第202話 ルクレティアの決意

統一歴九十九年四月十七日、夕 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 窓からは強い西日が差し込み、本来の予定では晩餐会ケーナが始まっているはずの時間だったが、アルトリウスは中庭アトリウム庭園ペリスティリウムの間にある応接室タブリヌムで一人ルクレティアを待っていた。

 リュウイチとの話し合いの結果を伝えようと思ったのだが、ルクレティアはルキウスらとの話し合いの後、アルトリウスとルキウスが庭園ペリスティリウムで話し合っている間に自身の寝室クビクルムへ引っ込んでしまっていた。

 さすがに他人の家の二階へ、しかも年頃の独身女性の寝室クビクルムへ乗り込むわけにはいかない。たとえ種族が違えど、幼馴染の親友と言えど、守るべき節度というものはある。 

 東向きの庭園ペリスティリウムに面した窓越の向こうには、リュウイチと挨拶がてら話し込んでいる養父ルキウスの姿が見えている。


 この世界ヴァーチャリアであっても、貴族という生き物は簡単に本音を打ち明けたりしない。無難な言葉を使い、遠回しな表現で己の本心を隠し、ただ仄めかし、決して尻尾を掴ませない。そしてちょっとした仕草や言葉遣いの機微から、相手の隠れた本心を察する。それは権謀術数渦巻く宮廷で生き残るための必須のコミュニケーション術だった。宮廷で繰り広げられるような政争とは無縁と言って良いアルビオンニアのような辺境であっても、程度の差こそあれその辺は変わらない。

 しかし、その貴族パトリキであるルキウスやアルトリウスであっても、リュウイチの本心は中々つかめなかった。文化的な違い、常識の違いというのもあるだろう。


 養父上ルキウスでも、やはり苦労されるようだな・・・。


 戸がノックされ、奴隷が入って来ると告げた。


スパルタカシアルクレティア様とヴァナディーズ様を御連れしました。」


「!?・・・と、通せ。」


 戸惑いつつも立ち上がってルクレティアとヴァナディーズを迎え入れた。


「何でヴァナディーズ女史が?」


「つ・き・そ・い・・・御邪魔かしら?」


 ヴァナディーズは当初何も気づいて無かった。

 ルクレティアと共に浴室から出て、ルクレティアが付けてくれた侍女に手伝ってもらいながら着替えをしてくつろいでいたところで庭園ペリスティリウムが騒がしい事に気付き、二階の廊下から庭園ペリスティリウムを見下ろすと見覚えの無い女性と赤ん坊にリュウイチが何か魔法をかけているところだった。

 距離が結構あったので会話のほとんどは聞き取れなかったから事情はサッパリわからない。ただ、その後でルクレティアが取り乱し、クィントゥスや奴隷たちに付き添われながら車椅子のルキウスと共に応接室タブリヌムへ連れて行かれ、アルトリウスとリュウイチは食堂トリクリニウムへ入って行った。


 俄然がぜん興味がわいたが、ヴァナディーズはあくまでも客分に過ぎない。ルクレティアの家庭教師としてこの陣営本部プラエトーリウムに住むことが許されている身であり、あまり勝手に歩き回ることははばかられる。

 何があったのかしらとヤキモキしつつ待っているとルクレティアが寝室クビクルムへ戻ってきたので早速話を聞きに行った。ルクレティアは酷く落ち込んでいたが、ヴァナディーズには全て包み隠さず話してくれ、それによってようやく何が起きているか把握する事が出来た。


 その後すぐに奴隷の一人がアルトリウスがルクレティアを呼んでいると告げに来た。アルトリウスがこのタイミングでワザワザ呼び出してまで話したい事と言えば決まっている。アルトリウスはルクレティアがルキウスと話をしていた頃、別室でリュウイチと話をしていたのだからその件だろう。

 ひとまず落ち着いたとはいえ、未だ精神的には不安定なままのルクレティアは酷く狼狽した。聞きたいような聞きたくないような、どうすればいいか分からない。

 そこで、ヴァナディーズが付き添いを買って出たのだった。もちろん、彼女の心を占めていたのは半分以上野次馬根性である。


「いや、ルクレティアが良いなら・・・これから話す事は分かってるんだろう?」


 ルクレティアはコクンと頷く。


「わかった、じゃあ掛けてくれ。」


 アルトリウスに促されても俯いたまま動こうとしないルクレティアを、ヴァナディーズが両肩に手をかけて椅子へと座らせる。そしてヴァナディーズはルクレティアのすぐ横に自分の椅子を持ってくると腰掛け、ルクレティアを支えるようにその両肩に手を添えた。


「まずはリュウイチ様にルクレティアの気持ちをハッキリ伝えた。

 ルクレティアがリュウイチ様の巫女になりたいと思っている事、そして聖女になりたいと思っている事をだ。

 その点、アルトリウスの認識に間違いはないな?」


 ルクレティアは不安が募ってきたのか目に涙を浮かべ始めていたが、唇をわずかに振るわせ、結局無言のままコクンと頷いた。


「リュウイチ様は聖女がどういうものか御存知なかったので、その点も御説明申し上げた。聖貴族コンセクラータという君の立場もね。」


 ルクレティアは両手を握りしめながら、自分のみぞおちの辺りまで持ってくる。


「リュウイチ様はルクレティアの気持ちも立場も理解した上で、ルクレティアを今後も御傍に置くとおっしゃられた。」


 ルクレティアは小さく震えながら、みぞおちの辺りまで持ってきていた両手を胸のあたりまで持ち上げ、二つの拳を合わせてそれを膝の上に一気に降ろした。


「そ、それは、つまり・・・」


養父上ルキウスは、と解釈している。

 無論、私もだ。」


 それは婚約の成立を意味していた。

 ルクレティアはパッと両手で口と鼻を覆った。見る間に顔が真っ赤になり、フーッと声にならないほど甲高く鼻を鳴らし、目から大粒の涙がこぼれ始める。

 隣のヴァナディーズがルクレティアの両肩に沿えていた手に力を込めてガッと抱きしめる。


ルクレティアは巫女見習いから、聖女候補になった。」


 アルトリウスがそう言うとルクレティアはヴァナディーズに寄りかかって本格的に泣き始めた。ヴァナディーズはそれを受け入れ、ルクレティアを胸に抱いて頭や背中を優しくポンポンと叩く。


「よかったわね、よかったわね。」


 胸の中で肩を震わせて泣くルクレティアにヴァナディーズももらい泣きを始めた。



「さて、ルクレティア自身の問題はそれでいいとしてだ。」


 一、二分も経っただろうか、しばらく二人を泣かせてやった後で頃合いを見計らってアルトリウスが話を再開した。

 ルクレティアはまだ止まらぬ涙をぬぐいながら顔をあげた。


「もう一人、あのリュキスカという娼婦だ。」


 その名を聞いてルクレティアは身体を起こす。そう、ルクレティアは未だ正式な巫女になれず、巫女見習いという中途半端な立場でいた。それが将来的に聖女にしてもらえるという事実上の予約を手に入れた。階段を二段くらい跳び越したと言って良いだろう。

 だが、そのルクレティアよりも更に先へ横から一気に割り込んできた女がいるのだ。


「リュウイチ様は本来なら一夜限りの行きずりのつもりだった。

 しかし、手違いで彼女もここへ幽閉されることとなった。

 リュウイチ様はルクレティアを苦しめてしまった事にも、彼女リュキスカから自由を奪ってしまった事にも、大変心を痛めておいでだ。

 そのため、なるべく彼女リュキスカに良いように取り計らうよう思召おぼしめされた。」


「それは、つまり・・・あの人リュキスカもこれからここに?」


 アルトリウスは小さくため息をついた。


「そういうことだ。」


 ヴァナディーズが心配そうに気遣うなか、ルクレティアは一人黙ってうつむき考えていたが、やがて意を決して顔をあげた。


ルクレティアはリュウイチ様に仕える巫女です。

 リュウイチ様の御意とあらば、それに沿いましょう。」


ルクレティアは、それでいいのか?」


子爵閣下ルキウスはおっしゃいました。

 リュウイチ様はルクレティアの成長をお待ちくださると。

 その間、ウェヌス様の恩寵おんちょうを絶たっていただくわけにはいきません。

 ルクレティアが務まらないのであれば、他の方に務めていただくのは、仕方ないと思います。」


 それはルクレティアの強がりでしかない。彼女はアルトリウスにというより、自分自身に言い聞かせるように言った。本当は悔しくて仕方がない。年齢のせいで受け入れてもらえないとなれば、彼女にはどうしようもないのだ。

 だが、ルクレティアは聖女リディアに憧れ続けていた、自分も聖女リディアのようになりたいと思っていた。ここでリュキスカに嫉妬してあらぬ行動に走りでもしたら、聖女リディアではなくメデナになってしまう。


 アルトリウスはルクレティアの目をまっすぐ見つめながら、しばし考え、溜め息をついて背もたれに身体を預けた。


「わかった。

 リュキスカとも上手くやってくれると助かる。

 が、無理して急いで仲良くなる必要は無い。しばらくは、彼女のを知らねばならない。そっちに注力してくれ。

 アルトリウスの方でも彼女の身元について多少は調べてみる。」

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