第1027話 老将の危惧
統一歴九十九年五月十日、午後 -
「イカンとは……どういうことですか?」
スプリウスは訳が分からず、思わずとなりにいるマルクスの方を見たが、マルクスは相変わらず具合が悪そうに額に手を当て、頭を預けている。視線はスプリウスへ返すが、その表情には何の感情も無く、また言葉による答えも無い。
どうやら本気で分かっていないスプリウスに、バルビヌスは渋面を収める代わりに眼力と語気とを強めた。
「我々は今、戦闘を起こしてはならんのだ。
忘れたのか?
このアルトリウシアには、
「このような所で下手に戦になってみろ。
叛乱軍相手に勝てるか負けるかの心配などどうでもよい!
それよりも
世界中の
そうなれば、ことはアルトリウシアだけでは済まんのだぞ?」
バルビヌスの声と視線には怒気が含まれてはいたが、その態度は年齢相応の落ち着きを保った、抑制の利いたものだった。しかし久しぶりに恩師の、かつての鬼教官の本気の叱責に、スプリウスは喉奥が自ずから絞められていくような息苦しさにゴクリと唾を飲む。
「し、しかし、だからといって野放しには出来ますまい。
民衆は降臨があったことも知らんのです。
「それはやり過ぎても同じことだ。」
スプリウスの上ずった声に脅しが効きすぎたようだと悟ったバルビヌスはわずかに身を引く。
「下手に戦果を挙げて見ろ、ましてそれで実はダイアウルフだけでなくハン族のゴブリン騎兵が隠れていた。ゴブリン騎兵を討ち取ったなどと知った民衆はどうなる?
ハン族討つべしと声高に叫びだすに違いない。
民衆が騒ぎ出せば、
アルトリウシア軍団の将兵たちと同じことをスプリウスが口にしたものだから、つい普段バルビヌスがアルトリウシア軍団に抱いている不満をスプリウスにぶつけてしまったが、しかし冷静に考えればそれはお
それでも感情は感情、理性だけで腹に溜まった
「銃をぶっ放すにしても空砲か、あるいは誰にも当たらぬように明後日の方へでも撃てばよかったのだ。
ダイアウルフとて所詮は獣、騎手が乗っているならともかく、乗り手がいないなら銃声と火薬の臭いだけで追い払うことは十分可能だ。
敵を追い払い、脅威に対処したという実績……それさえあれば事足りる。戦果など、むしろ挙げてはイカンかったのだ。」
バルビヌスの言っていることは間違ってはいない。が、彼のその要求は傲慢と評して良いものだろう。それを実現できたかと言えば否……まず現実的ではないからだ。
彼は忘れている。アルトリウシア軍団も全員が降臨について知っているわけでは無いという事実を。降臨を知っているのは
明確に存在する“敵”を前にして弱腰な態度をとる
「実際のところ、
バルビヌスの思うところ、その危険性を理解したマルクスがここでようやく口を開いた。その態度はまだ
マルクスの様子に不満を抱いていたバルビヌスも、その目を見てどうやら己の職責を思い出したようだと理解し、態度をわずかに堅いものにする。
「いや、なってはおりません。
が、そうなりつつありますな。」
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