。そのバルビヌスの知る限り、リュキスカの側に女奴隷を断る理由は無い。そしてリュウイチも今の態度からしてグルギアを拒絶するつもりも無いだろう。仮にリュキスカがグルギアを拒絶したら、リュウイチは代わりにグルギアを下働きとしてでも受け取りそうな雰囲気だ。つまり、グルギアは近い将来、リュウイチかリュキスカの
そのグルギアと信頼関係を築くことができれば、バルビヌスはリュウイチとリュキスカとに繋がる一本の
「は、はい……よろしくお願いします
グルギアがそう返事をしたことでこの場でのこの件は落着した。
『ではマルクスさん、グルギアさんの件はなるべく早くお返事できるよう取り計らいます。
悪いようにするつもりはありませんので、ご安心ください。
伯爵閣下には、私が礼を言っていたとお伝えください。』
そうだ、まだ失敗したわけじゃない。拒絶されたわけではないのだ。
結論が先延ばしになっただけだ。
リュウイチの言葉に内心の怒りを何とか抑え、マルクスは気を取り直すと声を張った。
「はっ、リュウイチ様の格別の御配慮を
プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵には誓って、リュウイチ様の御言葉をお伝え申し上げます。」
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