第1181話 思わぬ情報

統一歴九十九年五月十日、晩 ‐ グナエウス峠山中/アルビオンニウム



 雑嚢ざつのうの中から小さな籐のバスケットを取り出し、蓋を取るとにんまりと笑みを浮かべる。そしてそれを膝に乗せ、バスケットの中から小さな真鍮の缶を取り出して蓋を開け、やはりバスケットに入っていた小さなスプーンで缶の中からソースを掬い取ると、反対側の手でバスケットから摩り下ろしケーキライベクーヘンを持ち上げて、スプーンで掬ったソースを塗りたくる。それを目にしたペイトウィンはモグモグと動かしていた顎を止め、目を剥いた。


「おい!」


 スプーンでライベクーヘンにソースを塗り続けながらグルグリウスは目だけを不快そうにペイトウィンへ向ける。


「何です?」


「何ですじゃねぇよ!

 何だよそれ!?

 そっちの方がコレよりずっと美味そうじゃないか!!」


 ペイトウィンは思わず腰を浮かせ、膝立ちになって手に持っていた自分の皿を突き出して抗議した。


「これは摩り下ろしケーキライベクーヘン。」


「らいべ・・・・くーへん・・・・?」


「ランツクネヒト族庶民プレブスのお菓子です。

 摩り下ろしたジャガイモを揚げ焼きにしたものです。」


「ポテトパンケーキじゃないか!

 塗ってるのは何だ!?」


「クランベリーソースです。

 この辺りでは栽培が盛んなのだそうですよ。」


「ズルいぞ、お前ばっかり!

 何でお前は美味そうなポテトパンケーキで、俺だけ黒パンなんだよ!?

 俺にもそっちを寄こせ!」


「あげませんよ!?

 これは吾輩わがはいのなんです。」


 ペイトウィンは立ち上がったがグルグリウスは身体ごとそっぽを向いてライベクーヘンにかぶり付いた。


「ああーーっ!!」


「んーーっ、んまい。

 なるほど、これが本来の味なのですね。」


 前回……といっても昨夜だが、グルグリウスが初めて食べたライベクーヘンには何も塗ってなかった。通常はサワークリームかアップルソースなど、ちょっとした酸味のあるものを塗って食べるお菓子なのだが、昨日グルグリウスが食べさせてもらったライベクーヘンはヨウィアヌスがどこかからか盗んできたものだったので、ジャムやソースといったトッピングは無く、塩とスパイスで味付けただけのジャガイモの味しかしなかった。が、今回はクランベリーソースをつけてもらったので、グルグリウスは初めてライベクーヘンの本来の味を楽しむことが出来たのである。

 その感動に震えるグルグリウスの横でペイトウィンが地団駄を踏んだ。


「おい!

 何で俺がこんな粗末な黒パンで、お前がポテトパンケーキなんだ!?

 俺は聖貴族コンセクラトゥスだぞ!?

 それも最上位のハーフエルフだ!

 聖貴族コンセクラトゥスには聖貴族コンセクラトゥスに相応しい食事を提供しなきゃダメだろ!!」


摩り下ろしケーキライベクーヘンですから、高貴な聖貴族様コンセクラトゥスにお出しするわけにはいきませんなぁ。」


「じゃあ黒パンコレはどうなんだよ!?

 あと安ワインコレも!!

 どう見たって最低級の食事だろ!?」


「それは栄えある軍団兵レギオナリウスのための食事ですよ?

 レーマ軍では将軍トリブヌスにも兵士レギオナリウスにも皆、等しく供される配給食です。」


 レーマ軍が将兵に対して提供すべきとされる基本的な配給食という意味ではグルグリウスの言っていることは間違っていない。「貴族に供するに値する食事」という条件は名目上は満たしていることになる。だが、レーマ軍で全員が必ずそれを食べているかというとそうでもなかった。

 レーマ軍では百人隊長ケントゥリオ以上の将兵で裕福な者はお抱えの使用人を従軍させて自分用の食事を用意させるのは珍しくなかったし、軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムともなれば貴族ノビリタスの出身なのだからそうするのが当たり前だった。そうではない一般の軍団兵だって配給食とは別に一品か二品、御用商人や城下町カバナエの商店から総菜を買い求めて食卓を豊かにするのが普通だったし、中には受け取った配給食を売り払い、その金に私費を足してもっとマシな食事を求める者もいたほどなのである。配給食を書類上受け取ったことにして、もっとマシな食事を割引で提供してもらうサービスすら存在した。軍の補給を「兵站隊長」という肩書を与えられた御用商人が担っているからこそ成立するサービスだろう。

 しかし、箱入りで育ち、英雄譚などの物語でしかムセイオンの外のことを知らないペイトウィンにはそのような事情は分からない。レーマの将軍といえば貴族……その貴族に供される食事だと言われればそれを否定する材料など持たなかった。 


「それにしたって!

 それにしたってもっとマシなモンを用意できたはずだろ!?

 何でコレなんだよ!?」


「いやぁ~、吾輩はお金を持っておりませんでしたから……

 誰かさんが金貨と偽って黄銅貨なんか支払うから素寒貧すかんぴんなのですよ。」


 思わぬ反撃を食らいペイトウィンの顔が赤くなる。


「あ、あれはワザとじゃない!

 だいたい、あの黄銅貨だってセステルティウス貨だろ!?

 あれだけで数人が腹いっぱい食えるくらい、これよりマシな食べ物変えるはずだぞ!

 俺だって昨日はシュバルツゼーブルグで食事したんだ。

 一セステルティウスでこれよりマシな物が腹いっぱい食えたぞ!?」


 そう、昨夕ペイトウィンはシュバルツゼーブルグでエイーとデファーグ・エッジロードの三人で酒場に入って食事をしたのだ。生意気な女中に不愉快な思いをさせられたが、それでも今ペイトウィンが食べているよりずっとマシな食べ物を三人が腹いっぱいになるまで食べることが出来た。その時ペイトウィンが払った三人分の食費はセステルティウス貨一枚分だった筈……。それを思えば、納得できる内容ではなかった。が、グルグリウスは相変わらず呆れたように首を振る。


「その食料はグナエウス砦ブルグス・グナエイで買い求めた物です。

 あそこはふもとの街から馬車であらゆる荷物を運びあげねばならぬので、何もかもが麓の街より高いのですよ。

 それだけではありません。

 この頭陀袋ずだぶくろも、その皿もナイフも革袋も、一緒に買わねばならなかったのですよ?」


 山の上では物価が高いというのは事実だが、それ以外は嘘だった。雑嚢も食器も道具類は全て無料タダで融通してもらったものだ。精霊エレメンタルは通常、嘘をつかない。嘘をつく必要が無いから嘘をつこう他人を騙そうという発想自体が無い。が、肉体を持つ妖精は違う。特にインプは魔法生物の中では人間との交流が深いこともあって嘘をつくことの必要性を理解しているし、嘘をつくことに対する抵抗は人間と同じ程度にしか感じない。

 ペイトウィンはムセイオンの聖貴族の中でも魔法生物に対する造詣は浅い方ではないのだが、しかし彼の接点の多かった魔法生物がいずれも人間に使役する従順な魔法生物か敵対的な魔獣化のどちらかであったことと、彼自身の世間知らずゆえにグルグリウスの説明を素直に信じてしまった。


「ぐぬぬ……じゃ、じゃあお前のそのポテトパンケーキは何なんだよ!?

 それが買えたんなら俺のだってそっちを買えばよかっただろ!!」


 内心でペイトウィンを揶揄からかうことに楽しみを見出していたグルグリウスだったが、しつこく我儘わがままを言い続けるペイトウィンにそろそろうんざりし始めていた。


「これは買い求めた物ではありません。

 我が友ヨウィアヌス殿が吾輩のために用意してくださったものなのです。」


「我が友ヨウィアヌスだとぉ?

 お前に友達なんか居たのか!?」


 グルグリウスは昨夜召喚されたばかりの妖精だ。そのグルグリウスを召喚した本人であるペイトウィンには、グルグリウスがそんなに簡単に友人を作れるとは思えず当然のようにいぶかしむ。


「居りますとも!」


 そこを疑われるのは心外だ……そう言わんばかりにグルグリウスはペイトウィンの方へ向き直り、声高に反論した。その勢いにペイトウィンは一瞬ひるみ、思わず半歩後ずさる。グルグリウスはその様子を見て声の調子を戻した。


「もちろん昨夜知り合ったばかりです。

 ですが、これから長く付き合わねばならぬ大切な相手……」


「何者だよ、そいつは?

 お前なんかが付き合わなきゃいけない相手なんか想像つかないぞ?!」


 グルグリウスはフッと小さく、そしてペイトウィンを憐れむように笑った。そしてグルグリウスが語った答えに、ペイトウィンは愕然とする。


「我が主、《地の精霊アース・エレメンタル》様と仕える主人を同じくする御方です。

 今は、ルクレティア・スパルタカシア様の警護をなさっておいでですがね。」

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