第1182話 ペイトウィンの新たな依頼

統一歴九十九年五月十日、晩 ‐ グナエウス峠山中/アルビオンニウム



「なんだと!?」


「おっと!」


 ペイトウィンの顔色が変わったことでグルグリウスは自分が口を滑らせてしまったことに気づいた。


「そのヨウィアヌスって奴は、人間なのか?」


 手に残っていた食べかけのライベクーヘンを二口三口と立て続けにかぶり付き、口にすべて押し込み、グルグリウスはペイトウィンの追及を躱そうと無駄な努力を試みる。


「おい!」


 あからさまに無視しようとするグルグリウスにペイトウィンは声を荒げるが、グルグリウスは気にする様子もなくチラリと目だけをペイトウィンに向けただけただけで口をモグモグと動かし続けた。

 相手が普通のNPC一般人なら激昂し、掴みかかるか魔法でもぶちかますペイトウィンだが、今回の相手はNPCなどではない。そうした脅しも実力行使も意味は無く、むしろこちらに不利になるだけだ。しばしグルグリウスを歯噛みするように睨み続けたペイトウィンだったが、すぐにやり方を変えることを思いついた。ペイトウィンだって今まで自分より格下の人間だけを相手していたわけではない。自分と同じハーフエルフの仲間たちや格上の大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフなどとの交流だってあるのだ。ドッカと元の場所に腰を下ろして胡坐あぐらをかくと、木皿を足の上に置いて黒パンを再びスライスしはじめる。


「ふーん……まぁいいさ。

 そのお前の友達のヨウィアヌスって奴、人間なんだろ?

 精霊エレメンタルが人間の食事なんか用意するわけないもんな。

 レーマ軍の食事を持ってきたってことは、そいつもレーマ軍の中にいるってことだ。」


 グルグリウスはペイトウィンの方を見たまま二つ目のライベクーヘンを取り出し、クランベリーソースを塗り始める。ペイトウィンもグルグリウスを無視して続けた。


「そうだな、ルクレティアスパルタカシアの警護をしてるって、お前さっき言ってたもんな。

 だいたい精霊エレメンタルなら『警護してる』なんて言わないもんな?

 加護を与えているとか、そんな言い方になるんじゃないか?

 そうか、ルクレティアスパルタカシアの警護をしている兵士と友達になったのか。

 おお! そういやファドの奴が言ってたぞ。」


 ペイトウィンが少し大きな声を出すと、ソースを塗り終わったライベクーヘンを口に入れようとしていたグルグリウスは思わずピタリと動きを止めた。ペイトウィンは特別な儲け話を勧める悪徳商人のようにグルグリウスの方へ身を乗り出し、声を低くして続ける。


「アルビオンニウムで神殿テンプルムを襲撃した時、ルクレティアスパルタカシアのことを手強い三人のホブゴブリンが守ってたってな。

 三人ともおそろいの凄ぇ装備で身を固めてたって……そうそう、レーマ軍のガレアのつもりで切りつけたら見事に弾かれたってさ。」


 口を開け、今まさにクランベリーソースを塗ったライベクーヘンにかぶり付こうとする直前で動きを止めていたグルグリウスは、そこまで話を聞くと再び何もなかったかのように動き始める。ライベクーヘンに無言のままかぶり付くと、視線はペイトウィンに固定したままモグモグと口を動かす。

 ペイトウィンは上体を起こし、スライスした黒パンを置いて今度はハムとチーズをスライスし始めながら声の調子をいつもの何かを自慢するような調子に戻した。


「お前はファドを知らないだろうが、ファドはなかなかの使い手だ。

 地の精霊アース・エレメンタル》を出し抜いてルクレティアスパルタカシアに肉薄し、おまけに《地の精霊アース・エレメンタル》の目の前から自力で脱出してきたんだからな。」


 《地の精霊》を引き合いに出されたのが気になったのかグルグリウスの口がピタリと止まる。ペイトウィンはそれを見逃さなかった。いつの間にか浮かべていたニヤケを強め、スライスし終えたハムとチーズを黒パンに乗せ、サンドイッチを作りつつ話を続ける。


「戦闘力だって馬鹿にならないぞ?

 ファドの腕なら青銅の兜アエーレア・ガレアなんて被ってる奴の頭蓋ごと真っ二つさ。」


 グルグリウスは再び顎を動かし始めた。ペイトウィンは出来たサンドイッチを両手で掴み上げ、目の前で色々な角度から出来栄えを確認する。


「何で出来てたかわかんねぇけど、ファドの鋼の舶刀カットラスを弾いたってことは普通のガレアじゃない。

 多分聖遺物アイテムか、それに準ずる何かだ。」


 満足そうにそう言うとペイトウィンは自分で作ったサンドイッチにかぶり付いた。堅くて脆い黒パンで作っただけあって、噛んだ瞬間に黒パンがボロボロと崩れ落ち、噛み切れなかったハムがパンの間からズルリと抜けてペイトウィンの口から顎にかけてベロりと垂れる。

 零れ落ちるパンのかけらを片手の平で皿を作って顎の下で受けつつ、垂れたハムを悪戦苦闘しながら口の中へ手繰るように飲み込んでいく。ハムを口の中に納めたペイトウィンは口をモグモグと動かしながら手の平に残っていたパンくずを地面に捨て、胸元に落ちたパンくずをパパッと払い落とす。顔をしかめたのはハムとチーズの塩気が思っていたより強かったからだ。薄くスライスしたことで黒パンに唾液を奪われるのはマシになったが、今度は塩気で急速に喉の渇きを覚え始めたペイトウィンはしばし顔を顰めたまま咀嚼を続けた後、思い切って革袋を手に取った。不味い安ワインロラでもないよりはマシと考えたのだろう、実に嫌そうな顔で革袋に口をつけ、顔を上にむけて革袋の安ワインを口へ流し込んでいき、やがてゴクリとサンドイッチごと喉へ流し込む。


「プハァ!

 どのみち、そんなの普通NPC兵士レギオナリウスが持ってるわけないもんな。

 特別な聖遺物アイテムを装備したホブゴブリンの兵士レギオナリウスと、強大無比な《地の精霊アース・エレメンタル》……両方を従えているか……」


 ペイトウィンは革袋を地面に戻し、サンドイッチの残りを両手で持ち直して残りを口に入れる姿勢を整えながらグルグリウスを見た。グルグリウスは既に二つ目のライベクーヘンを食べ終わり、三つ目にクランベリーソースをゆっくり塗っているところだった。


「そんな聖貴族コンセクラトゥスの話なんて聞いたことない。

 ペイトウィンオレが聞いたことないってことはレーマ帝国や啓展宗教諸国連合の貴族じゃないってことさ。

 てことはまだ知られていない南蛮の王族か、あるいは……」


「あいにくと!」


 最後のライベクーヘンに残りのクランベリーソースの全てを余すことなく塗り終えたグルグリウスはようやく口を開き、ペイトウィンを遮った。


吾輩わがはいもその御方のことは存じ上げません。」


 ライベクーヘンをジッと見つめたままそう言ったグルグリウスを見ていたペイトウィンは、無言のままサンドイッチを頬張った。その視線だけはグルグリウスを捕えたまま、モグモグと食べにくいサンドイッチを咀嚼する。今度はかぶり付く前から前のめりになっていたので、ボロボロと落ちるパンくずのことは気にしていない。


「まだお会いしておりませんし、ご紹介もいただけておりませんので。」


 グルグリウスはそれ以上何も言わず、最後のライベクーヘンへかぶり付いた。その横顔を観察しながら、ペイトウィンはグルグリウスが嘘をついているわけではなさそうだと当たりを付ける。


 なんだ、ひょっとしてと期待したけどコイツも知らないのか……

 けど人間であることは間違いなさそうだな。

 亜神デミ・ゴッド精霊エレメンタルの類ならホブゴブリンに装備を与えて女を守らせるわけないし……

 てことはティフの奴の黒幕と交渉するって方針は結構いい線行ってたのか?


 ティフが言っていた黒幕、《地の精霊》の背後にいる存在についていくばくかのヒントを見出したペイトウィンは急に『勇者団』仲間たちとの連絡の必要性について思い出した。エイーがいるから自分が囚われたことは既にティフ達に知られているだろうが、グルグリウスがこうしてペイトウィンを捕まえて連行しようとしているということはティフと黒幕との交渉はおそらくまだ始まってさえいないはずだ。ならば多少なりとも情報は与えた方が今後のペイトウィン自身のためにもなるはず。

 ペイトウィンは再び革袋を口に含んだ。今度は先ほどほど顔を顰めていない。


「おい、グルグリウス。」


 最後のライベクーヘンを食べ終わっていたグルグリウスはライベクーヘンの脂と塩とスパイスの残る指を順に舐めながらペイトウィンの方を見た。


「お前が俺と一緒に運んでくれてる荷物だがな。

 全部が俺の物ってわけじゃないんだ。

 俺は魔法鞄マジック・バッグをいっぱい持ってたから、仲間の荷物も預かってる。」


「それが、どうかしましたか?」


 指を舐め終わったグルグリウスはライベクーヘンを入れていた籠を雑嚢ざつのうへ戻しつつ尋ねる。その落ち着いた声の調子は如何も興味無さげだ。


「俺はもう逃げない。約束する。

 お前の主人の《地の精霊アース・エレメンタル》とその主にも会ってみたいからな。」


「お会いになれるとは限りませんよ?」


 一瞬、ペイトウィンはムッとしながらもすぐに気を取り直して続ける。


「とにかくだ。

 俺が預かってる仲間の荷物だが、ルクレティアスパルタカシアのところへ行く前に仲間に返したい。」


 今度はグルグリウスが顔を顰める番だった。何を言ってるんだと言いたげな顔でペイトウィンを見返す。ペイトウィンは一瞬怯んだが、それでも続ける。


「ほら、俺のならいいけど、俺の物じゃない聖遺物アイテムを持って行ってもアッチが困るだろ?

 だからお前に仲間の荷物を仲間のところへ届けてほしいんだ。」


 グルグリウスはフーッと嫌そうに溜息を付きながらペイトウィンから顔を反らせた。ペイトウィンは持っていたサンドイッチを木皿に戻し、膝の間に抱えていたその木皿を脇へ退けると腰を浮かせた。


「もちろん報酬は払う!

 今度は本当に間違いなく金貨だ!

 なんなら宝石でもいいぞ!?」


 焚火越しではあるが縋り付こうとするペイトウィンを振り払うようにグルグリウスは立ち上がった。その態度にはペイトウィンにも分かるほどはっきりと拒絶の意思が現れている。


「今は貴方様をルクレティアスパルタカシア様のところへ届けるのが吾輩の仕事です。」


 グルグリウスに見下ろされ、ペイトウィンはグルグリウスを見上げながら後ずさった。


「貴方様の荷物を御仲間の所へ届けていいかどうか、貴方様をルクレティアスパルタカシア様に届けてから御相談しましょう。」

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