第1342話 魔力覚醒の原因

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 正直言って自分で随分筋の通らないことを言っている自覚はあった。というより、自分が何でそんなことを言ったのかがわからない。自分が何を考えているのか、自分が何を言おうとしたのか、サッパリ分からない。

 リュウイチが悪くないことは分かっているのだ。ネロたちから見て自分がどれだけ酷い女に見えているかも、そしておそらくリュウイチを失望させているであろうことも理解できていた。だからといっていつでも自分を完璧にコントロールできるわけではない。そもそも何をどうしたらいいか分からないのだ。


 冷静に振り返れば確かに生理で精神的に不安定になっていたというのもあるだろう。見ず知らずの場所に突然連れ込まれてそのまま一か月近くも軟禁状態が続いているというのもあるかもしれない。仲の良かった友人知人から引き離され、勝手の分からない上級貴族パトリキの生活に付き合わされて自分でも自覚できないストレスも随分溜まっていただろう。愛する息子が奇跡的に病魔から逃れたと思いきや、今度は自分の体質が変わってフェリキシムスが自分の母乳で魔力酔いするようになってしまったとか、そのせいで不慣れな瞑想をしなければならなくなったとか、リュキスカ自身色々振り回されているのは事実である。

 生理で出歩きたくないのにリュウイチが話があるというから、下り物が漏れちゃ大変だと腰巻スブリガークルム布巾スダリオをしこたま仕込んで出て来てみれば、何故か貴婦人パトリキア朝食イェンタークルムに付き合わされた。それを済ませてリュウイチの待つ部屋まで行けば、椅子に座らされ、不用意に身動みじろいだがために腰巻に仕込んだ布巾がズレて下り物があらぬところへ広がる不快感に襲われる。汚れ物はまとめて壺とか袋にでも入れておけば使用人が回収してリュウイチの浄化魔法で一気に綺麗になるから衣類が汚れることはそんなに気にしなくていい。このためもあって足首丈のスカートを履いた上から膝下丈のバスローブまで羽織ったのだから、スカートが経血で汚れたとしても外までは染み出しはしないだろう。臭いだって多分漏れないはずだ。だが気持ちが悪いものは気持ちが悪い。

 その状況で息子フェリキシムスが魔力を持って精霊エレメンタルを暴走させ始めたとか、知らない間に《風の精霊ウインド・エレメンタル》をつけられていたとか、しかも《風の精霊》は念話でオトや他の人間とリュキスカに知られないように話をしていたらしいとか? 知らないうちに何者かに寝室クビクルムに入り込まれ、寝室の様子を外に話されていたなんてプライバシーを思いっきり侵害されているようなものだ。そんな話を聞かされて落ち着いていろというのは無理だろう。だがそんなことを冷静に振り返ることができるようになるのはもっとずっと後の話だ。今のリュキスカに自分の内面を掘り下げて反省するだけの余裕はない。


「ゴメンね。

 アタイ、まだ調子が悪いみたい……」


 結局、リュキスカが落ち着くまで数分の時を要した。その間沈黙を守り続けたリュウイチやネロたちにとってその時間は中々重苦しいものではあったが、リュキスカがわずか数分で立ち直ってみせたのは良かったとも言えるかもしれない。もしリュキスカがこの場で立ち直らなかったり、立ち直る前にリュウイチたちが待つことに飽きて溜息の一つでもついてしまえば、この場の人間関係は壊れてしまっていただろう。


『いや、大丈夫。

 気にしなくていい。

 平気?』


「大丈夫、ありがと。

 まだ、話があるのよね?

 あと一つだっけ?」


『ああ、いや……』


 勝手に感情をたかぶらせた挙句、話を途切れさせてしまった後ろめたさからかリュキスカは先を急ぐよう促したが、リュウイチとしてはまだ最初の話を終えてなかった。リュキスカ母子に《風の精霊》を付けたという報告だけが一つ目の話の全てではなかったのである。

 戸惑うリュウイチにリュキスカが目を向ける。その顔には先ほどまであった険は無かった。


『まだ一つ目の話は終わってないんだ』


 首の後ろあたりを掻きながらリュウイチが言うとリュキスカはバツが悪そうに眼を少し背ける。


「ああ、ゴメン……精霊様エレメンタルがつけられて、それで終わりかと思って……」


 すぐにリュウイチに向き直り、「まだ何かあるの?」と問いかけて来たリュキスカにリュウイチは答えた。


『話を続ける前に一応訊くけど、魔力制御の訓練はずっと続けてるんだよね?』


「え?!」


 フェリキシムスが母乳で魔力酔いを起こしていると発覚した翌日からリュキスカはルクレティア・スパルタカシアの指導の下で魔力制御のための訓練として瞑想をすることになっていた。その指導役のルクレティアはアルビオンニウムへ旅立ってしまい、現在はリュキスカに瞑想を指導する者が居ない。オトに訊く限りでは「一応、やってはいらっしゃるんですが……」と言葉を濁すような報告が返って来るばかりだ。そもそもオトには魔力の素養などないのでちゃんとできているかどうかは分からないのだそうだ。


「や、やってるよ!?

 もちろん、毎日……ちゃんと?」


 急にソワソワしだすリュキスカの様子には現に目の前に居るリュウイチでなくても気づくだろう。実際、部屋の入り口で話を聞いてないフリをしているロムルスでさえ内心で「あちゃー」と嘆息したほどだ。もっとも、他人の失敗が大好きなこの男は口角を歪めて半笑いをかみ殺していたが……

 リュキスカのことを多少なりとも信用していたリュウイチもさすがに怪しく感じ、『本当に?』といぶかしむと、リュキスカも誤魔化しきれないと思い、早々に観念した。


「いや、あの……ホントにやってはいるんだよ……

 ただ、ただね?

 あの、瞑想ってのやってるとさ……

 なんか、途中でアタイ……寝ちゃうんだよね」


 リュウイチは呆れたように無言で嘆息したが、その表情に失望の色は無かった。リュウイチのかたわらに立つネロは直立不動の姿勢のまま目だけでリュキスカを見下ろしていたが、リュキスカの告白を聞いて内心で舌打ちしつつ視線だけを誰も居ない窓の方へ向ける。閉ざされた木戸の隙間から陽光が差し込んでいた。


 リュキスカは魔力制御を身に着けるために瞑想する時、ルクレティアに指導を受けていたわけだが、瞑想が上手くいっていないとすぐにルクレティアに見破られ、その都度「魔力が乱れている」「もっと集中して」などと指摘されていた。今目の前にいるリュウイチは降臨者で、ルクレティアなんかとは比べ物にならないほど強大な魔力を持っている。この世界ヴァーチャリアの人間が使いこなせないような強力な魔法も平気で使って見せる大魔法使いだ。ルクレティアがリュキスカの体内の魔力の流れを簡単に見破るんだから、リュウイチに対して隠せるわけがない……リュキスカが観念したのはそう考えたからだった。残念ながらリュウイチに他人の体内の魔力の流れを見るような能力など無かったから本当は誤魔化そうと思えば誤魔化しきることも出来ただろうが、しかし早々に正直に告白してしまったことはリュウイチの信頼を繋ぎ止める役には立ったと言えるだろう。


『君が毎日訓練を欠かしてないことはオトが報告してくれてたよ。

 上手くいってるかどうかは自分では分からないとも言ってたけど』


「ああ、うん……」


『で、赤ちゃんが魔力を持ってしまった件だけど……』


「や、やっぱり、アタイのせいなのかい!?」

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