第1241話 アッピウスの看破

統一歴九十九年五月十一日、晩 ‐ ライムント街道第三中継基地スタティオ・テルティア・ライムンティイ宿駅マンシオー/アルビオンニウム



「さあ、くつろぐがいい」


 宿駅マンシオー内にある上級貴族用宿舎プリンキパーリスに男を招き入れたアッピウスは応接室タブリヌムに入るなりそう言った。この宿駅がブルグスだった頃、行軍途中に立ち寄った軍団レギオー軍団長レガトゥス・レギオニス軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムといった幹部が宿泊する陣営本部プリンキパーリスとして建造された建屋であり、上級貴族パトリキが宿泊するにふさわしいだけの格式と豪華さとを備えた立派な建物だ。その中で応接室として使われるこの部屋は、さすがに調度品類は簡素なものとなってはいるが、それでも部屋の造り自体はかなり立派なものであり、その部屋の中央に置かれた応接セットもかなり重厚な印象を受ける。

 着こんでいた外套サガムを脱いで従兵へ投げ渡しながらアッピウスは正餐用衣装ウェスティス・ケナトリア姿に戻ると応接セットの奥へ回り込み、肘掛け椅子カニストラ・カティドラに腰を下ろすやいなやドッカと脚を組んだ。その両脇をサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア百人隊長ケントゥリオ二人がアッピウスを守るように挟んで立ち、他の四人の百人隊長たちはアッピウスの対面に突っ立ったままの男を囲むように壁際に立つ。男が何かすればいつでも飛び掛かれる態勢だ。

 その間を従兵たちがコソコソと動き回り、ある者は燭台しょくだいのロウソクに火を灯し、またある者は飲み物やツマミになる食べ物を用意する。そして部屋が十分に明るくなると、従兵たちはそそくさと応接室から退いた。なお、フルーギーはこの場には居ない。男がサウマンディアの軍人とだけ話したいと言ったからだ。


「さあ、どうした。

 貴様が望んだとおり面会の場を用意してやったぞ?」


 未知の相手……それも魔法の使い手を前にアッピウスは随分と自信にあふれた態度だ。彼を守る六人の百人隊長たちは気が気でない様子で、その顔は全員が全員緊張で強張こわばっている。


「使いとはいえ、『真に高貴な貴族』ヴェールム・ノビリス・アリストクラティアの御威光の前に随分と余裕ですな、軍団長閣下レガトゥス・レギオニス?」


 男はどこかソワソワした様子で、それでも何とか口元に笑みを浮かべながら言った。アッピウスとの面談は男自身が望んだものだが、どうやら予想と違ったらしい。

 アッピウスは腹を揺すって笑ってみせた。


「ハッハッハ、持って回った様な言い方はせ。

 ここには既に事情を知っている者しかおらん。

 貴様の言う『真に高貴な貴族』ヴェールム・ノビリス・アリストクラティアとやらの正体、我々は既に知っておるのだ」


 フードに隠れた男の口元が歪む。それを見もせずに酒杯キュリクスを手に取ったアッピウスはワインで喉を潤した。


「ムセイオンから脱走した聖貴族コンセクラトゥスだろう?

 『勇者団』ブレーブスとか名乗っておる……既に全員の名を我々は知っておるぞ」


 酒杯を目の前の円卓メンサに戻し、アッピウスは再び上体を起こし、そのまま背もたれに背を預けた。脚を組み、腹の上で両手も組み、余裕たっぷりの様子で仰けぞってみせる。


「実はサウマンディウムにムセイオンからの手配の通知が届いたのだ。

 聖貴族コンセクラトゥスとその従者が十三人、脱走したとな。

 見つけたら身柄を確保し、報告せよとのことだ」


 そこまで言うとアッピウスはムフフと満足げに笑う。男は対照的に喉を鳴らし、唾を飲みこんだ。


「さあ、そろそろ貴様の名を名乗れ。

 あと、貴様を使いとして送り出した者の名もな。

 まさか、貴様の主人は我々が思っている聖貴族コンセクラトゥスではないなどとは言うまいな?」


「……どうなさるおつもりかな?」


 アッピウスは一瞬我が耳を疑い、椅子に座ったまま男を見上げた。そして男が不安からそんな間抜けな質問をしたらしいことに気づくと両眉を上げ、ハハッと笑ってみせる。


「それは貴様の話次第だ。

 聖貴族コンセクラトゥスが大人しく投降するとか、あるいは聖貴族コンセクラトゥスをムセイオンへお送りするために協力するとでも言うのなら優しくもなれようが、そうではないというのであれば……」


 そこまで言ってアッピウスは組んでいた足を解き、両足を床に付けた。顔は笑ったままだが目元からは笑みが消えている。


いささか面白くないことになるだろうよ」


 男を囲む四人の百人隊長が身動みじろぎ、金属の擦れるかすかな音を立てる。


「フッ」


 緊張の数秒間を経て男が笑った。


「魔法の使い手を前に豪気なことだ」


「ふっふっふっ」


 男は脅しのつもりだったようだがアッピウスは可笑しそう腹を揺する。


「魔法を使ってどうする。

 我らを害して貴様はどうするつもりだ?」


 アッピウスはのっそりと上体を起こし、卓上の酒杯に再び手を伸ばす。


上級貴族パトリキを、属州領主ドミヌス・プロウィンキアエの実弟を害してタダで済むと思うのか?

 ムセイオンがレーマ帝国と事を構えてでも聖貴族コンセクラトゥスを守るとでも?」


 燭台の光を集める眼前金の酒杯の輝きを、どこか恍惚とした目で眺めながらアッピウスは続けた。


「ムセイオンの聖貴族コンセクラトゥスとてレーマを敵に回してまでその身を守られることはあるまいよ。

 レーマの協力があるからこそムセイオンは存続しておるのだ。

 まず間違いなく聖貴族コンセクラトゥスとしての地位は失われよう。

 無論、その高貴な血は貴重だから処刑まではされまいが、いずこかで死ぬまで幽閉されることになるだろうな」


 アッピウスは再びワインで喉を潤す。その時、口の端からわずかにワインを溢してしまい、アッピウスは慌てて自分の手で拭った。そして酒杯を卓上に戻し、上体を背もたれに預けると、先ほどの失態など無かったかのように腹の上で両手組み、そして足を組む。


「そうなれば従者もタダでは済まん。

 分かるな?」


 男はアッピウスを見下ろしたまま息を飲むと、しばらくして目を閉じ、スーッと溜息でも突くように盛大に息を吐き出した。


「閣下の慧眼けいがんには恐れ入りますな」

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