第1012話 片づけるのは…

統一歴九十九年五月十日、午前 ‐マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 軍団レギオーの中で持て余されていた問題児たちを集め、その頭へ新米十人隊長デクリオを据えた十人隊コントゥベルニウム……それが彼らだった。もちろん、彼らだけが問題児なわけではないし彼ら以上の問題児も他に存在はしている。ただ、数ある問題児の中で協調性に欠けると思われていた問題児が集められていたのが彼らだった。そしてゴルディアヌスはその代表ともいえる存在である。

 だというのにそのゴルディアヌスの口から連帯責任などという言葉が飛び出し、自分の責任から逃げようとするアウィトゥスを叱りつける……それはロムルスにとってもオトにとっても非常に新鮮かつ驚くべきことだった。ゴルディアヌス自身、ロムルスとオトの漏らした感嘆の声に自らの成功を確信したのだろう。フフンと小気味よさげに小さく笑っている。

 しかしその場にいたすべての人間がゴルディアヌスの今の態度と説教を高く評価していたわけではなかった。三人とは対照的にアウィトゥス一人だけが何かガッカリしたような、失望したような、気落ちしたような顔をしている。


「ち、違うだろ……」


 悔しそうにうつむいたアウィトゥスは拳を握りしめてそうつぶやいた。一蓮托生いちれんたくしょう……それを高らかにうたい、気持ちよくなっていたゴルディアヌスはアウィトゥスが小声で溢した言葉に思いもかけず水をかけられ、不快そうに「あっ?」と怪訝けげんな声をあげた。顔をほころばせていたロムルスとオトも表情を凍り付かせる。


「えっ!?あっ……」


 不快にゆがんだ表情で見下ろすゴルディアヌスの顔を見上げ、自分の溢した言葉が場の空気を凍り付かせていたことにようやく気付いたアウィトゥスはビクッと身を震わせ、目を泳がせ始める。


「何が違うんだ?

 言ってみろよ、アウィトゥス。」


 軍隊というところは統率を最も重視する。軍隊と、盗賊などのならず者集団の最大の違いは強さでも規模でも装備でもない。組織として完成しているか、統率が取れているかという点だ。そして統率とは、組織全体が一つの意思で統一されているかどうかだ。そして統率とは、組織の構成員が指導者に従いさえすれば統率が取れているというものではなく、指揮官が何らかの理由で不在になったとても代わりの者が即座に指揮を引き継ぎ、組織全体として統一された意思のもと機能し続けられることだ。

 どれだけカリスマ性に優れた英雄が率いようとも、盗賊にはそれが無い。そして軍隊では、カリスマ性のある指導者が存在しなかったとしても、組織としての機能し続けることが出来る。だから軍隊は人的損害を出しながらでも戦い続けることが出来るのだ。

 そして、そうした統率を成立させるために必要となるのが構成員の連帯感であり、それを兵士の一人一人に植え付けるのが「連帯責任」だった。レーマ軍の、一人の兵士が手柄をあげれば同じ十人隊コントゥベルニウムに配属された全員が褒章を得られ、逆に一人の兵士が不始末をしでかせば同じ十人隊の全員が罰を受けるという制度も、そうした連帯責任を制度化したものだった。そしてアウィトゥスはそれが嫌いだった。


 アウィトゥスは人に従わされるのが嫌いだった。自由に憧れていた。だから家を飛び出した。そして自由とともに、強さにも憧れていた。自由でいるためには、力が必要だと思ったからだ。だから、家を飛び出したアウィトゥスは軍団レギオーに入隊した。……実に、実に馬鹿な話である。

 軍隊はアウィトゥスの思い描いていた世界とは全く違っていた。そこは期待していた自由とは全く逆の世界だった。理不尽な命令に服従させられる毎日だった。しかし入ってしまえば簡単には抜けられないのが軍隊だ。ましてアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアは火山災害に巻き込まれて戦力を半減させて以来人員不足にあえぎ続けており、引退した老兵すら呼び戻して何とか戦力を回復しようとしている最中なのだから簡単には辞めさせてもらえない。アウィトゥスは不本意でも、軍団兵レギオナリウスとして働き続けるしかなかった。


 そんな中、配属された十人隊で出会ったのがゴルディアヌスだった。

 力強く、何者も恐れない。気に入らないことがあれば相手が上官だろうが誰だろうが関係なく立ち向かう。それは軍隊という理不尽な世界で見つけた、アウィトゥスが理想とする自由を象徴する姿だったのだ。だからアウィトゥスはゴルディアヌスに心酔し、まるで腰巾着のように付き従ったのだ。


 だというのに……そのゴルディアヌスの口から「連帯責任」なんてものが飛び出した。「連帯責任」はいつだってアウィトゥスの軍隊生活を縛り続けた呪いの言葉だ。アウィトゥスにとって「連帯責任」は束縛の象徴のようなものなのである。それをゴルディアヌスが高らかにうたった……アウィトゥスは自分の中にあった理想を、理想を投影していた本人によって否定されたような、そんな失望に打ちのめされてしまっていたのだった。それは、奴隷に堕とされた時よりも明確な失望だった。


「いや……その……」


 しかしアウィトゥスは自分の中で何が起きているのか、何故自分がショックを受けているのかわからない。何か分からないが何かに裏切られたような絶望感にさいなまれながら、ひとまずこの危機から逃れるべく必死で頭を回す。


「言えよ、何が違うんだよ。

 お前に訊いてんだぜ、アウィトゥス?」


 必死に言葉を探しても、アウィトゥスは結局何も思い浮かばなかった。ゴルディアヌスに胸倉をつかまれ、俯いていた頭を無理やり上向かされる。ゴルディアヌスの怒りの形相ぎょうそうが目の前に迫り、アウィトゥスの頭は真っ白になった。


「お、お・・・・」


「お?」


「俺たちはもう、十人隊コントゥベルニウムじゃない!!」


「「「!?」」」


 アウィトゥスの何かが吹っ切れたかのような絶叫に、今度はゴルディアヌスたちの方が呆気にとられた。その隙にアウィトゥスは胸倉をつかむゴルディアヌスの腕を振りほどき、サッとゴルディアヌスから距離を開けて身構える。


「忘れたのかよ!?

 俺たちは奴隷セルウスになったんだ!

 もう軍団兵レギオナリウスじゃない!

 連帯責任なんかあるもんか!

 後始末は……後始末は、不始末をしでかした奴がやればいいんだ!!」


 一気にまくしたてるとアウィトゥスはキッとゴルディアヌスをまっすぐにらみ上げながら、掴まれていた胸倉の部分を自分で掴んで息を整える。


 言っちまったぁ……


 内心でアウィトゥスは後悔していた。自分で自分に驚いてもいた。ゴルディアヌスに怒られ、ぶん殴られることも覚悟した。が、そうはならなかった。ゴルディアヌスは何か愕然とした様子でアウィトゥスをただじっと見下ろしている。


「はぁ……はぁ……はぁ……ん?」


 無言のまま時間が流れ、乱れた息が整ってきても尚も反応を示さないゴルディアヌスにアウィトゥスが戸惑いを覚え始めた頃、隣からパンッと突然手を叩く大きな音がし、全員がビクッと身体を震わせた。


「なるほど、お前の考えはよくわかった。」


 見ると手を叩いた主はオトだった。


「じゃあアウィトゥスお前、自分の不始末ならちゃんと自分で後始末つけるんだな?」


「あ?……あぁ……」


 何の感情も浮かんでいないオトの顔に不安を覚えながらも、アウィトゥスは自分が言いたいことを言ってしまった以上認めざるを得ない。


「ならアウィトゥス、お前も片づけろ!」


「!? ……何でだよ!!」


 意味が分からず反駁はんばくするアウィトゥスに、オトは表情一つ変えることなく言った。


「ゴルディアヌスは尿瓶を倒し、中身をぶちまけた。

 ネロは一杯になっていた尿瓶を片づけなかった。」


「そうだ、アウィトゥスは何も関係ないだろ!?」


「いいや、関係あるね。」


 言い終わる前にオトに否定され、アウィトゥスはムッと口を閉ざす。


「ゴルディアヌスは小便がいっぱいになっていたから尿瓶を倒し、溢しちまった。

 尿瓶がいっぱいになってなければ、倒したり溢したりもしなかっただろう。」


「じゃあ片づけなかったネロが悪いんじゃないか!?」


 オトは静かに首を振る。


「ゴルディアヌスが言ったようにそれはネロの仕事じゃない。

 たまたま、ネロがやってくれていただけだ。」


「……じゃ、じゃあ、誰が悪いって言うんだよ?」


「みんなさ」


「みんな!?」

「「!?」」


 これにはアウィトゥスのみならず全員が驚き、ロムルスもゴルディアヌスもオトを見る目を丸くした。


「そうだ。

 こんなにふちギリギリまで一杯になったんじゃ溢さずに運ぶなんて無理だ。

 だからこうなる前に運び出さなきゃいけない。

 なのに誰もそうなる前に運び出そうとしなかった。

 しいて言うなら、ゴルディアヌスだけがそれをやろうとした。」


「じゃ、じゃあ、ゴルディアヌスさんが悪いじゃないか……」


「いいや、ゴルディアヌスは

 むしろ被害者だ。」


「……」


「一番悪いのは、尿瓶がもう一杯になりそうだというのに自分で運び出そうとせず、この中に尚も小便をした全員だ。」


「なっ!?」


「だからアウィトゥス。」


 思わぬ論法にアウィトゥスが抗議しようとすると、オトは有無を言わさぬように便所の床を濡らしたままの小便を指さした。


「お前はお前の小便を片づけろ。」


「!!」


 上手いこと考えやがったな……愕然として言葉を無くしたアウィトゥスとオトを見比べながら、一人ロムルスが感心したようにニヤリとほくそ笑む。しかし、アウィトゥスはまだ完全に敗北を受け入れたわけではないようだ。


「そ、そんなの無理に決まってるだろ!?

 もう混ざっちまってるんだ!

 どれが誰の分かなんてわかるもんか!!」


「だから!」


 しつこいアウィトゥスにオトは語気を強めた。


「全員で片づけるんだ。

 ここに小便をした全員でな。

 もちろん俺もコレを片づけたら手伝う。

 だからアウィトゥス、お前も片づけろ。」

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