第627話 イェルナクの命乞い

統一歴九十九年五月七日、午後 - サウマンディウム要塞カストルム・サウマンディウム/サウマンディウム



 フロンティヌス・ウァレリウス・メッラはサウマンディア伯爵家とは割と近い親戚にあたる軍人であり、その縁故ゆえにサウマンディウム防衛の最重要拠点であるサウマンディウム要塞カストルム・サウマンディウム司令官プラエフェクトゥスを拝命している。貴族の縁故人事で要塞司令プラエフェクトゥス・カストリなんて拝命してはいるが、軍人としての実績がないわけでは決してなく、今の役職を得る以前はサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスを務めていた。今のカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子の前任者である。

 貴族社会では縁故人事やコネが当たり前にまかり通っている。そもそもレーマ軍では軍団レギオー軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムには貴族ノビリタスしか就任できない。ましてや帝国の各属州や貴族の領地で防衛を担う辺境軍リミタネイはその地の領主が編成するのだから、領主の血縁者や同族で主要ポストを固めるのは当たり前のことだった。軍団長レガトゥス・レギオニスや筆頭幕僚などというポストは領主の家族のためのポストだと言って良い。

 フロンティヌスもサウマンディア伯爵家と同じウァレリウス氏族であり、伯爵家の分家筋に当たることから筆頭幕僚などという軍団におけるナンバー2のポストをあてがわれていた。が、伯爵にとってより身近な存在であるカエソーが入隊してきたとなればそのポストをカエソーに譲るのは当然の成り行きだったと言えるだろう。そのことに対し、フロンティヌスに思うところなど何もない。だいたいフロンティヌスはその時、入隊から二十五年目だった。つまり、定年退職の年だったのである。

 レーマ軍では一般に入隊から二十五年で満期除隊となる。ほとんどの軍団兵レギオナリウスは成人になった十六歳で入隊するから、満期除隊の時にはだいたい四十一か二歳になっている。フロンティヌスもそういう年齢だったのだ。


 四十代半ばとなったフロンティヌスの頭髪は早くもだいぶ白くなっており、同時に額が大きく後退している。頭頂部が無毛の頂と化すのが早いか、それとも髪の毛全部が白くなるのが早いか‥‥‥要塞守備兵たちの密かな賭けの対象となっている彼の頭には今、すっかり寒くなった晩秋にも拘らずジットリと汗が浮かんでいる。


「何故です!?

 やめてください!!処刑を直ちに中断してください!

 彼らは捕虜で、重要な参考人なんです!!」


 汗の原因……それはフロンティヌスの前でわめき散らすハン族の男であった。


「イェルナク殿、何度も言うが彼らはではない。ただの犯罪者だ。

 それも、不遜にも帝国に弓引いた反逆者だ。

 反逆者は処刑する。それがレーマの法だ。」


 フロンティヌスはかれこれ半時間近く同じ説明を繰り返いしてる。なのにこの目の前の奇妙な格好をした蛮族のホブゴブリンはちっとも納得しようとしない。フロンティヌスの苛立ちは頂点に達しようとしていた。が、対するイェルナクも必死だった。


 プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵の邸宅である 『青山邸』ヴィラ・カエルレウス・モンテスで門前払いを食らってしまったイェルナクはそのままサウマンディウム要塞へと向かった。昨日、要塞に収容した捕虜たちの様子を見ようとしたのだ。が、要塞へたどり着いたイェルナクが目にしたのは、ちょうど荷馬車に載せられてどこかへ運び出されようとしている捕虜たちの姿だった。


「何だ!?

 何をしている、どこへ連れて行く!?

 彼らは私の捕虜だ!私は何も聞いてないぞ!?」


 イェルナクが座與セッラに乗ったまま喚き始めると、すぐさま「訊いてまいります」と言ってゴブリン兵が駆けだして行き、そして息を切らせて戻って来るなりイェルナクに報告する。


「捕虜たちは処刑の為、処刑場に運び出されるようです。」


「処刑だと!?」


 ゴブリン兵の耳を疑うような報告に仰天したイェルナクは要塞司令部プリンキピアに駆け込み、フロンティアヌスに理由を問いただすとともに処刑の中止を要請したのだった。

 彼らはメルクリウス団の存在を証明する重要な生き証人である。メルクリウス団の存在を証明できれば、ハン支援軍アウクシリア・ハンのアルトリウシアでの蜂起が叛乱ではなく、メルクリウス団の陰謀によるものだったと説明できる。ハン族滅亡を回避することができるのだ。彼らはハン族存続の扉を開く鍵そのもの……決して失うわけにはいかない。彼らには生きて、そしてメルクリウス団がアルビオンニウムに居ることを証言してもらわなければならないのだ。その彼らを処刑するなど、断じて認めるわけにはいかない。


「違います!

 彼らは反逆者ではありません!」


「反逆者だ!

 レーマ帝国の正規軍である我がサウマンディア軍団に攻撃を仕掛け、あまつさえ六人もの軍団兵レギオナリウスを戦死させたそうではないか?

 貴官の報告書にも、カストゥスマルクス殿の報告書でもそうなっておったぞ?」


「そうではありません。

 確かに彼らは一昨日……いや昨日、アルビオンニウムでに攻撃を仕掛けてきました。でも反逆ではないのです。彼らは操られていたのです!」


 相も変わらず同じことを繰り返すイェルナクにフロンティヌスはうんざりしつつも、その長いキャリアに見合った忍耐強さで表面上は冷静を装い続ける。


「操られていようが我が軍を攻撃したことには変わりない。」


「南蛮の兵士だって我が軍を攻撃しますが、捕虜にしても殺さないではありませんか!」


「それは南蛮の兵も軍人だからだ。

 そして軍人同士が戦うのは当たり前のことだ。

 だがアイツ等は違う。軍人ではなくただの盗賊だ。

 ゆえに、捕虜ではなく犯罪者として扱う。

 さっきも言ったが、これはレーマの法に基づく正当な判断だ。」


 頑迷なフロンティヌスに対し、イェルナクは必死に追いすがる。


「そうだとしても!」


「『そうだとしても』ではない!『そう』だ!『そう』なのだ!」


「はい!そうです。彼らは犯罪者!

 でも、彼らの起こした事件は終ってません!

 まだ彼らの仲間や首謀者が捕まってないではありませんか!?

 彼らは容疑者です。参考人です!

 捜査が終わるまで、生かしておくべきではありませんか?!」


 フロンティヌスはイェルナクを見下ろしたまま腕組みするとハァーっと溜息をついた。


「既に証言は取り終えておるだろう?

 私も一部だが見たぞ。

 ご立派な証言記録がまとまっておったではないか。

 貴公とて知っておろう。

 羊皮紙に記した証言はくつがえせないのだぞ!?

 ならば、もう奴らに証人としての価値はない!

 我々には何十人も無駄飯を食わせる余裕などないのだ。」


 羊皮紙に記し、かつサインした文書は神聖な物と見做みなされ、基本的に覆すことはできない。イェルナクは捕虜たちの証言に重要性を持たせ、プブリウスらレーマ貴族を説得しやすくするため、あえて羊皮紙に記していた。が、ここへ来てそれが裏目に出てしまった。覆りようのない証言が出てしまった以上、証言者を拘束して生かしておく意味はない。ましてやそれが死刑にするしかない反逆者であるならば、それは自ら死刑執行の同意書にサインしてしまったようなものだった。

 早まったか‥‥と内心で後悔しつつ、それでもイェルナクは諦めない。


「ま、待ってください!

 まだ首謀者が捕まってないではありませんか!?

 首謀者が捕まったとしても、そいつが確かに首謀者だと確認するためには、彼らの新たな証言が必要になるはずです!」


「彼らが生きていたとしても確認など出来まい。

 貴公の報告書にも首謀者の正体は分からないと、いつも覆面で顔を隠していて直接見たことは無いとか、そういう証言ばかりだったではないか!?」


「顔を見たことなくても雰囲気とか、体格とか、声とか、そういうので分かることもあるではありませんか!?」


 フロンティヌスはもううんざりしていた。一応、表情だけは平静を保っていたが、その様子は目つきと声色に滲み出ている。イェルナクは両手を自らの顔の前に握り合わせ、フロンティアヌスに向かってひざまずいた。


「ともかく、早まらないでください!

 後生ですから、彼らの処刑を待ってください!!」


「そうは言っても既に伯爵閣下から命令が出ておる。

 それに、さっきも言ったが何十人も無駄に養うような余裕など無い!」


「そうおっしゃらずに!

 伯爵には、私から明日お願いしてみます。

 彼らは私にとって、我がハン支援軍にとって大事な捕虜なのです。

 彼らの食料が無いのなら、我々で調達します。金も出します。

 どうか、どうかそれで、あと一日、あと一日お待ちください。

 どうかお願いいたします。」


 イェルナクはそう言って、涙を流しながらフロンティアヌスに縋りついた。フロンティアヌスは心底気持ち悪いモノを見るような目でイェルナクを見下ろし、そしてフゥーッと盛大に溜息をついた。

 これにより、イェルナクが捕虜として連れ帰った盗賊たちはひとまずあと一日だけ、生き永らえることになった。

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