幕間の蠢動

第1117話 サウマンディアの軍人たち

統一歴九十九年五月十一日、夕 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 リュウイチとの謁見を終えたサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの軍人たちはグルギアを連れて自分たちに割り当てられた控室に戻っていた。非公式ながら式典という形式をとって初めて執り行われたリュウイチとの謁見はマルクス・ウァレリウス・カトゥスが一悶着ひともんちゃく二悶着ふたもんちゃくも起こしてくれたわけだが、それ以外はおおむね予定通りに進行し、一応丸く収まった。収まらないのはマルクスの腹の虫だけである。

 

「どういうつもりだ、バルビヌス・カルウィヌス!?」


 控室に入り、アルビオンニア側が付けてくれた使用人たちが退去したところでマルクスはバルビヌスに問いただす。


「どうとは、何がですかな幕僚殿トリブヌス?」


「『何がですか』ではない、グルギアのことだ!

 何故、預かるなどと言った!?」


 バルビヌスは面倒くさそうな表情を隠しもせずに溜息をついた。


「あれ以上はいけません。

 アルビオンニア側との関係修復が困難になります。」


 それはマルクスにも分かっていた。分かっていてあえて無理を押し通そうとしていたのだ。それだというのに、最後の一押しというところでバルビヌスに邪魔をされた。それがマルクスの中でわだかまり続けている。


「もう一押しすればグルギアを、リュキスカ様ではなくリュウイチ様に献上することができたかもしれんのだぞ!?」


「それは無理でしょう。

 ここは彼らの要塞カストルムの中なのです。

 小官が預かると申し出なければ、子爵閣下か子爵公子閣下が同じことを申し出ていたはずです。」


 マルクスは唸りながら頭を掻いた。


「ええーいクソッ、あと少し、あと少しだったというのに!!」


幕僚殿トリブヌス


 未練がましいマルクスに今度はスプリウス・スエートーニウス・ヌミシウスが声をかけた。


幕僚殿トリブヌスのお考えは小官も理解できますが、しかしバルビヌスカルウィヌス殿の申されることが正しいように思われます。

 今はグルギアをアルビオンニア貴族に預けずに済んだことを良しとすべきではありませんか?」


 スプリウスがなだめるように言うとマルクスは天井を見上げてフーっと息を吐いた。

 たしかにリュウイチがルキウスでもアルトリウスでも、ましてエルネスティーネでもなく、バルビヌスに話を振ったのはサウマンディアにとってむしろ幸運だったと言っていいだろう。彼らアルビオンニア貴族にとってサウマンディアによる女奴隷の献上は今でも可能なら阻止したいはずだ。その相手にグルギア本人を預けることなど間違っても出来ない。

 プブリウスの奴隷をあからさまに殺すような真似は流石にしないだろうが、しかし失踪しっそうさせるくらいはしてもおかしくは無い。何らかの罪を着せて献上できなくするぐらいは簡単にできてしまうだろう。何せここは彼らの領地、彼らの要塞の内なのだ。ルキウスやアルトリウスにグルギアを隠され、「奴隷が逃げた」と言われればマルクス達には何も出来なくなる。バルビヌスはリュウイチが話を持ちかけてきた機会を活かし、そうした最悪の事態を未然に防いだともいえるのだ。


「はーっ……気分を落ち着かせよう。

 何か飲み物をくれ。」


 苛立いらだちを振り払うように頭を二度三度振り、マルクスは控えていたグルギアに命じた。自分の立場を思い出したグルギアはハッと我に返る。


「はいっ、旦那様ドミヌス

 その、香茶でよろしいですか?」


 咄嗟とっさに何を用意すべきか判断できずに訊いてくるあたり、まだ傍仕そばづかえという役割に慣れていないのだろう。気の利かない女奴隷をスプリウスとバルビヌスはどこか冷めたような視線で見ていた。


 ホントにこんな女を傍仕そばづかえとして献上していいのか?


 痩せこけていて貧相で見た目からして女らしい魅力がなく、それでいて気が利かない。だがこれでも彼女はだいぶマシになった方だった。

 裕福な神官家に生まれ育ったグルギアはレーマ帝国の女性としては高度な教育を受けた方である。が、裕福な家庭に生まれ育っただけあってお嬢様気質であり、誰かが何かをしなければいけない場面で真っ先に自分が動くということができなかった。誰かがやってくれるだろう、誰かに命じればいいだろうと、無意識に他人に任せる癖が染みついていたのである。

 そんな少女が急に奴隷にされたのだから新しい環境に適応しようと思ってもうまくいくわけがなかった。元・上級貴族パトリキの娘、元・聖貴族コンセクラータという振れ込みから上品で有能な女奴隷を期待して買った彼女の主人たちは、その期待をことごとく裏切られることになった。確かに教養はあったし言葉づかいも丁寧で礼儀正しいし立ち居振る舞いも上品だが、しかしそれだけで他に実務的なことは何もできなかったのである。常に何か考え事をしているようで周囲への注意力が散漫であり、動くべき時に動くべきだと気づくことも出来ずイチイチ命じなければならず、しかも命令に対する反応も鈍かった。よくモノを落としたりもぶつけて壊したりもした。“不注意”が人の形を得て服を着て歩き出したような、そんな存在だったのである。まさに絵に描いたような“無能”だった。ゆえにすぐに主人から失望され、やがて疎まれ、嫌われ、売り払われる……そんな日々を繰り返していたのだ。

 そんな愚鈍なグルギアだったが、プブリウスに買われ、マルクスに預けられて「家族を集めてやる」と言われてから少しずつだが機敏に動けるようになってきている。以前のグルギアなら「飲み物を用意してくれ」と言われても、それが自分に対する命令だとは気づけず、何を用意すべきか尋ねることすらできなかっただろう。マルクスは以前の、今よりもっと愚鈍な奴隷グルギアを知っているので、これでもマシになってきているのだと評価していた。


「できれば酒の方がいいな。

 ワインを、なるべく濃い目で……」


 この世界ヴァーチャリアには酒を長期保存できる密閉容器が存在せず、木の樽や素焼きの壺などに保存される。このため濃縮されがちで、アルコール度数も二十度ぐらいあるのが普通だ。なので水で割って飲むのが一般的であり、ワインをのままで飲んでいいのは神様だけであり、人間の分際で生のままで飲むのは野蛮であるとされていた。

 が、今は自らの失態を、嫌な記憶を酒で洗い流してしまいたい。そんなマルクスにとって酒はなるべく濃く、なるべくキツく、なるべく早く酔えるものが望ましい。


「今は酒はした方がいいでしょう。

 この後すぐに晩餐会ケーナなのです。」


「左様、言いにくいことですが先ほどの悶着の後ですから、アルビオンニア貴族らとの関係修復を図らねばなりません。」


 嫌なことから酒に逃げようとするマルクスをバルビヌスとスプリウスは相次いでいさめた。相反する意見が目の前で衝突し、グルギアは何をどうしていいか分からず、ローブの下で両手を握りしめ、唇を噛んで貴族たちを見回す。


「分かっている、冗談だ。」


 ハラハラしていたグルギアにとって意外なことに、マルクスはあっさり折れた。


「とりあえず今日、やるべきことはやった。

 サウマンディアの画家に肖像画を描かせることを認めさせたし、グルギアの献上への結論は先送りにされたが、リュキスカ様に女奴隷を献上する必要性を認めさせることには成功した。

 女を送り込む道筋は付けたんだ。」


「それは間違いなく幕僚殿トリブヌスの功績です。」

「誰も思いつかない奇策でした。」


 自分で自分を慰め納得させようとするマルクスに、バルビヌスとスプリウスは素直に賛辞を贈る。彼らはアルビオンニアとサウマンディアの関係悪化を防いだが、しかし自分たちとマルクスの関係が悪化するのを望んでいたわけではないのだ。挽回できる機会があるなら挽回せねばならない。

 そのバルビヌスをマルクスは振り返ってにらみつける。


「グルギアのことは貴様に預ける。

 わかっているな?

 グルギアを送り込めるかどうかは、後は貴様にかかっているのだぞ?」


 バルビヌスはグルギアの身柄を預かるとリュウイチに宣言し、マルクスの交渉を妨害した。その責任はバルビヌス自身に取ってもらわねばならない。

 逆恨みに等しい言い分だが、しかしバルビヌスはその点楽観的だった。マルクスに胸を張って見せる。


「無論です、幕僚殿トリブヌス

 小官はリュキスカ様からグルギアを受けとるという御返事がいただけるまで、グルギアの身柄を預かると申しました。

 言ったことは果たして御覧に入れます。」 

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