第802話 白銀の淑女

統一歴九十九年五月十日、夕 ‐ アルトリウシア子爵邸/レーマ



 二人ほど居座られたってどういうこと!?相手が誰だからといって当の私が居ないのだから引き取ってもらえばよかったじゃない!そうはおっしゃられても相手は上級貴族パトリキご本人でしたから、お嬢様ドミナが御帰りになるまで待つと言われれば力づくで追い払うわけにもいきませんで。上級貴族が先触れもなく自ら押しかけて来たっていうの!?なんて非常識な!!なんでも緊急の御用で今日でなければならぬと強く御所望で。いくら当家ウチが新興の子爵家ウィケコメスだからってそんな横車を通されては家名が汚れます!帰っていただきなさい!そう言うわけにもいかないのですお嬢様ドミナ、相手は元老院議員セナートルですから……


 いくら領主貴族パトリキと言えども元老院議員が相手では軽んじることはできない。領主貴族にとって忠誠を尽くすべき皇帝インペラートルは間違いなくレーマ帝国の最高権力者だが、同時にそのポストが元老院セナートスから選出される一官僚に過ぎないのは否定のしえない事実なのだ。皇帝の根拠も、各領主の根拠も元老院の権威に依存している。そして、同時にすべての領主貴族が元老院という帝国の最高機関に息のかかった人間を送り込むことで、自分の権威を確固たるものとしていた。

 皇帝と皇帝を支持する領主貴族たちと元老院は対立する構造にありながら、自身も元老院を利用しているという背景がある以上、その議員をないがしろになどできるわけもない。それは自身の領主貴族という立場の根拠を自ら否定することであり、同時に元老院を利用する他の領主貴族たちをも敵に回すことを意味してしまうからだ。


 何で元老院議員セナートルが私に……


 疑問を覚えながらもグナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨルは身だしなみを再度整え、応接室タブリヌムへ急いだ。


「一人はアレクサンデル・マエシウス卿と申します。本人は元々平民プレブス出身で中道派の小物でしたが、最近守旧派の大物コルウス卿の傘下に入ったともっぱらの噂です。あのハン支援軍アウクシリア・ハン軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムを務めており、過去に何度かハン支援軍アウクシリア・ハンの起こした事件の揉み消しに関わったことがございます。

 もう一人はフロンティーヌス・リガーリウス・レマヌス卿です。お若くしてリガーリウス家の当主となられた御方で、守旧派の元老院議員セナートルです。元老院議員セナートルとしての目立った活躍は耳にしませんがタウルス卿の領袖でして、おまけに我らがアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムでもあられます。

 お二人ともアルビオンニアで降臨が起きたことを聞いて当家に来たことは間違いございませんが、どちらも守旧派の大物議員を後ろ盾にしています。いえ、おそらく先兵でございましょう。どのような無理難題を吹っかけてくるか分かったものではございません。くれぐれもご油断召されませぬよう、お気を付けください。」


 応接室へ向かう大グナエウシアグナエウシア・マイヨルにモルゲヌスは大グナエウシアを待つ客人たちの素性について説明した。


 リガーリウス……その氏族名ノーメンを聞いて大グナエウシアの顔がわずかに曇る。アヴァロニウス氏族にとってその名は忌むべきものだった。それはかつて、アヴァロニアがまだレーマ帝国と戦っていた最中にアヴァロニウス氏族と対立した挙句、内部分裂を起こしてアヴァロニアがレーマの軍門に降るきっかけとなった氏族の名である。アヴァロニアが帝国に併呑へいどんされアヴァロニア属州となった後、大グナエウシアの祖先であるアヴァロニウス氏族は国を追われてアヴァロンニア支援軍アウクシリア・アヴァロンニアとして各地を放浪する羽目になったのに比べ、リガーリウス氏族はそのままレーマ帝国の元老院議員になりおおせ、上級貴族パトリキの仲間入りを果たしている。要は彼らは祖国アヴァロニアを売り、レーマ貴族の身分を買ったのだ。ただ、さすがにアヴァロニアには居辛かったらしく、戦争終結とともに帝都レーマに移ってレマヌスの家族名コグノーメンを名乗っている。

 アヴァロニウス氏族にとっては憎きかたきそのものであったが、アヴァロニウス氏族はアヴァロニア戦争後ながらく貴族の地位を失っていてつい十八年ほど前に子爵を叙爵して領主貴族の地位に復帰したばかり。それに比べてリガーリウス氏族はアヴァロニア戦争後からずっと元老院議員を排出し続け、今は名門上級貴族として権勢をほしいままにしていた。帝都レーマでの両者の力の差は歴然としていると言って良いだろう。


 今度こそ、アルトリウシア子爵家を潰しにかかろうというのかしら?


 リガーリウス家は大グナエウシアの父グナエウスが叙爵する際、元老院でもっともしつこく反対し続けた議員の一人である。まあ、かつて国を売った彼らからすれば、その有力貴族がレーマ帝国の領主貴族として復活するのは何としても避けたい事態であっただろう。その後、今の当主になってからアルトリウシア軍団への派遣幕僚に就任したことからも、ずっとアルトリウシア子爵家を糾弾する機会を待ち続けていたのかもしれない。

 アルトリウシアは属州ではないので代表者を元老院に送り込むことは出来てはいないが、それでもアルビオンニア属州では有力貴族の筆頭である。皇帝派有力貴族の一人アルビオンニア侯爵家への影響力も考えれば、皇帝派の力を削ぎたい守旧派議員たちがアルトリウシア子爵家を攻撃するチャンスを探っていたとしても何ら不思議ではないだろう。


「やっかいな相手ね。」


 相手は元老院で現在最大の勢力を誇る守旧派の一員……それもアヴァロニウス氏族にとっての“敵”そのものである。元老院議員が正式に面会を求めてきたにもかかわらずこれを断れば、それだけでアルトリウシア子爵家攻撃の口実にされかねない。モルゲヌスが大グナエウシアが留守であるにも拘らず、断り切れずに応接室へ通してしまったのも無理からぬところであろう。


「とにかくお気を付けください。

 こちらにわずかばかりでも非礼があれば、どのような因縁を吹っかけられるかわかりません。」


「分かっているわ。」


 応接室の前まで来て老婆心を出すモルゲヌスに大グナエウシアは凛とした声で答えた。


 そうよ大グナエウシアグナエウシア・マイヨル!私は子爵家ウチを守るって、昼間『黄金宮ドムス・アウレア』で覚悟を決めたじゃないの!


 扉の前で大グナエウシアは深呼吸をして覚悟を新たにした。

 モルゲヌスが大グナエウシアに先立って扉を開けて中に入り、名告げ人ノーメンクラートルのように大グナエウシアの入室を告げる。


「お待たせしました。アルトリウシア子爵令嬢、グナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨル様が参りました。」


 フロンティーヌスとアレクサンデルは長椅子クビレに腰かけて香茶を飲んでいたのだが、入室してきたモルゲヌスが大グナエウシアの入室を告げると手にしていた茶碗ポクルムテーブルメンサに置いて起立した。


「失礼いたします。」


 静々しずしずと大グナエウシアが入室し、二人の前に姿を現すと「おおっ」と感嘆の声が低く響いた。

 外はまだ陽があるものの、既に稜線りょうせんへかなり近づきつつあり、空は茜色に染まっている。屋内は早くも宵闇の支配する世界となっており、応接室には闇を払うべく燭台が灯されていた。

 人工の照明としては最大の輝度を誇る鯨油ロウソクの炎だが、それでも陽の光には比べるべくもない。先ほどまで夕焼けに染まる空の元にいた大グナエウシアにとっては心もとない明るさではあったが、既に室内のロウソクの明かるさに目を慣らしていたフロンティーヌスとアレクサンデルの二人からするとまた見え方が違ってくる。

 入室したばかりの大グナエウシアには室内にいた二人はまるで影が意思をもって動き出したかのように見えたし、逆に室内にいた二人からは入室してきた大グナエウシアは光が意思を持って人の形を成したかのよう見えた。


 白銀の淑女アルジェントゥム・ドミナ……


 奇しくも二人が頭に思い浮かべた印象は同じであった。コボルトである母から引き継いだ大グナエウシアの全身を覆う白い体毛は薄暗い室内の頼りない照明の中で、暗さに慣れ切った二人の目にはまばゆいほどの輝きを放っている。背後の壁に伸びる彼女自身の影によってその輝きは強調され、まるで浮き上がって見えるようだ。


 ……おお、妖精ニンファが実在するとしたら、きっとこんな風に違いない……


「せっかく当家へお越しいただいたにもかかわらず、元老院議員セナートスをお待たせして申し訳ありません。

 グナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨルと申します。」


 アレクサンデルは思わず大グナエウシアの姿に見とれてしまっていたが、大グナエウシアの挨拶を兼ねた自己紹介でハッと我に返り、慌てて挨拶を返す。


「お、こ、これは!……

 元老院議員セナートルアレクサンデル・マエシウスと申します。

 こちらこそ突然押しかけるご無礼をどうかお許しいただきたい。」


 これから話をする相手に一瞬とはいえ心を奪われてしまったことを恥じ入り、アレクサンデルは苦笑いを噛み殺しながら会釈する。


 クソッ、相手は十四の小娘だぞ!?

 しっかりしろ俺!!


 頭を掻きむしりたいのを堪えつつ、長い会釈のフリをしながら視線を床に落とす。そのままフロンティーヌスの挨拶を待ったが、間の悪いことにいつまで経ってもフロンティーヌスの挨拶は聞こえてこなかった。


「「・・・・・・・・」」


 アレクサンデルが短い挨拶を終え、大グナエウシアは次の人はとフロンティーヌスの方を見たがフロンティーヌスの反応は無かった。アレクサンデルもなかなかフロンティーヌスの挨拶が聞こえないので、会釈したまま視線をフロンティーヌスに向けると、フロンティーヌスは口をポカンと開けたまま固まっていた。フロンティーヌスは大グナエウシアの闇に浮かび上がる様に輝くその姿に見とれ、完全に呆けてしまっていた。

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