第1240話 謎の騎手

統一歴九十九年五月十一日、晩 ‐ ライムント街道第三中継基地スタティオ・テルティア・ライムンティイ宿駅マンシオー/アルビオンニウム



 歓迎会コンウィウィウムを中断したアッピウスたちは正餐用衣装ウェスティス・ケナトリアの上から軍用の外套サガムを羽織っただけの姿で宿駅マンシオー内にある車回しまで出て来ると、遠巻きに軍団兵レギオナリウスたちに囲まれ、松明たいまつ篝火かがりびの光に照らされた男を見た。

 馬に乗ったままのその男は黒っぽいボロに身を包んでいるが、どうやらそれは偽装のようだ。ボロから覗く両腕の袖、ズボンはそれぞれ黒を基調としてはいるがボロには見えず、両手の革の手袋、両足に履いた焦げ茶色のブーツは多少の傷みこそあるものの頑丈そうに見える。顔は目深まぶかに被ったフードに隠されて見えにくいが、その陰った顔の中にも見開かれた両目だけは闇に浮き上がるように光っていた。


サウマンディア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・サウマンディイアッピウス・ウァレリウス・サウマンディウス閣下であーる!!」


 それまで男の応対をしていたであろう士官が名乗り人ノーメンクラートルのように大声で告げた。すると馬はその声に驚き一瞬たじろぐものの、すぐに落ち着きを取り戻してブフフンと鼻を鳴らし、不愉快そうに前足を踏み鳴らした。その間も男はジッとアッピウスを見下ろしている。


アッピウスウァレリウス・サウマンディウス閣下を前に無礼であろう!

 下馬し、名を名乗れ!!」


 無反応な男に腹を立てた士官が叫ぶが、アッピウスはすぐに黙らせた。


「よい!」


「し、しかし閣下!?」


 抗議する士官を片手をあげて黙らせると、アッピウスは一歩前に出る。


「私がサウマンディア属州領主ドミヌス・プロウィンキアエ・サウマンディイプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵が実弟、サウマンディア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・サウマンディイアッピウス・ウァレリウス・サウマンディウスだ!

 私に会いたいというのは貴様か!?」


 士官の声も十分大きかったが、アッピウスの声はそれ以上に野太く大きく、夜の空にやけに響いた。驚いた馬は先ほどよりも大きく仰け反るが、馬上の男はそれを難なくいさめた。おそらく宿駅中に響いたであろう声に反応し、物陰から宴会に興じていた軍団兵たちが何だ何だと野次馬根性を見せはじめる。


いかにもイータ・サム!」


 この時、アッピウスの前で初めて男は声を発した。


 ラテン語……だがアルビオンニアなまりがあるな……


 顔をわずかにしかめるアッピウスに馬上の男は続ける。


「サウマンディアの部隊の責任者にお会いしたいと申したが、まさか軍団長閣下レガトゥス・レギオニス御本人がおいでとは驚きました」


百人隊長ケントゥリオが良ければ適当な部下に代わってやるぞ!?」


 相手を値踏みしながらアッピウスが言うと、男は笑うように声を躍らせながら答えた。


「まさか!

 閣下に使いできるのは願っても無い僥倖ぎょうこう

 是非、閣下でお願いします」


 アッピウスは口元を歪めて口角を釣り上げた。

 

 ふむ……「使い」レガトゥスと言ったそうだが、ただの伝令役タベラーリウスではないようだな。


 ただのメッセンジャーならとっくに下馬し、狼狽えながら口上でも告げていた事だろう。だがこうして兵に囲まれながらも尚も堂々とし、いつでも逃げ出せるように馬に乗ったまま。おまけに相手がアッピウスだと知って驚きはしても動じることは無く、余裕を保ったまま冗談を冗談として理解し受け流している。つまりこの男はただ伝言を伝えるだけの人間ではなく、この男自身がアッピウス相手に交渉をするつもりであるということだ。


「さて、『真に高貴な貴族』ヴェールム・ノビリス・アリストクラティアの使いだそうだがどうしたものかな?

 名乗りもせぬ貴様がホントに『真に高貴な貴族』ヴェールム・ノビリス・アリストクラティアの使いなのかどうか、私には判断しかねる」


 そう、この男はまだ自らの名さえ名乗っていない。それどころか、貴族ノビリタスの使者ならばその主人たる者の名こそ告げねば使いとしての役目は果たせない。この男は自分の名も主人の身分も隠そうとしている。そのような者が上級貴族たるアッピウスに相手しろと要求するのは無謀以外の何物でもあるまい。アッピウスは身分の不確かな者のことなど、いくらでも突っぱねられる立場にあるのだ。

 しかし、男はそれを分かってないのか、あるいは分かったうえで今後の交渉に自信を持っているのか、アッピウスの揺さぶりにさして慌てる様子もなく、むしろ待ってましたと言わんばかりに声を張った。


「私と私の主人の名をここで告げるのははばかられる。

 しかし、私の主人が『真に高貴な貴族』ヴェールム・ノビリス・アリストクラティアたる証拠をお望みならばお見せしましょう。

 ですが、この場にいるすべての者が、それを見て良い者たちだけなのかは私には判断しかねます」


 これにはアッピウスも顔をしかめざるを得なかった。


 芝居がかった物言いをしおって……


「どういうことだ!?」


「この場にいる軍団兵レギオナリウスは全て、閣下が探し求めておられる者の正体……その身分を知っても良い者たちなのですかな!?」


 見回すと当直の兵士のみならず、野次馬根性に駆られた兵士たちの姿がそこかしこから覗いていた。ムムッと唸ったアッピウスの怒号が宿駅中に鳴り響く。


「当直以外の軍団兵レギオナリウスは下がらせろ!!

 警察消防隊ウィギレスもだ!

 これより後、見聞きした物は口外無用である!!」


 アッピウスの怒号に兵士たちは雷にでも撃たれたように身体を震わせ、蜘蛛の子を散らすように一斉に姿を消していく。静寂が訪れるまで十秒もかからなかったのは流石の統率力であろう。

 馬上の男は感心半分、呆れ半分にハハッと小さく笑った。


「これで満足か!?」


「残った方々には、見られてもかまいませんな?」


「当然だ!!」


 男とアッピウスの短いやり取りを聞いて、この場を退去し損ねていたフルーギーは自信なさげに脇からアッピウスに尋ねた。


「か、閣下……小官も退去いたしましょうか?」


 フルーギーのことなどすっかり忘れていたために退去せず残っていたフルーギーの存在に内心驚いたアッピウスだったが、これからの捜索でフルーギーの警察消防隊の協力を得なければならないことを思い出したアッピウスは怒鳴りそうになるのを辛うじて堪える。


「よい!

 その代わりここで見聞きすることは口外無用だ」


「ハッ!」


 アッピウスがすぐわきに控えている部下らしき男と小声で話をするのを見ていた男はわずかばかり不快そうにしていたが、すぐに気を取り直して改めて確認する。


「では、よろしいでしょうな?」


「くどいぞ!

 勿体もったいぶるな!!」


 らされた苛立いらだちも露わにアッピウスが急かすと、暗くてアッピウスたちの目には見えなかったが男はニヤリと笑った。


 よーし相棒、いっちょ手筈通りに頼むぜ?


『任せろ、大きいヒト!』


 男はボロの内側から短い樹の棒を取り出し、自分の額の辺りに当てるとすぐに何もない地面をその棒で指示さししめした。すると棒で指示された先の地面がボコッと盛り上がり、盛り上がった土の塊がボコボコと徐々に大きくなって、やがて見上げる様な人間の形になって地面から立ち上がった。


「「「「お、おおおおぉぉぉぉ~~~!?」」」」


 アッピウスを始めレーマ軍の軍人たちが一斉にどよめく。すると立ち上がった泥人形は足をそろえて直立し、背筋を伸ばすと右腕をまっすぐ前方斜め上にむかって伸ばした。レーマ式敬礼である。

 自分たちで見せろと言った癖に呆気にとられてしまったレーマ軍に対し、男は愉快そうに尋ねた。


「マッド・ゴーレムを御覧に入れましたが、これで証拠として十分ですかな?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る