第839話 キルシュネライトの対応(2)

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ キルシュネライト伯爵邸/レーマ



「いや、何もないということは……」


 「出来ることは何もない」というオットマー・フォン・キルシュネライト伯爵の断言にエーベルハルト・キュッテルは眉をひそめた。


「いや、無い!

 『黄金宮』ゴールドナー・パラスト大聖母様グロースアイティヒ・ハイリヒ・ムターが来ておられたのだぞ!?

 それも誰にも知られることなく、遠きケントルムの地にあるムセイオンからだ。

 わかるか!?」


「「……」」


 頭痛でも堪えるかのように額に手を当てるオットマーの質問に、エーベルハルトもヴェルナーも答えにきゅうしてしまう。オットマーの言っている事実そのものは二人ももちろん理解している。先ほどエーベルハルトが報告したばかりのことだからだ。だが、その事実が意味するところについてオットマーは二人には無い認識があるらしい。

 だが様子を伺う二人を無視するかのように、オットマーは再び視線を逸らし、何もない壁際の床を睨みつけて爪を噛んだ。


「むぅぅ……おそらく大聖母様グロースアイティヒ・ハイリヒ・ムターは、魔法を使っておられる。」


「「魔法!?」」


 互いに目を見合わせるエーベルハルトとヴェルナーを余所に、一人納得したようにオットマーは爪を噛むのをやめ、拳を握りしめ視線をあげた。


「そうだ、転移魔法だ。

 詳しいことまでは分からんが、其方そなたらも芝居や英雄譚などで聞いたことはあるだろう?

 遠き土地へ一瞬で移動する魔法だ。」


 確かにそういう魔法は御芝居や物語の中では登場する。ただ、現在では強力な魔力を有するゲイマーの子や孫たちはムセイオンに集められており、転移魔法を実際に使って移動するというような話は一切聞かない。

 オットマーはフローリアが転移魔法を使ってレーマに来たという予想を確信のレベルにまで固め、ようやく二人に向き直った。


いにしえゲイマーシュピーラはそれによって世界中のどこへでも好きに行き来したという。

 大聖母グロースアイティヒ・ハイリヒ・ムターならば実際にゲイマーシュピーラの血を引いておられるし、またゲイマーシュピーラめとられた聖女でも在らせられる。大戦争の前はゲイマーシュピーラと共に冒険者として御活躍なされたそうではないか!?

 ならばそれを御使いになられぬわけがない。」


 そこまで言うとオットマーは息を大きく吸い、無念そうに視線を落とした。


「そのような魔法を使う相手に、遠きアルビオンニアで起きている事態への対応力で対抗することなど不可能だ。

 こちらが手紙を出しても、それが届く前に大聖母グロースアイティヒ・ハイリヒ・ムターはアルビオンニアへ行ってしまわれるだろう。」


「ですが父上、だからといって何もせぬわけには……」

「そうです。だいたい必ずしも対抗しなければならないわけでは……」


 力なく肩を落とすオットマーにヴェルナーとエーベルハルトの二人は相次いで声をかける。確かに速さの点では勝負にならない。もしも向こうが強硬手段に出ればこちらに対抗することなど一切できないだろう。こちらは現地の領主たちにムセイオンから使者が行くことを事前に警告することすらできないのだ。

 しかし、対抗できないからと言って相手にしなくていいことにはならない。皇帝はウァレリウス伯爵を介してとはいえオットマーを召喚しているのだし、参内すればフローリア・ロリコンベイト・ミルフに紹介して貰えてムセイオンとの協力関係を築けるかもしれない。協力関係を築けるのなら対抗する必要もなくなる。むしろ大きな強みになるだろう。だが、ここで召喚に応じなければ協力関係を結ぶ可能性の芽はついえかねない。対抗不能な相手に対抗する他なくなってしまうのだ。


「対抗手段のない相手と対等な交渉などできるわけがないではないか!」


 馬鹿なことを言うな……そう言わんばかりにオットマーは二人を遮った。


「確かに、参内すれば大聖母様グロースアイティヒ・ハイリヒ・ムターに紹介していただけるかもしれん。

 それでムセイオンと協調できるのであれば心強いことだ。」


「ならっ!……!?」


 ならば参内を……そう言おうとしたエーベルハルトを、オットマーは人差し指を突き付けて制する。


「ムセイオンと協調するには何らかの対抗手段が必要だ。

 でなければ、協調とは名ばかりの従属を強いられることになりかねん。

 よいか?我らはアルビオンニアの、そしてランツクネヒト族の利益を追求せねばならんのだ。」


 エーベルハルトは突き付けられた人差し指とオットマーの目を交互に見比べ、それから大きく吸いこんだまま止めていた息をスッと吐いた。


「では明日、参内せずに礼拝に出れば、その対抗手段が得られるのですか?」


 エーベルハルトからすればそれは嫌味のつもりだった。何のかんのと言い訳をしたところで、参内する必要性は無くならないのだし、むしろ礼拝を優先する合理的理由があるとはエーベルハルトには思えなかったからだ。

 しかしオットマーはフフンと余裕の笑みを見せる。


「もちろんだ。そのためにこそ、明日は礼拝へ行く。

 そして、総大司教猊下ザイナ・ハイリッヒカイト・デア・パトリアーヒに御相談申し上げるのだ。」


 オットマーはエーベルハルトに突きつけた人差し指を引っ込め、エーベルハルトとヴェルナーの両方の顔を見比べた。


「そして今こそ、ランツクネヒト族の結束を固めねばならん。

 我らの戦場はここ、レーマなのだ。

 そして民族の総意!それこそが我らの最大の武器になるのだからな。」

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