第18話 謝罪

統一歴九十九年四月十日、昼 ー アルビオン港/アルビオンニウム



 昼食をたっぷり堪能したリュウイチは後片付けの邪魔にならない様にルクレティアを伴って漁師小屋から外へ出た。


 外では軍団兵レギオナリウスが船へ乗り込んでいる最中だった。

 先に昼食を済ませていた部隊は既に搭乗済みで、荷役作業をしていた兵士や人員も昼食を済ませて乗り込む順番を待っている。

 彼らの昼食は実に簡素だ。

 軍用パンパニス・ミリタリスを一欠片かけらかじる程度である。元々レーマでは昼食が間食同然に考えられているというのもあるが、彼らの場合は朝食が遅かったし、この後船の櫂を漕ぐという重労働が待っているからでもあった。


 ロングシップに船室と呼べるようなものは無い。

 後甲板に設けられたテントがあるだけだが、それは当然身分の高い者が独占する。つまり、貴族ノビレスや神官、軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム百人隊長ケントゥリオ以上の将校だ。今回は降臨者リュウイチがその筆頭になる。


 兵達は航海中は吹きっさらしの甲板で過ごすことになる。

 船首楼や船尾楼の下なら一応屋根があるが、どちらも真ん中に大砲が据え付けられていて邪魔だし、船首楼は船首が切り裂く波の飛沫しぶきをもろにかぶるし、船尾右舷側には舵手(その船の乗員でトップクラスの偉い人)が常にいるし、船尾左舷側は便所になっている。男も女も関係なしに船べりからケツを突き出して用を足すのだ(さすがにルクレティアらはテントの中でオマルを使う)。

 そして誰かが用を足している間、その者が船べりから転落しないよう、近くにいる誰かが紐を使って支えてやらねばならない。綱引きしながら一方が用を足すのだから、慣れない者にとっては抵抗がある。


 要するに屋根のあるところは兵たちにとって酷く居心地が悪いところばかりで、吹き晒しの甲板の上で戦友同士で団子になってた方がまだマシなのだった。


 今回は船に乗り込めるギリギリ最大人数での遠征だ。

 全員が軍装を外し、丁寧に梱包して甲板下の船倉に収納し、身軽なトゥニカ姿になって甲板に整列する。船べりのあたりは漕ぎ手のために開けなければならないので、漕ぎ手当番以外の者は皆甲板中央の何もない部分で立ったまま密集してなければならない。

 それでも帆を操作しなければならない時は正規の船員たちに邪魔者扱いされてしまう事もある。


「後甲板がいいって聞いたぞ。風は後ろから吹くから匂わなくて済む。」

「いや今回は左舷側が良いぞ、北へ行くから風は左から吹く。

 風上側にいれば誰かがゲロしても臭くねぇ。」

「後ろは便所が近い。誰かが用を足す時は手伝わされるぞ。」

「とにかく酔いやすい奴は外側だ。強い奴が内側だ。」


 兵たちは場所取りの良し悪しが航海中どれだけ快適に過ごせるかに大きく影響する事を経験で学んでいた。自分が少しでも過ごしやすい場所を確保し、航海中に戻しそうなヤヴァイ奴はなるべく遠ざける。

 彼らはそのための調いそしんだ。



 そんな静かな殺気に満ちた空間に向かって、火種になりそうな一団が運び込まれようとしていた。今朝、《暗黒騎士ダークナイト》に戦いを挑んで魔法で眠らされた軽装歩兵ウェリテス・・・ネロたちである。

 彼らはまだ目覚めておらず、担架に乗せられたままアルトリウスたちが乗り込む予定の二番艦『グリームニル』のテントに運び込まれることになっていた。目覚め次第、尋問するためだ。


 命令違反を起こし、無謀にも《暗黒騎士》に戦いを挑み、あえなく眠らされた落ちこぼれ兵士。何にもなかったから良いようなものの、一歩間違えれば世界を破滅させかねないほどの過ちを犯したくせに、呑気に眠りこけたまま快適なテントへ入ろうとしている不届き者。

 それが彼らの今の評価である。


「なんであいつらがテントなんだよ。」

「どうせ死刑なんだから船べりから吊るしとけよ。」


 彼らは甲板や桟橋の兵士らの憎悪の対象になってしまっていた。



「彼らは?」

 質問が唐突だったのでルクレティアは何のことかわからなかったが、リュウイチが指さす先にネロ達の担架を運ぶ一団を見つけ、ようやくネロ達について聞かれたのだと気づいた。


「かの者、ら、眠り、されしまま、目覚めず。」

「ああ、あいつらかぁ・・・未だ起きないんだ。」

 リュウイチは困ったような顔をして頭を掻いた。


「お尋ね、して、御許しください、ましょうや?」

「え、何?」

「かの者ら、眠り、させし、は、御身、なりや?」

「はい、魔法で眠らせました。」

「何時頃、目覚め、たもうや?」

「うーん、どうだろう?

 どう思う?」

 リュウイチは《火の精霊ファイア・エレメンタル》に話を振った。魔法を使ったのは初めてだったし、効果とか加減とか細かい部分がわからないのだった。


『本人たちに疲労がたまっておれば伸びることもあるようだが、魔法による強制的睡眠は半日程度だ。

 《解呪ディスペル》すれば直ぐに目覚めるが、放置していたとしてももうすぐ目覚めよう。』

「そうか・・・《解呪》する?」

「お気遣いありがたく存じます。されども、勿体のうございます、れば、御心のみ、ありがたく頂戴いたします。」

 ルクレティアはどうも、ある程度使用頻度の高い定型文はスムーズに話せるらしい。


 ところが、だいぶ落ち着いた態度をとるようになっていた彼女だったが、再び最初に対面した時のように緊張しきった様子で質問した。

「その・・・おそれながら、お尋ね申し上げます。」

「はい?」

「か、かの者ら・・・や、やはり、リ、リュ、リュウイチ様、に対したてまつり、その・・・御手向かい・・・いたし、たもうや?」


 できれば触れたくはないが、やはり確認しないわけにはいかなかった。

 本当なら最初に訊いておかねばならない事だったが、緊張しすぎて頭が回らなかったし、話の流れもあって何となく聞きそびれていたのだった。

 しかし、話がちょうど彼らに関係する話題だったし、ここで訊きそびれれば次はいつ訊けるか分からない。

 問題が問題だけに早いうちにかたを付けておかねばならないことだ。ルクレティアはあらん限りの勇気を振り絞っていた。


「ああ、うん、ちょっとね。」

『七人がかりで五回攻撃してきたぞ』

 リュウイチは言葉をにごそうとしたが《火の精霊》に容赦はなかった。


「お前、余計な事を・・」

 リュウイチが《火の精霊》をとがめようとしたところで、ルクレティアはサッと跪き、両手を胸の前で合わせてこうべを垂れる。

「申し訳ございません!!」

「えっ!?」

 突然の大声に周囲の目が一斉に集まり、リュウイチは思わず後ずさる。


「かの者ら、御無礼、伏してお詫び申し上げます!

 必ずや、厳罰、処します故、どうか、平に、御容赦のほど、お願い申し上げます!!」

 ルクレティアはこれまでのたどたどしさからは考えられない程の勢いで言い切った。


 無理もない。相手はドラゴンすら凌ぐ絶対者だ。それに要らんチョッカイどころかよりにもよって七人がかりで投槍ピルムで攻撃したとなれば簡単に済まされる問題ではない。ルクレティアも含めここにいる全員が連座させられたとしてもおかしくはないような問題だ。

 実際、過去にはゲイマーガメルの逆鱗に触れて全滅した都市だってあるのだ。

 ここで曖昧にしておいたのでは、後々にどんな問題に発展するか分かったものじゃない。何としてもこの場で許しを得る必要があった。


「あ、あぁ・・・・・いやっ、大丈夫!

 大丈夫だよ?!

 ほらっ。こっちは怪我一つしてないし?」


 ルクレティアのあまりの勢いに気おされていたリュウイチだったが、土下座とはいわないまでも女の子にこんな風に謝らせるなんていくらなんでも外聞が悪すぎる。

 あわてて執り成したが、ルクレティアはなおも納まらなかった。


「なれどっ、リュウイチ様に対したてまつり、御手向かい、致し事、いかな理由がありとて、万死に値し大罪・・・」

「いやいやいや!

 あれは事故!

 事故だから!ね!?」

「七人かかりて、五度ごたびも、となれば、事故、ならず!

 かの者ら、めいに背き、御手向かい、致しそうらえば・・・致しますれば、罪ある事、疑うべくも無し。許しまじく、存じそうろう・・・存知ます。

 されど、我ら、リュウイチ様、害し奉らん、などと、一度たりとも、」

「ああ、大丈夫大丈夫!

 敵意が無いって分かってます。大丈夫!」


 リュウイチは腰を落とし、彼女の両肩に手を添えて何とか気持ちを落ち着かせようとすると、ようやく彼女の勢いも弱まりだした。

 そこへサッ、サッ、と砂を蹴ってアルトリウス、スタティウス、クィントゥスの三名が駆け寄ってきた。

 彼らは伝書鳩を放つ作業を見守っていたのだが、さすがに捨て置けず様子を見に来たのだった。

 慌てた様子でルクレティアに並んでリュウイチに向かって跪き、「どうしたんだ?」と小声でルクレティアに尋ねた。


『あそこで運ばれている者どもが、が主を攻撃したことを教えてやったら、このように詫びを入れ始めたのだ。』

 ルクレティアが答える前に《火の精霊》が教えた。

 結果、ようやく納まろうとした謝罪攻勢が一挙に四倍に強化されることになる。

船上、あるいは桟橋から遠巻きに見ている兵士たちの間にも不穏な空気が流れ始めた。



『こやつらに主様に対して害意は無く、此度の事はあ奴らの暴走なんだそうだ。

 監督責任はそこなアルトリウスにあって、罪はアルトリウス一人が如何様にも追うから、他の者たちは許してほしいと言っておるぞ。』


 アルトリウスらの言葉はリュウイチには分からないので、《火の精霊》が如何にも楽しそうに訳して伝えた。

 もしこいつが人間の身体を持っていたなら、きっと腹を抱えていることだろう。


「だから俺は気にしてないって!

 あれは事故だし、こっちは被害なんて受けてないんだから気にしなくていいって伝えてくれ!」


 リュウイチは困り果てていた。既に四人に対して両膝を付いて顔を覗き込むようにして「大丈夫だ」「気にしてない」と繰り返しているのに、一向に解決しない。

 そして《火の精霊》を疑い始めてもいた。


 ひょっとしてコイツは事態が悪化するのを楽しんでるんじゃないか?むしろ、そのために意図的に誤訳してるんじゃないか?と・・・。


「ゆ、許したもうや?」

 ルクレティアがようやく顔を上げる。まるで捨てられた犬みたいに救いを求めるような目をしていた。

「許す!許した!

 だからもう気にしないでくれ!

 立ってくれ!

 立ってください!!」


 そこまで言ってようやく謝罪攻勢は納まりを見せた。

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