第1011話 責任
統一歴九十九年五月十日、午前 ‐
「着替えて戻って来たらやらせりゃいいだろ!?」
アウィトゥスは突っ張った。口まで並々と小便の入った尿瓶など運びたくなかったし、だからといって小便のぶちまけられた便所の掃除もしたくはなかった。後先をあまり考えないアウィトゥスの言い訳は後先を考えないからこそ勢いが凄い。
「誰にやらせろだってぇ!?」
背後から浴びせられたその一言に、見境を無くしていたアウィトゥスは一瞬で冷静さを取り戻した。
ヤベェ・・・・
振り返らなくてもアウィトゥスには声の主が誰か分かっている。そしてアウィトゥスの正面に向かい合うように立っていたロムルスはアウィトゥス越しに声の主を見て渋面を作った。
オトが声のした方を向くとそこにはゴルディアヌスが腕組みをして仁王立ちになっている。ロムルスはアウィトゥスの反抗に手を焼いていたところへ、アウィトゥスと仲の良いゴルディアヌスが登場したことに劣勢を覚悟していたのだが、しかしその予感は外れることになる。
「おう、ゴルディアヌス……」
声をかけるオトを無視するようにゴルディアヌスはズンズンとアウィトゥスに歩み寄った。そして振り返りもせずに俯いているアウィトゥスに間近で語り掛ける。
「おぃアウィトゥス、お前に訊いてんだぜ?」
先ほどはオトからアウィトゥスを
オトはオトでアウィトゥスの今の態度は腹に据えかねていたのであえて割り込もうとは思わない。アウィトゥスのようなお調子者は一度痛い目に
「ゴ、ゴルディアヌスさん……違うんだよ。
俺ぁ、そんなつもりはなかったんだ。」
「何が違うって言うんだよ?
俺が小便ぶちまけたんだから俺に片づけさせろって言うんだろ?
お前の声、でけぇから
確かにアウィトゥスの声は大きかった。そして、ゴルディアヌスたちの部屋は近い。部屋で静かにしていればアウィトゥスの話す内容くらい聞き取れてしまうだろう。
「お、俺ぁ別にゴルディアヌスさんにってわけじゃなくて……」
「『ゴルディアヌスさんに』って、ハッキリ言ってたじゃねぇか!?」
力自慢のゴルディアヌスに、そして自分が憧れている男に怒気を放たれて平気でいられる者はそうはいないだろう。アウィトゥスもタジタジになり、間近に迫ったゴルディアヌスから必死に目を背けて視線を泳がせ、言い訳をはじめる。
「そうじゃねぇって!
俺ぁその、違うんだ!
ゴルディアヌスさんの名前出したのは悪かったよ。
あれぁ言葉のアヤって奴なんだ。
ホントは、不始末は不始末をしでかした奴に片づけさせろって、言いたかったんだ。」
「その不始末をしでかしたのぁ俺のことじゃねぇのかよ?!」
顔を押し付けるようにしてくるゴルディアヌスの鼻息がアウィトゥスの頬に、そして首筋に吹きかかる。
「ち、違うって!」
「じゃあ誰だよ?!」
身を縮こませたアウィトゥスは上から
「言って見ろ、誰のことだったんだ?」
「ン……ネッ、ネロだ!」
必死に活路を探していたアウィトゥスの口から唐突にネロの名前が飛び出し、ゴルディアヌスは意表を突かれた。
「ネロだぁ?」
驚いたのはゴルディアヌスばかりではない。面白い展開になったと腕組みして高見の見物を決め込んでいたロムルスも、汚れ物の回収を終えて適当なところで止めに入ろうと用意していたオトも共に目を丸くした。
突拍子もない答に驚いたゴルディアヌスが一瞬身を引くのをアウィトゥスは見逃さなかった。ここだとばかりに前のめりになる。
「そうだ!ネロだよ!?
小便の片づけはネロの仕事だろ?
なのにアイツ、今朝はやらなかった!
そのせいでゴルディアヌスのアニキがこんなメにあって、俺たちが後始末をさせられるハメになったんだろ!?」
ゴルディアヌスとネロは仲が良くない。いや、
では両者の実力はというと実のところそれほど差は無いだろう。ゴルディアヌスとアウィトゥスはゴルディアヌスの方が強いと思っているが、ネロはネロで
ネロに対して敵愾心を抱くゴルディアヌスにネロの名を出せばゴルディアヌスはアウィトゥスのやらかしなんか忘れてしまうに違いない。ゴルディアヌスの怒りの矛先をネロに向けることに成功したことに確信し、顔に笑みまで浮かべたアウィトゥスだったが、彼の頭上にはゴルディアヌスの拳が振り下ろされた。
「痛ぇ!!?」
ゴッという結構いい音とアウィトゥスの悲鳴が響き、ロムルスとオトは再び眉を持ち上げ目を丸くした。ロムルスもオトも、アウィトゥスと同様ゴルディアヌスの怒りはネロに向けられるだろうと予想していたからだ。
「馬鹿言ってんじゃねえ!」
何が起こったのか分からず、痛む頭を両手で押さえながらゴルディアヌスを見上げるアウィトゥスを見下ろし、拳の主は鼻を鳴らした。
「尿瓶の片づけぁ別にネロの仕事じゃねぇや!
ネロの野郎が勝手にやってただけだ。
それにネロの野郎だって小便がこんなに並々入ってたら運べなかっただろうよ!?
だいたい俺たちゃ同じ
同じ釜の飯を食い、同じテントで寝る運命共同体よ!
一人の手柄は全員の手柄、一人の不始末は全員の不始末だ。
だから片づけはみんなでやるんだ。
わかったか!?」
「「おお……」」
ゴルディアヌスの説教にロムルスとオトは思わず同時に感嘆の声を漏らした。ゴルディアヌスがマトモなこと言っている……それは彼らにとって意外でしかなかったからだ。
レーマ軍では兵士の連帯を重視する。部隊の最小単位である十人隊はゴルディアヌスが言ったように運命共同体として扱われ、一人の兵士が手柄をあげれば同じ十人隊の兵士全員が表彰されるし、一人の兵士が不始末をしでかせば同じ十人隊の兵士全員が等しく罰を受ける。彼ら全員が奴隷に堕とされたのも同じ理由からだったではないか……だが、ゴルディアヌスは力の信奉者であり、自分より弱い奴にはたとえ階級や役職が上でも従おうとはしない。リウィウスやロムルスみたいな年長者はもちろん、新米十人隊長のネロに対しても常に反抗的だ。そのゴルディアヌスの口から連帯責任なんて言葉が出て来るとは、誰も思ってもみなかった。
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