第624話 貨幣の使い道

統一歴九十九年五月七日、昼 - キュッテル商会/サウマンディウム



「貨幣が不足している?」


 プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵はオイゲン・キュッテルの説明を聞いて、手に持っていた湯気のあがる茶碗ポクルム円卓メンサに置きながらせせら笑うように疑問を呈した。


「今、アルトリウシアに不足しているのは建築資材と食料、そして衣類だ。

 金があってもそもそも物が無くて買えない……そういう状況で金を持って行ったところでどうしようもあるまい。

 物価が上がって庶民が却って苦しむだけではないのか?」


「現に今、アルトリウシアでは様々なものが急激に値上がりをしていると、アルトリウシアに派遣されているカルウィヌスバルビヌスから報告が届いている。

 我がサウマンディウムでも、建築資材と食料を中心に値が上がり始めた。

 この状態でアルビオンニア支援のために送るのであれば、金ではなく物であるべきえはないか?」


 財務官クアエストルのティベリウス・マエキリウス・ノウァートゥスがプブリウスの指摘を補足すると、オイゲンはウンウンと頷いてみせる。


「私どももそれはよく存じております。

 アルトリウシアへ向かう船は既にどれも予定がいっぱいで、サウマンディウムの港には荷積みを待っている物資が山となりつつあり、現状以上に何かの品物を送ることができません。

 私どもも八方手を尽くして船を手配しておりますが、自前の船をようやく三隻ほど回航できる目途がついた程度です。」


 アルトリウシアは今現在、アルビオンニアの表玄関としての役割を果たしてはいるが特殊な港だ。人々が住むアルトリウシアの街も、実際に船が出入りするセーヘイムの港もひどく浅いアルトリウシア湾の奥にあり、喫水きっすいの深い外航船は直接入って行くことができない。なので、セーヘイムのブッカたちが使う喫水の浅い戦船ロングシップ貨物船クナール以外は湾口にあるトゥーレスタッドに停泊し、そこで荷物を喫水の浅い他の船に積み替えるか、そこで降ろしてしまって陸路を馬車で運ばねばならない。が、トゥーレスタッドには人は住んでおらず、無人の漁師小屋がある程度である。トゥーレスタッドからセーヘイムまで荷馬車でほぼ丸一日かかるほど距離があり、その間も人家らしい人家はほとんどない。

 つまり、アルトリウシアとの交易をしようと思ったら、セーヘイムの船以外では効率が酷く悪いのだ。それゆえに、アルトリウシアとの海上交易はほぼセーヘイムの船が独占している状態である。そして、その輸送船腹はサウマンディアからの支援が本格化してからはフル稼働状態になっており、他の誰かがアルトリウシアに何かを運び込もうとしても、積み荷の引き受け手が見つからないような状態になっていた。これにはハン支援軍アウクシリア・ハンによって七隻もの貨物船クナールが奪われたままになっていることも影響している。


 アルトリウシアではあらゆる物資が不足しているが、アルトリウシアの需要に応えるための物資は域外には存在しており、ただ運び込む手段が足りていないのである。

 オイゲンはこれに対処するためにアルトリウシア湾に入って行けそうな喫水の浅い輸送船を探し、サウマンディア属州の北隣にあるオリエネシア属州の河川で使われている船の中から外洋航行に耐えられそうな大型船を三隻ばかり、ようやく手配したのだった。だが、それがサウマンディアまで回航されてくるまでに、あと半月ちかくはかかる見込みとなっている。


「わかっておるではないか。

 そう、我がサウマンディアからアルトリウシアへ送るための救援物資は既にかなりの量を揃えてある。だが、それを運び入れる船が足りておらんのだ。だから金などアルビオンニアに送ったところで意味はない。その金で船でも買うか借りてきてもらった方がよっぽど役に立つだろう。

 それとも、その金で南蛮から船でも借りるつもりか?」


 レーマ帝国と南蛮との関係は複雑である。レーマ帝国と南蛮は一部の豪族とは敵対しており、また一部の豪族とは交流がある。しかし全体としてはまだ正式な国交のようなものはないのだ。南蛮奥地にはどうやらレーマ帝国と同じような統一された中央政権のようなものが存在しているらしいのだが、残念ながらまだ接触に成功していない。友好的な豪族を通じて使節を送ることを打診しているのだが、その話が成立しようとすると敵対している豪族の横やりが入って話が流れてしまう……それが繰り返されていた。

 現時点では「シュイン」と呼ばれる赤いスタンプの押された許可証を持った一部の南蛮商人だけが細々と交易を行っているような状態である。レーマ帝国でも貴族ノビリタス本人か貴族ノビリタスの御用商人のみが貿易を行えるので、似たようなものかもしれない。その南蛮商人としても、表向きはレーマ帝国ではなくチューアと交易をしているということにして、隠れてチューアに行くついでにレーマ帝国と交易をしているのだ。

 ともあれ、南蛮商人も限られた船腹で細々と交易を行っているような状態なので、金を払ったところで雇われてくれる可能性はほぼ無かった。


「いえいえ、あれはアルビオンニア属州内だけで使う金でございます。」


 プブリウスの冗談に愛想笑いを返しながらオイゲンが答えると、プブリウスとティベリウスは揃って顔をしかめた。


「何に使うというのだ?

 金があったところで新たに買える物などアルビオンニアにはあるまい。

 まして一千万セステルティウスだぞ!?」


「アルトリウシアの物資の不足は金を積んだからといって解決されるものではありません。物資を運び込む船の不足が原因なのですから、金だけを持って行っても金が余るだけ‥‥‥アルトリウシアでは物価上昇が加速するでしょう。

 まさか、アルトリウシアの領民たちを苦しめようというような悪意があるわけでもありますまい?」


 これにはさすがにオイゲンも苦笑いを浮かべながら両手をかざし、二人の指摘を打ち消さざるを得なかった。


「まさかそんな!悪意など、あろうはずもありません。」


「ならばどうすると言うのだ?

 買える物のない土地に大金を持ち込んで、一体何を買う?」


「そうですな、強いて言うならです。」


「「信用?」」


 いぶかしむ二人に「そうです。」と一言答えると、オイゲンは目の前に置かれた自分の茶碗ポクルムを手に取って口へ運んだ。オイゲンが一口、すでに冷めてしまった香茶を啜って舌を湿らすのを待ってティベリウスが話の続きを催促する。


「ご説明いただけますかな?」


「はい、閣下が膨大な救援物資を御用意くださいましたように、アルビオンニア侯爵夫人もアルトリウシウア子爵も様々な物資を自力で調達なさっておいでです。不詳、我が弟のグスタフもつたないながらも微力を振るわさせていただいております。」


 何やら勿体もったいぶったオイゲンの物言いにプブリウスがわずかに苛立ったように、上体を背もたれに預けながら鼻を鳴らす。


「それと関係があるのか?」


「はい。

 グスタフめは主にアルビオンニア属州内から物資を調達しております。そして、それは一部は船を使ってアルトリウシアへ運び込まれますが、大部分はライムント地方各地からグナエウス峠を越えて陸路を運び込まれております。」


「それで、其方が船を都合したように、荷馬車を集めようというのか?」


「いえいえ、動かせる荷馬車はすでにほとんど駆り出しているそうです。」


 先を急ぐプブリウスにオイゲンは苦笑した。


「まあ閣下、信用を買うという以上は馬車や船の話ではないのでしょう。

 キュッテル殿、続けてください。」


 見かねたティベリウスがプブリウスをいさめ、プブリウスがフンと小さく鼻を鳴らすと、オイゲンはティベリウスに小さく「ありがとうございます。」と礼を言って話を続ける。


「アルビオンニア属州内で集めた物資……これらはほとんどが信用取引で購入された物です。すでに購入契約は済んでおりますが、やはり運ぶ手段が足りておりません。そして、もうすぐグナエウス峠は雪で通れなくなります。」


「つまり、買ってはもらったが納品ができなくなるということですか?」


「それがどうした、既に購入契約は済んでるのであろう!?」


 ティベリウスはどうやら何が起きているか気づきかけているようだったが、プブリウスにはまだ気づけないらしい。オイゲンに対する態度が変わり始めたティベリウスに不満をぶつけるように、背もたれに預けていた上体を起こし、不満を滲ませる。


「閣下、何でもよろしいがライムント地方の商人になったつもりで想像してみてください。

 信用取引で商品の購入契約をしました。それに応えるために閣下は商品を用意します。ですが、冬になると途中の道が雪で閉ざされてしまい、春まで商品の納入は出来ません。そして、納品先であるアルトリウシアにはサウマンディアから大量の援助物資が運び込まれ続けています。」


「………」


「つまり、契約を取り消されてしまうかもしれないと、不安になるわけですね?」


 想像できなかったのか困惑顔のまま黙っているプブリウスに代わってティベリウスが答えると、オイゲンは「そうです」と肯定して続けた。


「アルビオンニアの商人たちは、大量の在庫を抱えたまま金を払ってもらえなくなってしまうのではないかと不安を抱き始めているのです。」

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