第801話 招かぬ客

統一歴九十九年五月十日、夕 ‐ アルトリウシア子爵邸/レーマ



恩寵おんちょうですって!?」


 その答えにグナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨル子爵令嬢は思わず眉を寄せ、声を荒げた。うら若き娘とはいえ自分よりも背の高いハーフコボルトに詰め寄られると、モルゲヌスも初老のホブゴブリンとはいえさすがに気圧されざるを得ない。


「は、はいお嬢様ドミナ

 彼らはアルトリウシアで降臨が起きたことを祝っているのです。

 子爵領で降臨が起きた以上、アルトリウシアの発展は疑いようがありません。

 それで今から子爵家によしみを通じておこうと、恩寵にあやかろうというのです。」


 言いにくそうにモルゲヌスが答えると、大グナエウシアグナエウシア・マイヨルは思わず目をいてスゥーッと音が聞こえるほど鼻から強く息を吸い込みながら身を引いた。何かとてつもなく嫌らしい事実にでも出くわしたかのような反応だ。

 その大グナエウシアの反応に何故か心が痛むのを感じながら、モルゲヌスは愚痴る様に話を続ける。


「最初はレーマ市民も噂を半信半疑だったようなのですが、お嬢様ドミナが陛下に招かれて参内さんだいしたことが知られると、噂は真実だったと確信した者が続出したようです。

 お嬢様が参内なされてからはそれはもう大変な騒ぎでした。

 ひっきりなしに人が来てはお嬢様への御面会を……」


「待って!」


 さすがに理解が及ばない。大グナエウシアは降臨の事実を告げられた時、まずは家族の安否を案じ、領民たちを案じ、そして家族や領民たちを守るために子爵令嬢としてできることをやろうと覚悟を決めたのだ。それは悲壮ひそうとさえ言えるものだ。そしてその気持ちは今だって変わらない。


 なのに表に集まっている群衆は何!?恩寵に預かるですって???


「あの人たちは分かってるの!?

 降臨したのは暗黒騎士ダーク・ナイト》なのに!?」


 大グナエウシアが挑みかかるように言うと、モルゲヌスの憔悴しょうすいしきった顔は驚愕に歪み、みるみる血の気が引いていく。


「で、では《暗黒騎士ダーク・ナイト》が降臨したというのは……!?」


 そのモルゲヌスの狼狽うろたえように大グナエウシアは口を滑らせてしまったことに気づきハッとする。


「待って!違うのモルゲヌス!!」


お嬢様ドミナ!!」


 大グナエウシアは思わずかがんで視線をモルゲヌスの高さに合わせると、彼の両肩を掴んだ。その拍子に頭から被っていたパエヌラがはらりとズレ、それに気づいたタネがサッとパエヌラを大グナエウシアの頭から取り払う。屋外では淑女はパエヌラを被らねばならないとされるが、今はもう屋内だから必要ない。大グナエウシアはタネに礼を言って改めてモルゲヌスに話を続ける。


「ああ、ありがとうタネ。

 それよりも、違うのよモルゲヌス!

 降臨したのは《暗黒騎士ダーク・ナイト》じゃないわ。」


「で、ですが今しがた降臨したのは《暗黒騎士ダーク・ナイト》だと……」


「だから違うの!!」


 子どもがイヤイヤをするように両手を握りしめ、脚を踏み鳴らしながら大グナエウシアはモルゲヌスの言葉を遮った。


「それは噂よ!

 噂では《暗黒騎士ダーク・ナイト》が降臨したっていうことになってるんでしょう!?

 彼らは《暗黒騎士ダーク・ナイト》が降臨したのにアルトリウシアが発展して恩寵があると思ってるのって訊いてるの!!」


「………」


 気圧されて仰け反り気味になっていたモルゲヌスは閉口したまま、大グナエウシアの両目を交互に見返した。その後、二度三度、目をしばたたかせて、唇をぴくっぴくっと震わせる。


「あ、ああ……そ、それでは……」


「降臨したのは《暗黒騎士ダーク・ナイト》本人じゃないわ。

 その……御親戚らしいわよ。陛下からそうお伺いしたの。」


 モルゲヌスの誤解が解けたらしいことに気づいた大グナエウシアはモルゲヌスに掴みかかる様に前のめりにしていた上体を引いた。解放されたモルゲヌスは身体を脱力させてフゥと呆れとも安堵ともとれる溜息をつき、居住いずまいを正しながら床に視線を這わせた。たぶん、まだ彼の内の混乱は完全には冷めていないのだろう。

 彼の混乱の原因は間違いなく自分の紛らわしい発言がきっかけだった……そのことに気づいていた大グナエウシアは小さく咳払いをし、その気まずさを屋敷の外の群衆へぶつける。


「だいたい降臨が起きたのはアルビオンニウムよ!?

 アルトリウシアじゃないわ!

 何でウチに来るのよ!?」


 聞いた噂はアルビオンニウムで《暗黒騎士》が降臨したということだけだ。その後、《暗黒騎士》がアルトリウシアへ運ばれたという所まではまだ世間に知られていないはず。

 大グナエウシアの愚痴を慰めようとモルゲヌスは言いにくい事実を告げた。


「彼らにとっては辺境の地名など些細なことでしかありません、お嬢様ドミナ。」


 それは不愉快な事実であった。大グナエウシア自身もそれはレーマに来てから幾度となく経験的に理解している。彼らは『白銀のアルトリウスアルジェントゥム・アルトリウス』には興味はあっても、アルトリウシアはおろかアルビオンニア属州にも全く興味を持っていないのだ。貴族ノビリタスでさえそうなのだから平民プレブスなら猶更だろう。下手したらアルビオンニアがどこかすら理解していないかもしれない。


「アルトリウシアがどこにあるかも知らないくせに、おいしいところだけあり付こうなどという者たちの相手などするつもりはありません!

 すぐに追い払いなさい!」


 大グナエウシアは毅然きぜんと言い放った。感情的と言われても仕方のない乱暴な命令だが、大グナエウシアは昼間の『黄金宮』での茶会だけで既に十分疲れていたのだ。このうえ自分の故郷を馬鹿にするような有象無象うぞうむぞうどもの相手をするなど冗談ではない。

 しかし、それが通るほど貴族の社交界はおおらかではない。そのことを知っているモルゲヌスは慌てた。


「よ、よろしいのですか!?

 中には上級貴族パトリキ下級貴族ノビレスつかいの者も……」


「いいわよ!

 どうせ明日も『黄金宮ドムス・アウレア』に呼ばれてるんだもの!」


「明日も!?」


 それは事実だった。今日はムセイオンからアルトリウシアへ派遣される調査隊のために呼び出されて領国の話をさせられたが、明日はおそらく実際に派遣される人物が決まっているだろうからということで、その者たちとの挨拶のためにもう一度参内するよう言いつけられていた。


「そうよ!

 他の人たちに会う暇なんて無いわ。」


 皇帝に呼ばれている以上、他の貴族の用事など入り込む余地があるわけがない。大グナエウシアは当然そのように考えていた。皇帝の権威を借りて他の貴族たちの遣いを追い払ったところで何の不都合があろうか?


「し、しかし……」


 だが、モルゲヌスは渋り続ける。今日、大グナエウシアが帰って来てから彼の顔はずっと困り顔のままだったが、今は頭を抱え込まんばかりに動揺している。


「何なの?

 今日はもう疲れたから休みたいのよ!」


「はい、お嬢様ドミナ

 私も今日来た客人はことごとくお帰り戴いていたのですが、どうしてもお断りできない方がお二人ほど、居座られてしまいまして……」

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