第252話 カールの緊急搬送

統一歴九十九年四月二十一日、夕 - ティトゥス要塞陣営本部/アルトリウシア



 ルキウスが招集した緊急会議はその後紛糾した。会議に参加した者の中にカールの容体が深刻な状況であることを知らない者が少なからずいたのも理由の一つだったが、最大の理由はやはり「恩寵おんちょうの独占」問題の扱いだった。


 リュウイチが提示したアイディアによって表面的には大協約で禁じる「恩寵おんちょうの独占」を回避できる見込みはある。これはムセイオンの学士であるヴァナディーズも賛同してくれていた。だが、彼女はムセイオンの学士ではあるが、法学の専門家と言うわけではなかったし、実態として降臨者リュウイチ恩寵おんちょうを独占的に受けるという事実に変わりはない。

 また、金を借りるために子供を人質に出すというのも、厳密に考えれば人身売買にあたると言えなくもない。レーマ帝国において人身売買は法によって制限されている。降臨者(特にゲイマーガメル)がもたらした人道主義などの価値観を反映し、人権というものを尊重せねばならぬという風潮は多少なりともあるが、奴隷制を完全には廃止できない社会的事情もあって法整備は不完全なままであり、人身売買を禁じる法も抜け穴だらけなザル法だ。だが、だからといって貴族パトリキが、それも女属州領主ドゥキッサ・プロウィンキアエであるエルネスティーネが率先して法を犯すわけにはいかない。


 侯爵家も子爵家もクソが付くほど生真面目な性格で知られる家系だった。

 どちらの家も出自はレーマ帝国ではない。侯爵家は啓展宗教諸国連合側から亡命したランツクネヒト族であったし、子爵家はアヴァロニアという独立国の名門貴族だった。どちらもかつての大戦争当時はレーマ帝国に敵対していた勢力の出身なのである。

 ランツクネヒト族はヒト種ではあるが肌の黒さゆえに啓展宗教諸国連合側で差別対象となっていた民族だった。差別の苛烈さを逃れてレーマへ亡命し、あるいは差別的扱いゆえに前線で過酷な戦いを強いられて捕虜になるなどしてレーマへ渡ったランツクネヒト族たち…彼らはレーマ帝国内での居場所を作るために結集して義勇軍を結成、後にランツクネヒト支援軍アウクシリア・ランツクネヒトとして奮戦する。大戦争を通して勇戦奮闘した彼らは功績を認められ、大戦争終結の褒美として新属州アルビオンニアを安住の地としてたまわり、その時隊長だったヨハン・ハッセルバッハが侯爵マルキオーに列せられ、与えられた領土にちなんでヨハン・フォン・アルビオンニアを名乗ったのが侯爵家の始まりである。


 子爵家は前述のとおりアヴァロニアという国の名門貴族アヴァロニウス氏族である。大戦争中はそれ以前からあったレーマ帝国との確執から啓展宗教諸国連合側に味方して戦った。大戦争終結後、現在ムセイオンがあるケントルムの地を境に世界を東西に分割することが決まった。その後の両陣営協力しての測量の結果、アヴァロニアはレーマ帝国側に属することとなった。

 アヴァロニアはそれを良しとせず独立を維持するためにレーマ帝国と戦ったが、レーマ帝国は大戦争終結によって生じていた余剰戦力を対アヴァロニア戦に集中投入し、アヴァロニアは奮戦虚しく陥落する。その後、アヴァロニアで中心的な存在であったアヴァロニウス氏族は追放され、アヴァロニア支援軍アウクシリア・アヴァロニアとして流浪の生活を余儀なくされる。

 アヴァロニア支援軍アウクシリア・アヴァロニアはアルビオンニアに派遣され、アルビオンニア侯爵家を支えてアルビオンニア属州の防衛と拡大のために勇戦奮闘…半世紀以上の時を経てようやく功績が認められ、先代のグナエウス・アヴァロニウス・ユースティティウスが子爵ウィケコメスに列せられ、家名をアルトリウシアへ改めた。


 両家ともレーマ帝国に敵対していた勢力から取り込まれた過去を持ち、レーマ帝国貴族に列せられるために忠誠を認めさせるべく苦労を重ねて来た一族である。このため、他のレーマ貴族よりもレーマの法や支配に対して過度に真面目にとらえすぎる傾向があった。

 この日の会議も両家のそうした傾向がいかんなく発揮され、法解釈について慎重な意見が相次いでいる。

 ルキウスや、両家とはまったく別系統のスパルタカシウス家令嬢ルクレティアはどちらも割とアバウトな性格の持ち主だが、この会議に出席している貴族ノビリタスの中ではかなり例外的な存在なのだ。


 一応、リュウイチが提示したのはあくまでもアイディアであって、細部の理論構築自体は彼ら貴族ノビリタスに一任されている。リュウイチはこの世界ヴァーチャリアの法律についてほとんど知らないのだから当然であろう。あくまでもこういう方法なら「恩寵おんちょうの独占」を回避できませんか?という方針が示されたにすぎず、細かいことは丸投げされているのだ。

 そしてそれはカールを救う唯一にして確実な選択肢だった。


 カールはあの日以来植物化したまま一向に回復しない。かなり薄めた粥を毎日少しずつ無理やり口に入れてはいるが、成長の途上にある八歳の身体を維持するのには少なすぎる量しか摂取させることができないでいる。このままでは遠からず衰弱して死亡してしまうのは目に見えていた。


「今のままでは、カール閣下は春を待たずに衰弱死することは間違いありません。

 お救いするためには、リュウイチ様のこの御厚情に御すがりするほかないと考えます。」


 ルクレティアがカールの容体について説明すると、事態を知らなかった者たちから困惑と嘆きの声が聞こえ、家臣団の意思はようやくリュウイチの提案を受ける方向へ向き始めた。

 だが意外にも最後まで抵抗したのはエルネスティーネだった。その表情からは、リュウイチにカールを治してもらいたいという本音が駄々洩れになっていたが、亡き夫の残した領地と爵位を間違いなくカールに継がせたい、そのために自分は完璧な侯爵夫人マルキオニッサであらねばならないという意志が、最後まで彼女に慎重論を唱えさせ続けた。最後は自身の内面の葛藤に堪え切れず泣き崩れ、家臣団が一致団結して説得してようやくリュウイチの提案を受け入れる方向で議論が流れ始める。

 その後はリュウイチの提示したアイディアを具体化する理論構築と、それを成立させるためのアリバイ工作の検討に集中した。会議は白熱し、二時間を超える長丁場となった。窓の外の景色が黄ばみ始めた頃、ようやく出席者が合意に達する。


 それからは早かった。

 馬車が用意され、早速毛布に包まれたカールが積み込まれる。同時に侯爵家の家族も、エルネスティーネ自身も乗り込む。ルキウスも妻アンティスティアを伴って馬車に乗りこみ、車列は一路マニウス要塞カストルム・マニへ急行する。

 彼らには急ぐ理由が…いや、急がねばならない理由があった。


 今日は土曜日。そして明日は日曜日。

 日曜日と言えばキリスト教徒にとっての安息日であり、毎週ミサが執り行われている。ミサを行うという事はカールの容体を司祭らに見られてしまうという事だ。

 宗教指導者が医者を兼ねるこの世界ヴァーチャリアで「体調が悪いから」という理由でカールを隠すことはできない。むしろ体調が悪いならなおさら司祭に見せなければならないだろう。そして植物化したカールを見れば、なぜこうなったのかも話さねばならないだろう。隠そうとしても使用人たちの口から漏れるに決まっている。そうなった場合どうなるか…その展開は容易に想像がつく。


 カール様に悪魔が憑いた!!


 再び騒動が起こるに違いなかった。今の状況でその騒動が再び起きた場合、今度もカールを守れる可能性は限りなく低かった。ただでさえ政情不安定になってしまったアルトリウシアの地で、実際に悪魔が現れたとしか思えない状況が発生し、なおかつカールがまるで魂が抜かれたかのように植物化してしまっているのである。いくらアルビオンニウムよりキリスト教徒の割合が低いといっても、キリスト教会の影響力は無視できない。

 それを防ぐには今日中に、遅くとも明日の昼までにカールを治癒してもらわなければならなかったのである。

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