第628話 プブリウスの腹積もり

統一歴九十九年五月七日、午後 - サウマンディウム港/サウマンディウム



 石畳の道をガタゴトと揺れながら進む馬車の中で、プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵は驚いたように向かいに座るティベリウス・マエキリウス・ノウァートゥスの顔を見た。

 アルビオンニアを支援するため‥‥‥そんなものは金貨の両替がアントニウス・レムシウス・エブルヌスにバレてしまった場合に備えて用意したただの建前に過ぎない。それなのにせっかく稼いだ金を既に借金まみれで破産寸前のアルビオンニア侯爵家にホントに貸さねばならなくなるとは考えてもいなかったのだ。いや、もちろんプブリウスとしてもアルビオンニア侯爵家を潰すつもりはないし、必要な支援は今後も続けるつもりだ。ホントに破産されてはサウマンディアだってただでは済まないからだ。が、アルビオンニアに金を貸したら簡単には還ってこなくなってしまう。

 ティベリウスは「何を今更」と顔をしかめたくなるのを辛うじて我慢して続けた。


「そうです。アルビオンニアを支援するためにやむなく金貨を銀貨に換えた……そう言っておきながら実際には一セステルティウスも貸しませんでしたでは、言い訳が立ちません。」


「相手はもう既に借金まみれで破産寸前だぞ!?

 これ以上貸したところで利子だって取れるものか!」


 悪い冗談はよしてくれと言わんばかりにプブリウスは仰け反り、両手をかざして首を振りながら言った。

 現状でもサウマンディアはアルビオンニアに対して相当な支援をしている。アルビオンニア侯爵家やアルトリウシア子爵家ほど深刻なレベルではないが、金貨を両替した分が入ってくるまでは、サウマンディア伯爵家の金庫の中には年内に既に支出が決まっている分しか残っていなかったのだ。つまり、余裕がほとんどない状態なのである。これでもしも属州内で何らかの広域災害でも起きた日にはまともな対応が取れなくなる可能性が出てくるレベルだったのだ。金貨を両替することでやっとできた余裕分を再び吐き出さねばならないなど、プブリウスとしては承服しがたかった。


「しかし、出さない事には後々困ったことになりましょう。

 全額でなくてもいいのです。

 あちらにしたところでいきなり大量の貨幣を持ち込まれても、物価高騰に拍車をかけることになりましょうから、どのみち調整はせねばなりません。」


「ん、んん~~~~」


 プブリウスは背を背もたれに預けて仰け反り、腕組みして唸った。

 だが、プブリウスがどれだけ駄々をねようとこれだけは飲んでもらわなければならない。ティベリウスは属州領主ドミヌス・プロウィンキアエの財政を監視し、不正蓄財等によって帝国から離反・暴走していかないようにするためにレーマ本国から派遣された属州財務官クァエストル・プロウィンキアエである。本来ならば今回のような行為は未然に抑止するか、本国に報告せねばならないものであった。が、それがよりにもよって元老院議員セナートルと交わした約束をたがえて金貨を両替するのに加担してしまっているのだ。おまけにティベリウス自身も今回の件に便乗して利益を得てしまっている。もしこのまま放置して後で両替の事実が発覚すれば、アントニウスの考え如何によってティベリウスも罪に問われてしまう可能性があるのだ。


「この際、無利子の方がいいでしょう。

 どのみち、イェルナクに例の件を漏らしてしまったことの埋め合わせをせねばなりますまい?」


「それを言われるとのぅ……」


 痛いところを突かれて面白くなさそうに顔を顰め、プブリウスは車窓の外へ視線をずらした。馬車は間もなく船着場へと戻ろうとしている。まだ接岸はしていないが、湾内にはアルビオンニウムから帰ってきたカエソーが載っているはずの船の姿が既にあった。

 プブリウスはフンッと鼻を鳴らし、意を決したようにティベリウスの方に向き直って言った。


「いいだろう。

 アルビオンニアが破綻すれば我々だって無傷では済まんのだからな。アルビオンニア侯爵家にもアルトリウシア子爵家にも立ち直ってもらわねばならん。」


 プブリウスの決断にティベリウスはホッと胸をなでおろした。しかし、ただ言い負かされたままでは面白くないのか、プブリウスは続けて念を押す。


「だが、半分も出せんぞ!?

 これから例のハーフエルフを迎え入れねばならんのだ。それに……」


「それに?」


「もしかしたらハン支援軍アウクシリア・ハン討伐がいつ始まるかもわからんからな。

 その戦費はとっておかねばならんのだ。」


 再び車窓の外へ視線を戻してプブリウスは言った。彼の目には船を出迎えに来た人々が再び群れを成し始めていた。その中には少なからぬ軍団兵レギオナリウスの姿も見えている。

 ティベリウスもプブリウスの視線を追って車窓ごしに港の様子を伺う。


「エッケ島攻略ですか……やるのですか、本当に?」


「やるだろう……やらないという選択肢はない。

 本当なら、もうやってなければおかしいくらいだ。

 カルウィヌスバルビヌスにも、スエートーニウスにもそのことは既に言い含めてある。」


 バルビヌス・カルウィヌスもスプリウス・スエートーニウス・ヌミシウスもどちらもサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア大隊長ピルス・プリオルだ。バルビヌスの方は既にアルトリウシアで復興事業に携わっている第二大隊コホルス・セクンダを、スプリウスの方は今日派遣された第三大隊コホルス・テルティアを率いている。もしも、エッケ島攻略が実現するとなれば、彼らの大隊コホルスはそのままサウマンディアからの援軍として投入される予定になっている。


「では、イェルナクの要請の飲んで船大工を派遣しなくても良かったのでは?」


 ティベリウスがやや不満げに言うと、プブリウスはハッと短く笑った。


「あれは偵察だ。

 『バランベル』号なんか直してやる義理は無い。

 向こうが『船を直してくれ』とわざわざ呼んでくれたのだ。『船が修理できるかどうか様子を見てみる』と言えば、エッケ島に人を送り込めるだろう?」


「では、最初から船を直す気なんかなかったんですか?」


 ティベリウスは呆れたように背もたれに上体を投げ出し、両眉を持ち上げる。

 イェルナクはセーヘイムの船大工たちがサルベージまではやってくれたのに、その後修理不能だと言い張られてしまったので、プブリウスに修理してくれと泣きついて来ていた。それを受けてプブリウスは修理できるかどうかひとまず確認させると言い、今回の第三大隊コホルス・テルティア派遣にサウマンディウムの船大工を何人か同行させている。ティベリウスがエッケ島攻略は無さそうだと思ってしまった背景には、そのことも影響していた。

 プブリウスはそのティベリウスを笑い飛ばすように言った。


「当たり前だ!

 セーヘイムの船大工どもだってさじを投げたんだぞ?

 そりゃ『バランベル』号みたいな大型船の建造技術に関しちゃ、セーヘイムよりウチの方が上だろうよ。だが、だからといってセーヘイムの船大工が大型船の修理を全く出来ないってわけはないんだ。仮にセーヘイムじゃできないがウチなら出来るっていうんなら、最初からそう言ってるだろう。

 だいたい、あんな造船設備も無い島であんなバカでかい船の修理なんか、たとえレーマから『バランベル』号を造った船大工を連れて来たってできるもんか。」


 言われてみればもっともだ……ティベリウスは自分の間抜けさをひそかに恥じた。


 レーマは剣でお返しする‥‥‥それはレーマ帝国にとって絶対だ。敵には寛容かんようになれても、叛乱者にかける情け容赦などは無い。


 馬車は船着場に到着していた。彼らが出迎えに来た船は接岸作業に入っている。馬車の外ではプブリウスたちが乗り降りしやすいよう、フットマンたちが扉の外に踏み台を用意し始めていた。


「では、イェルナクは無駄な努力をしているのですな。」


 あの愚にも付かない陰謀論に一縷いちるの望みをかけて奔走している哀れなハン族を想い浮かべ、ティベリウスは小さくため息をついた。


「せめて、ここに居る間はもてなしてやるさ。

 どうせ滅亡する運命は変えられんのだ。せいぜい、いい夢をみさせてやろう。」


 今朝、アルトリウシアから届いた伝文には、イェルナクをなるべくサウマンディウムへ留め置いてくれという要請が書かれていた。確かにこのままイェルナクをエッケ島に返してしまえば、知られてはならない情報がエッケ島に届いてしまう。エッケ島攻略とハン支援軍アウクシリア・ハン討伐の方針はくつがえりようがないが、それでも不用意な情報を与えて混乱が生じるのは避けるべきだろう。プブリウスはイェルナクをこのままサウマンディウムで、エッケ島攻略寸前まで飼殺すつもりになっていた。

 サウマンディウムにいる間、イェルナクとその家族はエッケ島では望めないような御馳走を振舞われることになるだろう。降臨の事実をエッケ島のハン族たちに知らせないようにするためには、それくらいは安い出費だ。

 ティベリウスにはそれが、イェルナクとその家族にとってせめてもの情けになるのかどうか、少し疑問だった。

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