第433話 窮地からの脱出

統一歴九十九年五月五日、深夜 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



『光の珠』ライト・ボール


 ルクレティアが唱えると、彼女の構えた『聖なる光の杖』ワンド・オブ・ホーリー・ライトの先に光を発する球体が生じ、暗闇に閉ざされてた小食堂トリクリニウム・ミヌスを明るく照らした。

 それを見て『荊の桎梏』ソーン・バインドで拘束されたままファドは、咄嗟に右目を瞑りながら魔法攻撃を予感して身じろぎし、ファドを囲んでいたカルスたちは巻き添えを食わない様にファドから一歩下がって距離を開ける。しかし、それは要らぬ心配だった。

 『聖なる光の杖』の先にできた『光の珠』は単に明るさをもたらすだけの魔法の光源であり、それはポトリと床に落ちるとコロコロと転がって部屋の真ん中で停止した。


「…ただの灯りです。」


 室内にいたルクレティア以外の全員が、それが爆発でもするんじゃないかと緊張しながらマジマジと見ているのに気づいてルクレティアが説明すると、ファドもカルスたちもホッと息をついて一瞬力を抜いた。ただ一人、耳が聞こえなくなっているヨウィアヌスだけが事情がわからず光球と周囲の者たちの顔を見回し状況を把握しようとしているようだった。


「お、お、くそっ、テメェっ!!」


 光球がどうやら攻撃魔法ではないらしいこと、そしてファドが身動きが出来なくなってしまったことだけを理解したヨウィアヌスはグラディウスを握りしめ、傾いたガレアを直して円盾パルマを構えなおすと、足元を埋め尽くす瓦礫を乗り越え、あるいは蹴り飛ばして前に出始めた。

 それを見てヨウィアヌスが何をしようとしているか気づいたファドは無言のまま顔をしかめる。ルクレティアはヨウィアヌスは単にカルスと並んでファドを抑えようとしているだけだと思っていたが、ファドの様子からそうではないことに気付きヨウィアヌスを制止した。


「ヨ、ヨウィアヌスさん、待ってください!

 ヨウィアヌスさん!?」


 しかしヨウィアヌスはそもそも耳が聞こえておらず、止まる気配を見せない。


「ヨウィアヌス!おい、ヨウィアヌス!!

 カルス!ヨウィアヌスを止めろ!!」


 ルクレティアに呼ばれても反応しないヨウィアヌスの様子に、リウィウスが指示を出してカルスにヨウィアヌスを止めさせた。


「あ、何だカルス、どけ!」

「ダメだよ、ヨウィアヌス!駄目だ!」

「あっ!?何言ってっか聞こえねぇよ!!」

「ダメだって言ってんだ!奥方様ドミナがお話なさるんだよ!」


 カルスとヨウィアヌスは揉み合いを始めてしまった。お互いロリカを身に着けていて互いを傷つけぬよう気を使いながらとは言え、抜き身の剣を握ったまま揉み合いをしている様はかなり物騒である。


「どうなってるの?

 ヨウィアヌスさん落ち着いて!」


「奥方様、どうやら奴ぁ耳がイカレちまったみてぇだ。

 カルス!ポーションあるだろ!?構わねぇ使っちまえ!」


「あ?ああ、わかったよとっつぁん…

 ヨウィアヌス、いいからちょっと待ってくれよ?」

「あ!?何だよカルス、いいから退けってば!」


 カルスがヨウィアヌスを抑えながら自分の剣を鞘に納め始めると、ルクレティアが口を挟んだ。


「いいわ、カルスさん。緊急事態じゃないなら魔法を試します。

 ヒール!」


 『聖なる光の杖』をかざしてルクレティアが唱えると、ワンド全体が光り輝き、次にヨウィアヌスの身体が同じ色の柔らかい色の光に包まれた。


「!?」


 ファドが開けたままにしていた左目を大きく見開き息を飲む前で、ヨウィアヌスの身体にできていたいくつかの傷が目に見えて癒えていく。


「あっ!?おっ!?あ、あれ!?」


 ルクレティアが魔法をかけている間もカルスとヨウィアヌスは揉み合い言い合いを続けていたのだが、治癒魔法で痛めていた鼓膜が治ったため、ヨウィアヌスの聴覚が唐突に復活した。


「だから、待てって!ヨウィアヌスさんよぉ!?」

「おっ!?お、おう!?」


 さっきまで聞こえなかった声が突然聞こえるようになり、ヨウィアヌスは急に大人しくなった。ファドに対する警戒態勢を保ったままそれを見ていたリウィウスは舌打ちともため息ともとれる何かをし、ヨウィアヌスに向かって声をかける。


「耳ぃ治ったか、ヨウィアヌス!?」

「お、おう…」

「奥方様が魔法で治してくだすったんだ。

 後でちゃんとお礼言っとけ!」

「あ、ありがとう、ございやす奥方様」


 ヨウィアヌスがペコリと頭を下げると、室内にいた者たちはようやく一息ついた。


「いえ、良いのです。

 さて、ファドさん。すみませんが、武器を取り上げさせてもらいます。

 リウィウスさん、お願いします。」


かしこまりやした。

 カルス…そいつから武器を取り上げろ。

 ヨウィアヌスはそいつが妙な真似しねぇようによぉーく見とけ!」


 ルクレティアに命じられたリウィウスだったが、油断ならない相手を目の前にしてルクレティアの前を離れるわけにもいかず、カルスとヨウィアヌスに指示を出す。


「分かった。」

「お、おう!」


 カルスはそう言うと円盾を一旦置いてファドに近づき、身動きの取れなくなったファドから武器を取り上げ始めた。意外にも大人しく武器を取り上げられるままになっていたファドが唐突にルクレティアに向かって質問を投げかける。


「スパルタカシウス家息女ルクレティア・スパルタカシア様…これほどの魔法の使い手とは存じ上げませんでした。」


「・・・・・・・・」


 ルクレティアはあえて答えない。が、ファドは答えなど期待していなかったかのように続ける。


「先ほどの治癒魔法…聖属性の治癒魔法とお見受けします。」


「・・・・・・・・・」


「アレはムセイオンにおわす一部の古老の聖貴族様を除いては既に使い手の絶えた魔法の筈…その使い手がいたとなればムセイオンに報告がなされるはずですが、失礼ながらスパルタカシア様の事が優れた魔法の使い手として報告されたとは寡聞かぶんにして存じ上げませんな。」


「き、気のせいではありませんか?」


 ルクレティアは韜晦とうかいを試みたが、流石に無理がある。ファドはフッと笑った。


「私もムセイオンで聖貴族様に仕える身、魔法についてはいささかの見聞けんぶんがございますれば、先ほどの治癒魔法と同じものを大聖母ロリコンベイト様がお使いになるのを拝見させていただいたことがあります。間違いはございません。

 ましてやその《地の精霊アース・エレメンタル》様、私の目にも見えるほどの強力な精霊エレメンタル様の御加護を得られるとは…いにしえのゲーマーに匹敵するそのお力、感嘆のほかございません。」


 ルクレティアは内心嬉しくもあったが、同時に冷や汗もかいている。


「何だこれ、投擲爆弾グラナータか?」


 カルスがファドの腰のポーチから取り出した真鍮の容器を、『光球』の光に晒して見て言った。爆弾と見当をつけたのは、彼らが使っていた投擲爆弾と同じように真鍮のピンが突き刺さっていたからだ。


「あ、何かそれ見覚えがあるぜ、取り上げとけ!」


 リウィウスはそれがシュバルツゼーブルグの倉庫ホレア裏の事件現場で見つけた破片に似ているのに気づき、指示を出すと、カルスは「わかったよ、とっつぁん」と返事してポーチから同じような真鍮の道具をもう一つ取り出す。


「武器は全部取り上げました、奥方様」


 カルスはそう報告すると、取り上げた武器の山を部屋の隅に持って行き、改めて


「ありがとうございます、カルスさん。

 《地の精霊》様、外の御様子はどうなっておりましょうか?」


『盗賊どもか?あれらは皆死ぬか捕まるか逃げるかしておる。

 もうこの丘の近くにはおらん。

 ハーフエルフどもの一団ももう逃げておる。

 ゴーレムどもに任せておるが、ゴーレムは頭が悪いからのぉ…

 一人は捕まえられそうじゃが、他は逃げられてしもうた。』


 《地の精霊》は『勇者団ブレーブス』を魔力と体力を使い果たさせて抵抗でき無くしてから一網打尽にするつもりだったが、暗闇での白兵戦でヨウィアヌスが殺されそうになったのを目の当たりにしたルクレティアが思わず『地の指輪』リング・オブ・アースを通じて助けを求めたため、『勇者団』の相手を放り出して戻って来てしまっていた。

 おかげでそれまでは統制の取れていたゴーレムの動きがバラバラになってしまい、『勇者団』が逃げ出す隙を与えてしまった。逃げ遅れた一人をマッド・ゴーレムによって取り押さえてあったが、既に大半が崖を折りていた。今からでも戦場に戻れば、ゴーレムを追加するなどして崖を降りている最中の無防備な『勇者団』を強襲し捕まえることが出来るだろう。

 だが、ルクレティアはリウィウスたち三人相手に大立ち回りを演じ、しかもこの状況でも不敵な態度を崩さないファドに対する不安を払拭できないでいた。このため、『勇者団』捕縛よりも《地の精霊》にここにいてくれる方を優先してしまった。


「い、いえ…ひとまず一人捕まえられたのでしたら…

 今は、こちらにいてください。」


「「「「「?????」」」」」


 《地の精霊》は例によってルクレティアに対してのみ念話で話しかけるため、他には聞こえていない。


「ア、《地の精霊》様はおっしゃいました。

 盗賊たちは既に逃げ散って、この周りには残っていません。

 御仲間の、『勇者団』の皆様も御逃げになられたそうです。」


 ルクレティアが神託を告げる巫女のように凛として胸を張ってそう言うと、リウィウスたちは「ざまあみろ」とでも言いたそうに顔に笑みを浮かべファドを見た。だが、不敵な笑みを浮かべたのはファドも同じだった。


「あの方々を御退けになられるとは…ますます大した御力だ。」


「ケッ、負け惜しみか!?」

「大人しく観念しやがれ!」


 ファドにヨウィアヌスたちが罵声を浴びせるが、ファドはどこ吹く風と言った風に受け流す。


「もう観念している。武器も取り上げられてしまったし、ヴァナディーズ暗殺もひとまず諦めねばなるまい。」


「けったくそ悪ぃ野郎だ。」

「余裕ぶりやがって!」


「余裕が無いのはお互い様だろう。

 忘れたのか?

 このままここに居ては焼け死んでしまうぞ。」


「「「あっ」」」


 火事のことを思い出したヨウィアヌスたちは勢いを殺されてしまった。思わず言葉を飲んでしまったヨウィアヌスたちの様子にファドは笑い、ルクレティアの方を見て続けた。


「フッ、ではスパルタカシア様。今宵、ヴァナディーズ暗殺は諦めましょう。

 では確かに、御言伝おことづてはお伝えいたします。」


「「「何ぃ!?」」」


 信じられない一言を耳にし、呆気にとられる一同を尻目にファドは相棒を大声で相棒を呼んだ。


「ジェットォォッ!!」


 あまりの大音声に全員がビクッとした直後、近くの茶箪笥の影から例の黒い犬が飛び出し、ファドに噛みついたと思いきや、不敵な笑みを浮かべたままのファドをそのまま一瞬で丸飲みにすると、開いていた窓から外へ飛び出して行ってしまった。


「「「「あっ・・・」」」」

「野郎!」


 窓に一番近くにいたヨウィアヌスが慌てて後を追うが、彼が窓の外に飛び出した時には既に黒い犬の姿はどこにも見えなくなってしまっていた。

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